二人の自由研究

暦の上では処暑と言えども、水溜まりの上に出来た陽炎が影の涼しさを感じさせる夏。

古びた公園にある、錆び付いたブランコに揺らされながら、エス君はとある事を考えていた。

夏休みも終盤、時間を恨めしく感じるような時期になってきて、エス君は焦っていた。

公園内にはエス君以外誰もいない様子で、ブランコが揺れる度に軋む鎖の音の他には、何も聞こえてこないくらいの静寂に包まれている。

エス君が頭を悩ませている事、それは「自由研究の内容」だった。

今もこうしてブランコから急かされるみたいに揺らされながら、それを考えていた。


エス君は今年で小学六年生になった、どちらかというと暗い性格だが、成績は優秀で先生からの信頼も厚い生徒だった。

夏休みのドリルはもう二週間も前に終わらせていて、宿題の中で自由研究だけが残っていた。

「何故、自由研究だけが残っているのだろうか?」

それは、エス君の考えに理由があった。

「今年は小学生最後の夏休み、自由研究はとんでもない発表をしよう!」

エス君はそう目論んでいたのだった。

一昨年は簡易的な望遠鏡を作り、昨年は映写機を作った。


――それを超えるものを作らなければ


しかし、新学期は明後日にまで迫っていた。

もちろん、適当なものであればまだ間に合う時間はある。

だから、エス君は葛藤していた。


鎖が軋む音が止んで、少し経った。エス君はまだブランコに佇んでいた。

非常に小さな絶望を堪能していたその時、公園の入り口に人影が映った。

生い茂る草木で良く見えないが、人影が自分の方へ伸びてくるのをエス君は確認した。

人影が足元まで伸びて、ついに姿を現した。

ふいに入りこんだ太陽の光で目を細め、ぼやけた視界だったが、見えたのは明らかに少年だった。

太陽がその少年の顔で見えなくなると、より明瞭に姿が見えた。

それは恐らくエス君と同い年であろう、どこか気品を感じるような少年の姿だった。

ホクロひとつない青白い頬に、焦点の合わない黒い目。一直線に整えられた髪型は、夕べ食べた椎茸を思い出させる。

少年は迷いなくエス君の方へと近寄り話しかけた。

「ぼくのこと、しってる?」

エス君はその少年を知らなかった、同じ学校にこんな子はいなかっただろうと思う。

「知らない」

焦っているせいかエス君は冷たい反応をした。

「ブランコ、のっていい?」

エス君は軽く頷いた。少年は横にあるブランコにのってまた話しかけた。

「これ、どうやってうごかすの?」

思いがけない質問にエス君は少し微笑んだ。

「僕が後ろから押してやるから、足をのばしたり、引っ込めたりしてこいでみなよ」

エス君は座っていたブランコから降りて、少年の背後に立った。

「せーの、で押すからこいでみなよ」

少年は困惑しつつも頷き、エス君の合図を待った。

「せーの」

エス君は思い切りよく少年の背中を押した。

少年は鎖を握りしめながら空へと上がっていき、しだいに振り子のように揺れだした。

「あはは、これたのしいよ、たのしい」

少年は目を輝かせながら、右手を空に向けてそう言った。

「ちゃんと握ってなきゃ、危ないよ」

ブランコが激しく軋む音がエス君を不安にさせた。

「どこまでいけるかな、そらまでいけるかな」

少年はそう呟きながら強く地面を蹴って、足を空高く伸ばした。

「無理だよ、壊れちゃうからやめなよ」

ブランコの動きがますます激しくなり、少年は一瞬だけ太陽に重なった。


――危ない!!


少年はいきなりブランコから飛び降り、硬い地面へと転がり落ちた。

「あはは、おもしろい、あはは」

エス君は自分の額から流れる汗を手で拭いながらすぐさま少年の方へ近寄った。

「大丈夫?」

少年の服や髪の毛には砂が付いていた、しかし汗と混ざりあったような砂では無かった。

太陽が降り注ぐ中、少年の身体は髪についた砂同様乾ききっていた。

エス君の心配をよそに、少年は手についた砂をまじまじと眺めながら喋った。

「あ、ありだ、ありがいる」

少年はそう言いながらエス君の顔の前に自分の手を差し出した。

「本当だね、どこかにアリの巣があるんだろうね」

エス君はそう言いながら、ふと地面を見た。

「あ、アリの行列が出来てる」

少年が転がった場所にアリの行列が出来ていた。少年はその行列を不思議そうに眺めた。

「これ、なにしてるの?」

少年はまた純粋な顔をして言った。

「これは確か女王アリにエサを与えるんだよ」

エス君は少年のお尻の方で途切れたアリの行列を見ながら言った。

「じぶんのえさはないの?」

少年が質問を重ねた。

「そんな事、僕だって知らないよ、多分女王アリがなんとかしてるんだよ」

エス君はその時ひどく恥ずかしかった。それは「女王アリのためにエサを運ぶ働きアリ」としか知らなかったからだった。

「アリの話なんてどうだって良いじゃないか、さあ起き上がって」

エス君はその恥じらいを誤魔化すように言った。

「じぶんのえさがないのにはたらいてるなんてりっぱだね」

少年は右手を這うように歩いているアリを見ながらそう言った。

「エサはあるよ、女王アリがなんとかしてるんだよ、多分……」

エス君は再度言い直した、とにかくアリの話を終わらせたかった。

「ぼく、かえるね、たのしかったし」

少年はいきなりそう言い出すと、右手についたアリを見ながら起き上がり、公園から出ていった。


――もう、ブランコの音も何も無かった。


完全な静寂が生まれた、エス君はただアリの行列を眺めながら、つい数分前までいた少年の事。激しく揺れたブランコの事。女王アリと働きアリの事。そして自由研究の事をぼんやり考えた。

太陽が雲に隠れて、エス君は影の中に入った。

影で冷たくなった砂の上を歩くアリたちを見て、エス君はひらめいた。

「自由研究の内容はアリにしよう!」

働きアリの健気さ、女王アリの権力、そして働きアリのエサはどこにあるのか。

恐らくどれも大した事のない理由で、つまらない自由研究になるかもしれない。ただこの時のエス君の胸の中にはさわやかな風が吹いていた。エス君はアリを一匹右手にくっつけ、早歩きで帰路に着いた。



「夏休みの自由研究はもう終わったか?」

少年の父親が聞いた。

「うん、とてもすばらしいほしになってた」

少年は父親に事の顛末を話した。熱い太陽のこと。物知りな少年のこと。自分で動かしてあそぶ玩具のこと。そして、アリの行列のこと。

少年の父親はどれも素晴らしい出来だと言って、少年の頭を撫でた。

「今度の惑星コンテストの優勝はお前だな、確かあと二千年後だっけか、もうすぐだ」

少年は微笑んだ。自分が素晴らしい星を作ったことに大層満足した。

少年は右手にいるアリを眺めながら、二千年後の地球を楽しみに待った。


その後、惑星コンテストの結果は誰も知らない。
















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