三話 ウチと高校生活と兄貴の帰郷
神社で雑魚寝したのが悪かったのだろう。午前の授業は全く身が入らなかった。
コツコツとチョークで黒板を叩くリズミカルなテンポを聞いていると、不覚にも眠気に襲われてしまう。
斜め前に座る舞はというと、睡眠欲に抗う気すらないのか、机に突っ伏している心地よさそうに吐息を漏らしていた。口から垂れた涎が頬を伝って数学の教科書まで届いてしまっている。
まぁ舞は実家の手伝いがあるし仕方ないさ。ウチはただ自堕落に眠いだけなのだから頑張らないと。
気合を入れなおして教科書に集中しようとするが、文字が滑って上手くいかない。
必死に文字を目で追おうとするが、無駄な努力だと嘲笑うかのように、強い眠気が波のように絶えず訪れる。
はっと気が付くと昼休みを告げるチャイムが鳴っていた。しまった、結局寝てしまった。
「涼子。ごはん食べよ~」と舞は欠伸をしながら言った。頷いたウチは大きく伸びをしてから席を立つ。
屋上は、照り返すような良い天気だった。日陰の方はすでに別の学生達がたむろしていたので、フェンスにもたれかかりながら座った。時折、山の方から吹く清涼な風が火照った体に心地よい。瀬ノ内高校はそれなりに規模が大きな校舎で、北館と南館に分かれているが、一年生の教室は南館にあるので、そちらの屋上にしか寄り付かない。
周りにいるのも同級生ばかりで、中にはキャッチボールに興じる野球部のやつらもいる。
「珍しいね。涼子が授業中に寝るなんて」
舞はによによと意地悪く笑いながら、メロンパンに齧り付いた。
「実は昨日あんま寝れなくて」
「高橋先生も呆れてたよ~『期末テストも控えているのにいい度胸だ』って」
「ぐっ・・・」
「また数学教えてあげよっか」
「お願いします」
「おっけ~。代わりにうちのパン沢山買ってね~」
「りょーかい」
舞の実家はパン屋「こばぱん」を営んでいる。駅前にあるそのパン屋は結構繁盛しているようで、毎朝、こばぱんのマークの入ったビニール袋を提げたサラリーマンや学生をよく見かける。
舞も毎日、朝の仕込みを手伝っており、朝早くに舞の店を訪れると、ブレザーの上にエプロンを巻いた舞が出迎えてくれる。
栗毛のボブに大きな瞳が特徴的な舞は、いわゆる看板娘で彼女に会うためにこばぱんを訪れる学生も多いのだとか。
「学校でいくらでもみれんじゃん」と舞のファンに尋ねたことがあったが、「井ノ崎さんのエプロン姿が見てえんだよ!!」「井ノ崎さんに、『おはよ』って言われるためにわざわざ駅前まで来てる。家反対だけどな!!」とすごい形相で言われたっけ。
毎朝さぞ大変だろうと思うのだが、舞は少しもそのようには振舞わない。好きでやってるから、とさらりと言ってのける。
そんなところは、結構尊敬しているのだ。
メロンパンを頬張り終えた舞は、袋からクロワッサンを取り出しながら「今日私の家に泊まって勉強会しようよ~。来週の期末対策にさ。妹も涼子に会いたがっているよ」と提案してくれた。
「う~ん・・・」
普段であれば一も二もなく了承するのだが、返事を渋っていると「あ、何か用事でもあるの?」と首を傾げてきた。
「家の手伝いが・・・」と言葉を濁してみるが、舞は大きな瞳でじっとこちらを見つめると、「はい、ダウト」と答えた。
やっぱりごまかすのは無理か。舞は昔から嘘を見抜くのがうまい。きっと観察眼に長けているのだろう。
前に夏服がTシャツしかないと漏らしていた舞を引きずって町に買い物に出かけた時も、舞はまるで服を物色しようとせずに道行く通行人ばかりを眺めていた。
何を見ているのかと尋ねると、服装や顔つきからその人の行き先を当てる遊びをしているのだと言った。
正直ウチも舞ほど酷くはないが、別にファッションに興味があるわけでもなかったので、結局その日は二人でベンチに座ってクレープを齧りながらその遊びをしながら過ごした。
二人の予想が食い違ったときは、こっそり跡を付けてみたりもしたが、決まって舞の言う通りの行き先に吸い込まれていくのを見た時は、少し驚いた。
舞に嘘をついても無駄か。ウチは観念して正直に話すことにした。
「用事っていうか。その・・・今日兄貴が帰ってくるんだよね」と言葉を濁しながら言うと、「えっ。隆之介さんが!?」と目を輝かせた。
「そっか、大学生は夏休みか~。隆之介さん、今東京だよね。元気かな」
「ウチも四月からは会ってないから、分かんない。別に連絡もしないし」
「いつまでこっちにいるって?」
「知らない」
「薄情だなぁ」
「兄弟なんてそんなもんでしょ」
「来週の夏祭り、隆之介さん行くかな」
そう呟く舞は口元を綻ばせて、すっかり乙女の顔である。
ウチは気づかないフリをして、「誘ってみれば、兄貴は断らないよ」と背中を押してやったのだが、「むっ、無理だよぅ。私のことなんて妹の友達ぐらいにしか思ってないって~」と顔を赤らめた。
無理なことないと思うけどなぁ。舞は可愛い容姿をしている。カールのかかった柔らかそうな髪や、すっきりとした目鼻立ち。クラスでは目立つほうではないが、ひそかに思いを寄せる人間は少なからず、いやかなりいる。
そんな舞が兄貴なんぞに惚れているとは。ウチは思わず天を仰いだ。空には何も知らないトンビが円を描くように飛んでいた。確か中学の時から一途に思い続けているから、三年は片思いしっぱなしである。ただ兄貴が修学旅行のお土産でとくれたという小さな達磨のストラップを今でも大事にバッグに付けている。普段は飄々とした態度を崩さない舞も兄貴を前にすると石のように固まる
中学生の時、それとなくなぜ好きなのかと探りを入れたことがあったのだが、「秘密」とはにかむ舞は結局教えてくれなかった。
舞も厄介な相手を好きになったものだと、友達ながら同情していたその時、「ヤバイ!!」という声が屋上に響いた。
咄嗟にそちらに目を見やると、礫のようなものが弾丸のようにこちらに向かってきていた。
野球ボールだ。と気づいたときにはもう遅かった。回転するボールは目の前で強くバウンドして、隣に座る舞の顔に向かって跳ねた。
次の瞬間には、ばきっ、と鈍い音がした。
ウチの兄貴は妖を食うらしい 青山みどり @Midori_Aoyama
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