古参おじさんがコンカフェ嬢になったなら

しおしいろ

 

 萌え産業。つまりメイドカフェは、衰退の一途を辿っている。

 爆発的に流行した二〇〇五年以降有名店が次々とでき人気を博したものの、そのままゆるやかに上昇したのち下降気味となり、いわゆる「オワコン」となった。

 が、最近はコンカフェと名を変え、また注目を浴びつつある。


 しかしだな、萌え産業とコンカフェを一緒くたにしていいものだろうか。

 たっぷりのフリルがついたエプロン、膝丈スカートとニーソックス、ケチャップお絵描きのオムライス、好きなアニメやゲームについて心ゆくまで語り合う……そう。まさに楽園。現実世界を忘れられる、オアシス。


 が、今の「コンカフェ」はどうだろうか。

 客は札束で殴り合いシャンパンを開け、キャストも嬉しそうにピンクだの白だのの瓶を抱えてSNSに写真を載せる。


 金を使ったやつが一番偉い。どれだけシャンパンを注文したかがステータスだ。そんなの、俺の知っている萌えではない。

 つまり、萌えとはもはや、幻となってしまったんじゃないだろうか――と、思ってしまうのでござるよ。


 「萌え産業って、なに? メイドさんってこと?」

 「メイドさんといいますか、広いくくりでいうとコンカフェ嬢もでして、でもそれはなんか納得がいかないっていう話でござるな……」

 「ふうん。いずいずの話ってムズカシ〜」


 せっかく目の前で話を聞いてくれていた女の子は、興味なさげにその場を離れた。

 「イズミさん、僕は興味あるっすよ」

 隣のりょうがメロンソーダを飲みながら肩を叩いてくれた。

 「いやぁ、良くんはわかっておりますなあ。二十一歳って嘘ではござらぬか? 昔のアニメの話もついてきてくれますし」

 「名作は何年経っても名作っすよ。それにイズミさんがおすすめしてくれたやつハズレないし」

 細い目をさらに細め、良は笑った。


 大学生だという良は、平凡的な顔立ちではあるもののオシャレで小ざっぱりとしていて、爽やかな印象だった。

 良が初めてこの店に来た時、たまたま隣にいたのがイズミだった。同じような講釈を垂れていたら興味を持ったのが良で、そこから顔見知りとなった。最近じゃ、女の子と話している時間より良と話している時間が長い。

 本当は女の子と話をしたいはずだろうに、こんなデブ中年の話を聞いてくれるなんて……。さすがのイズミも申し訳なさを感じる。


 「りんちゃーん、モエシャンいれようかな。もちろんロゼね」

 「えーっなんで⁉︎」

 「しみったれた話聞かされてたからね、ボーナスってことで」

 カウンターの奥に座っていた男が、イズミを見ながらくくっと笑った。

 先ほど目の前でぼんやりと相槌を打っていたりんはぱっと顔を輝かせたものの、さっとイズミを見る。

 「……それって、俺の話のことでござるか」

 「それ以外なくないです?」

 男がにやにやと即答する。


 瞬間、イズミはまるまるとした拳をドン、と机に振り下ろしていた。男が目を丸くする。

 「な、何もわかっていないくせに、何がモエシャンだ、何がロゼだ、お前みたいなやつが店をだめにしていくんでござるよ」

 「はあ、おたく何様なわけ? 現にオレンジジュース一杯のあんたとシャンパンをいれた俺、会計の差はいくら? 店の話するんだったら、俺のほうが役に立ってるんじゃない?」

 「そういう話をしているんじゃないでごさる!」

 わなわなと震えつい声が大きくなる。

 「はあ。アスカさーん、いずいずが〜」

 イズミの様子を見て諦めたりんが、奥の方へと声をかけた。


 イズミの動きがぴたりと止む。

 奥からは聞き慣れた声が聞こえてきた。

 「イズミ。またなの?」

 ため息とともに、アスカが顔を出す。

 アスカは後ろ髪をラフにまとめて薄めの化粧だったが、逆にもとの顔立ちの良さが際立っていた。恐らく、今日は事務作業だけしに出勤したのだろう。


 「また、って、俺は何もしてないでござる……」

 アスカは黙ってイズミとシャンパン男の顔を交互に見た。伝票を確認し、りんと良の様子も見る。


 「イズミ。あなたちょっと最近騒ぎ起こしすぎよ。この間も別の人と揉めてたでしょう」

 「いや、あの時はあの客がテキーラのショットをはじめて、絶対に酔っ払っているのに誰も止めないから……」

 言い訳はしてみたものの、すぐに口をつぐんだ。――その時も俺はオレンジジュース一杯。そいつはテキーラショット一杯一〇〇〇円、を、五杯。

 「……とにかく、ちょっと今日はカウンター離れて。混んでないから後ろの席でゆっくりしてちょうだい」

 「なっ、なに、厄介払いってことでござるか?」

 「ちがうわよ。奥の席だと開放感もあるし、くつろげるよ。良くんはどうする?」

 「あ、イズミさんと一緒に移動するっす」

 すでに席を移る準備をしていた良は、手に二人分のグラスを持ってくれていた。片方はイズミのものだろう。


 「アスカ。どうして俺が引かないといけないのでござるか」

 「イズミに引けなんて一言も言っていないじゃない。落ち着ける席へご案内しただけ。ちょっと話したいこともあるし……。」

 アスカはそう言うものの、ちらりと視界に入ったシャンパン男はしたり顔だった。


 今後、こいつはきっと得意げに語るだろう。

 俺との騒動で、「自称古参」は店側から注意されわざわざ奥の方へ席移動させられた。そう、あの奥まっていて暗くて女の子もあまり来たがらない、「ハズレ席」へ――。


 結局、席の移動はせずにイズミは会計をして外に出た。「また来てね」とアスカは一応言ってくれたものの、目を合わせることはできなかった。

 「イズミさん! 待ってくださいっす」

 どうやら、良も会計を済ませ追いかけてくれたらしい。後ろから声をかけられ、イズミは足を止めた。

 「良くん……。あの、あんまり俺といないほうがいいと思うでござる」

 ここしばらく、ぎゃあぎゃあと文句をつけていたイズミはいつ出禁になってもおかしくない。さっきの話というのは、そのことかもしれない。この界隈は狭い。そんなやつとつるんでいたとなると、良の立場も悪くなってしまうだろう。


 「はは。イズミさんて面白いですよね。駅前のスタバでも行きます?」

 軽く笑って、良が答えた。

 途端にぶわりと涙が出てくる。それを見た良は少し慌てた様子で駆け寄ってきた。


 「フラペチーノって、一度飲んでみたかったんだ」

 「えっ飲んだことなかったんすか、マジすか」

 「うん。頼み方わからないし。おじさんが飲んでいいものかどうか、わからないし。美味いね。」

 良の助けを借り初めて頼んだモカなんとかチーノを見つめ、イズミは答えた。


 「フラペチーノを飲んでいい人と悪い人がいるなんてないと思うっすけど。ていうか、イズミさんのござる口調って、店の中だけだったんすね」

 「いやいや、当たり前でしょ。まあアスカとかお店の女の子も普通に返してくるから、あれが普通だと思っちゃうよね」

 イズミが苦笑する。


 あれは初めて「メイドカフェ きゅあーと」へ訪れた際使ってみたらメイドのウケが良かったため、現在もその口調で話しているだけだった。それしか、女の子の気の引き方がわからなかった。


 「イズミさんって、アスカさんと付き合い長いんすもんね」

 「うん。きゅあーとがオープンしてすぐに俺は通うようになったんだけど、そこに新人として入ってきたのがアスカ。真っ直ぐで一生懸命で、入れ替わりが激しい業界でずっと踏ん張ってた。すごかったなあ、ただの新人がどんどん成長して、店長にまでなって」

 「てことはもう十五年くらいの付き合いってことすか? やば」

 「そうなるねえ。ただアスカは五年前に現役引退してオーナーになったから、店で顔を合わせることは減ったけど」


 溶けていくフラペチーノをじっと見つめる。

 そう。もうアスカはただのメイドさんじゃない。店を背負う立場になったのだ。

 女の子は次から次へと入れ替わる。それと同時に、客も入れ替わる。流行も変わる……。

 アスカの初めてのバースデーイベントに花を出したことも、店長就任した初日、三時間前から店に並んでいて笑われたことも、現役引退の時、一緒に撮ったチェキを「これはありがとうを込めて」とプレゼントしてくれたことも……。


 一緒に店を盛り上げてきた気になっていたが、俺の思い込みだったのかもしれない。

 晩メシもどうすか、と良は誘ってくれたが、断った。少し一人になりたい気分だった。

 良と解散後はスーパーで焼き鳥と発泡酒を買い、のそのそと家に帰った。

 殺風景な部屋の真ん中にどしりと座る。

 アスカは新人からオーナーへと立派に成長していたが、この十五年、自分はただバイトや派遣を繋いでなんとか生きているだけだった


 ぐいっと発泡酒をあおる。あまり金もないため、アルコール自体久しぶりだ。

 「ちくしょう」

 また涙が溢れてきた。

 アスカのことはそう、もはや、推しというか戦友だと思っていた。

 だけど、勘違いもいいところだったのだ。俺は十五年、あの店とアスカが頑張っている横で、ただ見ているだけだった。情けない。

 消えてしまいたい。


 「ちょっとおー。大丈夫?」

 頭がガンガンする。

 「飲み過ぎた……」

 「飲み過ぎたあ⁉︎ オープン初日だっていうのに……」


 大きな声が頭に響く。

 オープン? 初日? 頭がぼんやりとしている。昨日は確かそう、一人で飲んでいて……。


 ばっと勢いよく起き上がる。

 ふらつきながら辺りをぐるりと見回してみると、どこかのバーのようだった。キラキラとした店内、大きなシャンデリア、ふかふかなソファボックス席。もしかして、酔いすぎてどこかへ飲みに出掛けてしまった……?


 「ようやく起きた。しっかりしてよね」

 目の前の女性は呆れたようにつぶやき、水を一杯差し出してくれた。

 「どうも……あの、すみません、もしかして、酔い潰れてしまったんでしょうか」

 「はあ? わたしが出勤してきたらすでにソファで潰れてたのはあなたでしょう。そのうち起きると思ったら起きないし、もう。」

 「そうですか……、あの、お会計とか済んでいるんでしょうか。あれ、お財布どこだったかな」


 女性の表情が訝しげに曇る。

 「ねえ、あなた大丈夫? ちょっと、もしかして履歴書に虚偽とかない? 特に年齢。未成年飲酒とかやめてよ。参ったなー、だから短期アルバイトなんてやめたほうがいいって言ったのに」


 どう考えても中年のおじさんに対して、未成年飲酒とは何の冗談だろうか。

 笑うところだろうかと考えていると、女性は一度奥の方へ姿を消し、すぐに何かの紙を手にしてもどってきた。


 「これ、提出してもらってた履歴書ね。嘘がないかだけ確認して。もしあったら正直に言ってね」

 「はあ。なになに泉 哲子てつこ。二十歳……女。」


 イズミは履歴書を二度見した。

 嘘も何も。自分の名前は泉 哲朗てつろうだし、年齢は四十になったところだし、性別は男性だ。


 「あの。先にお手洗い行ってもいいですか?」

 「そこの奥を右。」


 女性の深いため息が聞こえる。

 ふらふらと歩きトイレへ向かうと、バーによくある男女兼用の個室だった。助かった。正直今はどちらに入ればいいかわからない。

 鍵をかけ、一息つく。視線を上げ、手洗い場の前にあるピカピカな丸い鏡を見ると、イズミは思わず目を見開いた。

 さらさらな髪の毛、長い睫毛に大きな瞳、くすみのないつやつやな肌。すらりとした細い手足……。


 紛れもない「美少女」がそこにいた。


 物心がついてからいわゆるオタクであり、二次元やアイドル、そしてメイドさんという、ありとあらゆる美少女を見続けてきたイズミだったが、この娘は完璧だった。

 あの履歴書は何なんだろうか。本当なんだろうか。生まれ変わった? 自分は昨日どこかで死んでしまった? 神様がくれたチャンスなんだろうか。だとしたら、無駄にしないほうがいいんじゃないか……。

 短く息を吐いて、トイレを出る。とりあえず、あの女性が怪しんでいる。履歴書を確認してみよう――。


 「泉ちゃん!」


 声をかけられ、はっとする。目の前には意外な人物がいた。


 「アスカ⁉……さん?」

 「こんにちは」

 朗らかな笑顔で手を振っている。

 ……そう、紛れもなく、きゅあーとのオーナーである、あのアスカだった。


 「アスカさん! オープン時間に間に合ったんですね。よかった。」

 「うん、まあ、ほとんど店長のかたなちゃんに任せちゃうけどね。期待してる!」

 【かたな】と呼ばれた先ほどの女性は照れたように笑った。

 「もちろん、泉ちゃんもね。あーもったいないなあ短期バイトなんて。今日もめっちゃ可愛い。」

 「それなんですけど、いくらオープン直後で忙しいからって短期入れるの怪しくないですか? この子、さっき酔い潰れてて……」


 ちょっと、話したいこともあるから。


 昨日のアスカの声がこだまする。

 出禁宣告をされるのかと思っていたが、もしかしてこのことだったのだろうか。

 「あ、あの!」

 イズミはかたなを声を遮り、勢いよく頭を下げた。

 「精一杯、頑張ります!」

 ぱちぱちと拍手するアスカを見て、ぐっと涙が込み上げてきた。次こそは、アスカと戦友になれるかもしれない。

 「ところで、あの」

 ゆっくりと頭を上げ、困ったように笑った。

 さっきから気になっていたことを口にする。胸元が、スースーするのだ。

 「し、下着忘れたんで、買いに行ってもいいですか……。」


 コンセプトカフェ「magic☆chocolate(略してまじちょこ)」は魔女がテーマのコンカフェで、可愛らしくもダークな制服と女の子のレベルの高さがウリだ。


 公表していないが、まじちょこは「きゅあーと」のオーナーであるアスカの二号店だ。きゅあーとは最近の流れを汲みつつもまだ昔ながらのメイドカフェという雰囲気だが、まじちょこはシャンパンの種類が豊富だったり、単価の設定がそもそも高かったり、流行りのコンカフェという感じだ。


 オープン直後の二週間は、混雑が予想されるため短期のアルバイトを募集した。そこで採用されたのがイズミ……もとい、泉、ということが、アスカやかたなの話から推測できた。


 「泉ちゃん、動けるね。未経験者なんだよね?」

 一日目の営業終了後、かたなに笑顔で言われてイズミは照れた気持ちになった。

 十五年間カウンター越しに見てきたから、「こうしてくれたら嬉しいのに」という客の気持ちが痛いほどわかった。その通り動けば、ある程度は問題なかった。

 ただ、同時に難しさも感じていた。

 コンカフェには、指名制度などない。自分たちで考え、空気を読むという力が必要になる。


 「いやあ、営業前はアスカさんやばいもの拾ってきたんじゃないかって焦ったよ。ま、いろんな人がいるよね、こういうところは」

 一日中かたなの視線は厳しかったが、すっかり柔らかいものになっていた。実際、事情を抱えた人が多いというのは事実だろう。


 店を出た後、泉はおそるおそる自分の家に帰った。

 鍵は問題なく開き、部屋に変わった様子はなく、少しほっとした。

 昨日から着ていたTシャツを脱ぎ、洗面所の鏡を見た。ブラジャーのサイズなんてよくわからなかったので、ユニクロで適当に「M」と書かれたスポーツブラのようなものを買ってみたが、きつくもゆるくもないので多分合っているのだろう。

 初めておっぱいを見たが、自分のものだからか案外ドキドキはしなかった。


 ついでに買ったレディースのTシャツへ着替え、ふうと一息つく。

 スマートフォンはきれいさっぱり初期化され連絡先ひとつわからなくなっており、身分証明書が入っている財布は消えていた。つまり、持っていたのはポケットに入っていた鍵だけ。日払い可能な店で本当に良かった。

 死んで転生したというよりも、「泉哲郎」という存在がすっかりなくなってしまったようだ。


 ふと、こんな状況でも特に困らない自分に乾いた笑いが出る。

 バイト先はどうせ辞めたと思って電話もこないだろう。ツイッターは先ほど確認してみたが、アカウントごと消えてしまっていた。そこまで周りも気に留めないだろう。

 泉哲朗は消えても困らないが、泉哲子は消えたら困る。店のシフトが入っている。アスカの力になりたい。

 哲朗にもどっていませんようにと何故か願いながら、イズミは倒れるように眠った。


 イズミはその日、「げっ」と二度つぶやいた。

 一度は「シャンパン男」こと長谷川が来店した時。二度目は、良が来店した時だった。

 そりゃあ狭い界隈だ。別の店の常連客が様子を見に来ることもあるだろう。

 「泉ちゃんかあ。ほら、好きなもの飲んでよ。どのテーブルもしけてんな。新規オープンならお祝いがなくちゃあ」

 長谷川は嫌味なやつだったが、店側からすると気前よくお金を落とすいい客だった。悔しいが、文句ばかり言っているイズミと比べ、従業員的には無視できない。女の子が飲んでいる姿をにこにこと嬉しそうに見ている長谷川を見つめ、こうやって現実世界を忘れたい人間もいるんだ、と思った。


 良は、そんな長谷川が帰ったその日の夕方ごろに来店した。

 「泉さん、俺より若いくらいなのによく八〇年代アニメの話できるっすね」

 「ああ、ええと、人から教えてもらって」

 そうなんすか、と良は笑った。

 気に入ってくれたのか、良はそれからほぼ毎日顔を出してくれた。なんだか複雑な気もするが、仕方ない。


 泉の評判は客やアスカ、かたなからも上々で、イズミ自身もこの仕事が楽しいとはっきり感じていた。

 美少女に生まれていたら、これが天職だったのかもなぁ。

 イズミが「泉哲朗」のコンプレックスや鬱憤を晴らすように日々自信を取り戻していく中、気になったのは長谷川の表情はどんどん曇っていくことだった。


 「長谷川さん。大丈夫ですか?」

 「ああ、泉ちゃん。今日はさ、エンジェルとかいっちゃおうかなと思うんだけど」

 はは、と長谷川がメニューを開きながら言う。

 「長谷川さん、顔色悪いです。たまにはお茶とかにしませんか?」

 「この間来た時言っちゃったからさ。次はエンジェルにするって」

 イズミはボソボソと早口で話す長谷川を見て、うーんと唸った。


 長谷川は最初の余裕が消え、明らかに資金不足だった。聞いている限りあちこちの店でシャンパンを入れまくって金を大量に使っているらしい。おおかた、一度張った見栄を引っ込めることができなくなったのだろう。


 「長谷川さん、やっぱり今日はのところは別のものにしませんか? ほら、他のやつも――」

 「う、うるさい!」


 長谷川の声が店内に響き渡った。

 かたなの手が止まる。店内の全視線が長谷川とイズミに注がれた。

 「金を使わない客はゴミだ。使い捨ての駒なんだよ。お、お前らだって飲みたくもない酒を飲む人形だろ、どうせ、駒と人形なんだよ」

 しんと静まり返る。

 「長谷川さん、ちょっと」

 「誰ですか?」

 近づいてきたかたなの言葉を遮り、イズミがはっきりとつぶやいた。


 「はあ?」

 「誰ですか、そんなこと言ったの」

 イズミはじっと長谷川をにらむ。

 「だ、誰って……」

 「長谷川さん。私たちはここに座る皆さんのオアシスじゃなきゃいけないって思うんです」

 「オアシス……?」

 泉はゆっくりと頷いた。


 「語りたい人には語り合えるオアシスを。ぼんやりと過ごしたい人には居心地のいいオアシスを。長谷川さんは、みんなと賑やかに過ごすオアシスを求めているんじゃないかって思ってました。」

 ぐっと長谷川が唇を噛んだ。きっと、寂しがり屋なのだろう。

 「ねえ長谷川さん。長谷川さんは駒なんかじゃないです。そんなこと言ったやつ、私、許しません。私たちも、人形なんかじゃないです。長谷川さんと同じ、人間です。」

 イズミの言葉に、長谷川は俯いた。


 言いすぎただろうか……と心配していたその時、長谷川はウワーッと大きな声で泣き出した。

 イズミとかたなは目を丸くし顔を見合わせる。

 少し経ってから温かい紅茶を出し、長谷川が泣き止むのを待って話を聞いた。


 「少し前、キャバクラにハマってたんだ。貯金はしてたし、最初は問題なかった。けど、どんどん金は減っていって、シャンパンもなかなか卸すことができなくなった。そんな時、指名してた女の子に言われたんだよ。金の出せない客なんてゴミだ。代わりなんていくらでもいる使い捨ての駒だと……。キャバクラに行く金はなくなったけど、コンカフェだったら予算も少なく楽しめることに気づいて、みんなに良い顔してたらこのザマだよ」


 長谷川は力無く紅茶を飲んで、ゆるく笑った。ただ、その表情は晴れやかだった。

 「ごめん」と長谷川は素直に頭を下げた。きっと、もう無茶な飲み方はしなくなるだろう。


 「泉さん」

 長谷川の姿を見送った後、ふと声をかけられ驚いた。

 「良くん! びっくりした、いつからいたの?」

 「長谷川さん騒動の時に、たまたまっす」

 へへ、と良が笑う。なるほど、あのタイミングだったら気づかないわけだ。

 「そうなんだ、気づかなかった。ごめんね」

 「いや、それはいいんすけど」

 良が口をつぐむ。

 「……泉さんって、イズミっておじさん知らないっすか?」


 ドキリとする。


 良は驚いているイズミの顔を見て、笑いながら謝った。


 「ごめんなさい、わかんないっすよね。名前が一緒で、話す内容も似てる人がいて、知り合いなのかなって思ったんす。忘れてください」

 「その人は、今どこにいるんですか?」

 「……わかんないっす、突然消えちゃって」

 けっこう探してみてるんすけど、と良が付け足した。


 哲朗が消えて、気にかけてくれる人がいたのか。

 哲朗がいなくなっても誰も困りなんかしない。そう思っていたのに。


 「ありがとう」とつぶやいたら、聞こえていた良に「何がっすか?」と返された。


 短期バイトの最終日、アスカに呼び出された。

 「多分引き留めだと思う。わたしとしても泉ちゃんには残ってほしいなあ」

 何の用だろうかと相談したら、かたなは笑いながらそう言ってくれた。


 営業終了後、待ち合わせのカフェまで早足で向かうと、そこにはアスカの姿があった。

 「お待たせしてすみません」

 「いいのよ、こちらこそ最終日にごめんね。好きなもの頼んで」

 メニューを渡され、イズミはとりあえずオレンジジュースを店員に頼んだ。


 「残る気は、ないんだものね」

 アスカに質問され、イズミは小さくうなずいた。


 実は昨日引き留めの話はされていたが、イズミはその場で断っていた。


 仕事は楽しかった。けど、いつ男にもどるかわからない中働くことはできなかったし、哲朗で頑張ってみたいという気持ちもあった。もどれなくても、何とか方法を探したい。


 「そう……。残念だけど仕方ないわね。それはわかってたの。そうじゃなくてね、あの……。」


 アスカが言い淀む。

 店員が運んできてくれたオレンジジュースを飲みながら、イズミは言葉を待った。


 「泉ちゃんのお父様って、もしかしてちょっとぽっちゃりでござる口調の人⁉︎」


 オレンジジュースを吹き出しそうになる。


 「ち、違うわよね。変なこと言ってごめんなさい。急にいなくなってしまった人がいてね。雰囲気も似ているし、名前が同じ泉だったから、もしかしたらって思って。大体、娘がいるなんて聞いたことがないし。いや、もしかしたらいたのかもしれないけれど……何も、知らないから」

 「何も知らないけど、探しているんですか?」

 呼吸を整えてから、うん、とアスカが頷いた。


 「付き合いは長いんだけど、何も知らないの。向こうも私のこと、何も知らない。でも……でっかいお花を見せてくれた初めてのバースデーも、私の出勤時間より先に並んでくれてた店長初日も、大泣きしながらチェキを受け取ってくれた引退も、一緒に戦ってくれた、心強い、戦友なの。」


 アスカはゆっくりと微笑んだ。

 哲朗は、きちんと戦友だったのだ。

 アスカと戦い続けた、戦友だった……。

 「アスカさん、あの……」

 言いかけた次の瞬間、視界がぐらりとまわる。

 「泉ちゃん⁉︎」というアスカの声が頭に響く。

 ぐるぐると目がまわり、そのまま……どたり、と倒れ込んだ。

 

 目が覚めると、隣にあったスマートフォンがものすごい勢いで光っていた。

 周りをゆっくりと見てみる。さっきのカフェでも、店でもない。そこは自宅だった。


 「イズミさん、大丈夫っすか?」「みんな心配してるっす」「他店すけど、イズミさんに似た娘見つけたっす」ほぼ良からのメッセージで埋め尽くされている。


 洗面所の鏡を見てみると、冴えないおじさんがうつっていた。

 日付を確認してみると、泉哲子になった日から、ちょうど二週間経っていた。

 ふと良のメッセージに紛れて、一通だけ別の名前を見つけた。

 『連絡待ってるわよ アスカ』

 じわりと胸が温まる感覚があった。

 哲子の時も感じていた。そうか。これは、勇気だ。


 良にメッセージを打ちながら、イズミはドアを開けて外に出た。

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