四話 ウチと兄貴と河川敷
高校生になった今でさえ、あの時ほど血の気を引いたことはない。
本当に肝を冷やした状況に直面した時、人間は頭に上った血が波に攫われるような幻聴が聞こえるものらしい。ウチは確かに「さあぁ・・・」と血の気が引く音をこの耳で感じた。
「なんだ、なんだ。一体何なんだ」
「仁左衛門の声がしたぞ」
「面白い小僧とは何ぞ」
「あまり人間にちょっかいをかけるでないよ。若い妖でもあるまいくせに」
男の号令でわらわらと河川敷中から化けものが近寄ってくるのが分かる。どうしたらよいか分からないウチは座り込んで固まったまま顔を青くすることしかできなかった。寒気がするほど体温が下がっているのに、何故か汗が止まらなくて気持ちが悪い。兄貴を握る手に力が入った。兄貴はウチと同じく青い顔をしながらも努めて周りの様子を伺っている。
「ほれ、こいつらだ。どうやらワシらが視えるらしい」
仁左衛門と呼ばれた、牛の骨を被った男がそういうと化け物たちのざわめきが一層大きくなる。
「ほお、珍しい」
「今の時代に、そんな人間がおるとは」
「どれ、わしにも見せてくれ」
「おい、押すなよ」
「おや可愛らしいじゃないか」
「人と話せるのなんていつぶりだ」
「あ、あの・・・!!」兄貴は声を震わせながら立ち上がると、目の前の男に向かって「妹には手を出さないでやってくれますか」と言った。
男は「何を言っているのだ?」と言わんばかりにぽかんとしていたが、すぐにやりと笑って「なかなか根性あるではないか。じゃあ食うのはお前だけにしてやろう」と言い放った。
「約束は守ってください」
「おうよ、しっかり味わってやるから喜ぶが――痛っ!おい止めろ、冗談だろうが!!」
男の足元には、先ほど見かけたカエルが居た。煙管をバットのように持ち替えて男の太ももを強打している。
そのほかにも化け物がぞろぞろと男の周りを取り囲んでゆく。
「このお馬鹿!子供泣かして遊ぶんじゃないよ!」
「阿呆め」
「お前が食われろ」
「安心しろ坊ちゃんたちよ。此奴はワシらが鍋にでも沈めてやる」
男は化け物たちに寄って集ってボコボコにされ始めた。兄貴とウチはぽかんとそれを眺めている。偶に痛い、痛いと大人げない叫び声がする。
よく分からないけど兄貴は食べられずに済んだらしい。ウチはやっと体から力を抜くことが出来た。
「どれ、お嬢ちゃんたち。怖がらせてしまったね」
化け物達の中から杖を振る髭の男が一歩前に出てきた。男は洋風な外套を身に纏い、高い鷲鼻にはちょび髭を生やしている。まるで西洋の偉人のような出で立ちだ。男は杖で仁左衛門をつつきながら言う。
「仁左衛門は人と関わるのが好きでな。久々に話せたんで興奮したんだろう」
あまり事態を飲み込めていないウチは「はぁ」と間の抜けた返事を返すことしかできなかった。
「とんだご迷惑をお掛けした。只、もしもワシらを許してくれるのなら、少し話さんかね。ワシらが視える人の子は久々なのだ」
男は申し訳なさそうにしていたが、その目には好奇心がありありと宿っていた。まるで見知らぬ花を不意に見つけた園児のようである。
無理です。ウチはもう家に帰ります。そう言いたかったが、「いいですよ」と兄貴が即答してしまった。「ちょっとおにいちゃん!」と服を引っ張って抗議するも、「だって気になるじゃないか。彼らが一体なんなのか。なんでこの河川敷に集まっているのか」と先ほどまで怯えていたとは思えないほど鷹揚な兄貴を止めることはできなかった。
結局ウチは兄貴に引きずられる形で、化け物たちと土手の下へと降りていった。
意味不明である。お化けが怖くて兄貴と下校した筈なのに、兄貴のせいで化け物に囲まれ、今は彼らと行動を共にする羽目になっていた。
無論渋々である。兄貴を置いて一人で帰ることが出来るほどウチは大人じゃなかった。
そもそもそれが出来るなら兄貴と一緒に下校していないのだから。
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