ウチと高校生活と兄貴の帰郷

一話 ウチと高校生活と兄貴の帰郷

 ぼんやりと働かない頭でスマホの画面をタッチすると、時刻は5時30分だった。

曇り硝子から指す朝日で目がチカチカする。


 「・・・まだ早いかな」


 いつもなら登校ギリギリまで梃でも起きないのだが、蝉の鳴き声があんまり五月蠅いので起きてしまった。ぐぐ~っと肩を伸ばしながら、大きく口を開けて欠伸をすると凝り固まった体からバキバキと音がする。


 畳があったし大丈夫だと思ったのだが、やはり敷布団ぐらいは持ってくるべきだったか。

 寝起きだというのに、気怠さに似た疲れを感じてしまう。


 この部屋唯一の出入り口である木扉に嵌められた曇り硝子から指す日差しは、三畳ほどの部屋を照らすには十分すぎた。舞う埃がキラキラと輝いている。

 そのまま、ぼ~っと朝日を浴びているとだんだんと頭が冴えてくる。日差しを浴びると寝起きが良くなると聞いたことがある。どうやら本当みたい。それに伴って蝉の声がよりクリアに聞こえ始めた。


 みんみん、みんみんみん。喧しいことこの上ない。畳の質といい、蝉の鳴き声といい、ここは避難場所には悪くないが、寝室としては最悪だ。

 枕にしていたスクールバッグから、ぽいぽいと持ち込んだ荷物を投げると白シャツとネイビーのスカートがひらひらと床に落ちていく。着ていた緩めのパジャマを適当にバッグに詰め込んで、床に落ちているスカートを履いた。じじじ、とジッパーの閉まる音が響く。


 に近寄って、丸鏡に顔を寄せると、右頬に畳の跡が付いていたのでぎょっとしてしまった。無数の線が頬の上を走っている。ウチも年頃の女の子、花も恥じらう女子高生なのだ。顔の跡は気になるのだが・・・。


「・・・それを差し引いてもウチは可愛いな」

 長い睫毛に、くっきりとした二重。目つきが鋭い所が玉に瑕だが、それも趣があって良い気がする。

 肌はモチモチ卵肌である。メイクいらず(そもそもやり方よくわかんない)で外に出られるクオリティ。人間の親友から「秘訣を教えろ」と迫られることも多々あるが、「牛乳石鹸を使っているだけ」と答えると呆れた顔で去ってゆく。すまない、天然美人肌で実にすまない。まぁ、今は卵肌に赤い線がくっきり入っているのだけれど。

 肩まで伸ばした黒髪は、いつだって艶やかだ。鏡を見ながら髪を束ねてゆく。口に咥えたゴムで後ろ髪を縛ってポニーテールに結ぶ。

「よし」

 首を左右に捻って完成度を確かめる。日差しで一層艶を増す黒髪が良い。

 実は黒髪に関しては秘訣があるのだが、おいそれと人には言えない。こちらは人間以外の親友から頂いた椿油のお陰なのだ。不思議なもので一度付けると、ガシガシにシャンプーをして、乾かさずに眠っても髪が痛む気配すら無くなった。


「ま、跡はほっとけば治るでしょ。顔でも洗おっかな」


 バッグからタオルを取り出して、曇り硝子の嵌められた木扉をガラガラと開けると、蝉のけたたましさに眩暈がした。うるっさいな。まぁこんなとこだし当たり前か。

 

 そのまま一歩踏み出すと、手前に置かれた賽銭箱に膝をぶつけそうになった。危ない危ない。


 賽銭箱の横に置いたローファーを履いて手水舎へと向かう。水に触れる。冷たい。

手でちょろちょろと流れる水を受け止めて、ばしゃばしゃと顔を洗う。



「うーん。これって罰当たりかな」

 ウチは水滴を滴り落としながら、改めて自らの行いを鑑みた。

 お分かりだろうが、ここはである。



 ウチが寝ていたのは、その殿である。昨夜の内に勝手に侵入して占拠してやった。

 無論、理由はある。やんごとなき理由である。理由なき神域の独占は蛮行であるが、ウチの場合はあくまで避難者である。例えば、雪山で遭難したとしよう。吹雪険しい中、空き家を見つけた時、不法侵入だと部屋に入るのを諦めるなんてありえない。ウチだって同じだ。やむなく。そう渋々。お邪魔させていただいたのだ。


 昨夜難なく神社に侵入したウチは申し訳なさそうに、キャンプ用のランタンで本殿をライトアップ。家を出る前に拝領した父親のポケットwifiを片隅に設置し、仕方なく小腹が減ったら食べようと持ち込んだポテチをバリバリやりながら、渋々スマホから音楽を流して一晩を過ごした。

 

 顔を手水舎で洗った後は、神社の裏に回って倉庫から竹箒を取り出して石畳を掃った。ウチとしても一晩の恩を返さなければ気が済まない。登校までの時間は、お世話になった神社の掃除に当てた。

 濡れタオルで狛犬の石像を拭く。汚れの目立つ摂社は特に入念に。無論本殿の中も忘れないように丁寧に掃いた。畳の間にポテチが入り込んで中々取れない。がしがしと爪で入念に取る。


「こんなもんかな」


 粗方掃除を終えて時間を確認すると7時30だった。神社を出るにはいい時間だ。真剣に磨いていたのであっという間に時が過ぎてしまっていたようだ。

 

 ウチは荷物の詰まったスクールバッグを肩にかけて石畳の階段を降りて行く。


 こつ、こつと鳴る音が心地良い。上を見上げると杉の木の梢を透かすように青空が見えた。夏の朝の素晴らしさを一身に受けているようで愉快な気持ちだ。自然と浮足立って、一段、二段と階段を飛ばして跳ねるように駆け降りた。


 階段が終わると、木陰に隠れるように佇む赤い鳥居が前方に見えた。

 ウチはスキップしながら鳥居に近付くと、大きく息を吸う。


「おはよ!みんな!」と元気よく挨拶する。


「お嬢!お早うございます!!」

「お待ちしておりましたぞ!いやほんとに!!」

「なんで神社なんかで寝泊まりなさるのですか!?」

「ワシらは不浄なる妖怪。鳥居より先は入れんのですぞ!?」


鳥居の前で佇んでいた化け物達がぶぅぶぅと文句を垂れるが、知ったこっちゃない。


「だってあんた等、どこまでも付いてくるじゃない。ここに避難するしかないでしょ」


当然のことを言ったつもりだったのだが、思いのほか彼らはショックだったようでガックリと肩を下げて落ち込んでいる。


「だ、だって。今晩はお嬢の兄上様が。坊ちゃんが大学から帰郷されるのですよ!」

「東京に行ってしまわれた坊ちゃんを盛大に出迎えなければ!!」

「そのためにはお嬢のご協力が不可欠!」

「見てください。信楽焼の茶器でございます。坊ちゃんはこおひいがお好きですから!きっと喜ぶだろうと手に入れたんですよ!!」


「あんたら・・・ほんとに兄貴が好きだよね・・・」

「「はい!」」


思わず苦笑いが零れたが、妖たちは点で気にする様子も無い。


「ったく・・・。ほら、どいたどいた」

 やいのやいのと騒ぐ彼らを押しのけて、鳥居の横に立て掛けた自転車に跨る。

高校入学と同時に買った緑のマウンテンバイクは、毎日の通学による酷使は相当なものなようでチェーンは錆び付き、勢いよくペダルを踏みこむと外れてしまう。それでも、雨の日も風の日も、共に歯を食いしばって立ち向かった相棒である。なんとなく愛着があるから、きっと卒業するまで修理しながら使うだろう。

 学校を目指してペダルを漕ぐと、慌てた形相で妖が追いかけてくる。

 

「ど、どこに行かれるのですが!?」

「学校」

ばいば~い、と後ろに手を振りながら、ウチは自転車を漕いでいく。

「坊ちゃんの歓迎ぱぁてぃはどうされるのです!?」

「あんたらでイイ感じにやっときな~」

「そんな殺生な!」


 ブーブーと文句を垂れる妖怪どもにはうんざりだ。さっさとイヤホンを耳に突っ込んで音楽を流す。


 なにかとびっきり陽気なやつにしよう。スマホを素早くスクロールしていく。

ブルーノ・マーズのラナウェイ・ナウ。最高じゃないか。


「あ、聞いてないぞこの小娘!!」


がっっと両足に力を込めてペダルを踏みしめる。

一度スピードに乗った車体はグングン前に進んで神社から離れてゆく。


「Run run run way, runaway baby~♪」

「待ってくだされ~!」


 


 




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