誰そ彼、月の名 ─短編集─

Kei

抱擁

夕魔 × 道香 (NL)



【道香side】

 普段は腹が立つほど自信に満ち溢れた振る舞いをする彼だが、時折、今にも泣きそうな顔をして私を求めてくることがある。すがるように抱きしめて、そこに在ることを確かめるようにまさぐる手は、震えているようにも感じられて。

 普段は黙らせたくなるくらい饒舌なのに、こういう時の彼は決まって一言も発さない。何が彼をそうさせているのか、私には推し量ることしか出来ないけれど。


「よし、よし」


 肩に顔を埋めた彼の頭を、何も聞かずに撫でてやる。私には、これくらいのことしか出来ないけれど。彼はちゃんと救われているだろうか。



【夕魔side】

 例えるなら、パンドラの箱に近いだろうか。悲しい、寂しい。不安、不満、怒り。泥々とした感情を押し込めるための箱のようなものが、生来心の中に存在していた。

 その箱の蓋が、ふとした拍子にずれる時がある。ほっそりと開いた隙間から、ぐずぐずに溶けて汚泥と化した感情が溢れ出してきて、あっという間に足元を覆い隠してしまう。

 すると世界は、上も下も真っ暗になって。ひとりぼっちになってしまったようで、寂しくて、淋しくて。もしもこのまま、世界がずっと真っ暗で、孤独のままだったらどうしよう。それを思うとひどく心細くなって、不安が生まれて、それはどんどん膨れ上がっていく。

 せめて、この暗闇をあたたかく照らしてくれる灯りがあったなら。それが欲しいと求めてすんなりと得られたのなら、そもそもこうはなっていなかっただろう。無視されたり、嫌そうにされたり、拒絶されたりする方が、もっとずっと、ずっとつらかった。

 放っておいても蓋なら勝手に閉じる。それなら黙って耐え凌いでいればいい。──そう思っていた。今も考え方自体は変わらない。でも。


「よし、よし」


 まるで幼子をあやすようだった。無意識にすがりついた僕を、彼女は何も言わずに抱きとめ、慈しむように頭を撫でてくれる。

 そのぬくもりを感じて、ひどく安心したんだ。それこそ、涙が出るほどに。これは同情でも、おざなりでも上辺だけでもなく、彼女がそうしたいからしてくれていることだと、ちゃんと感じることが出来たから。

 それは、間違いなく灯りだった。幼かった頃、欲しくて欲しくて堪らなかった、灯りあいだった。暗く淀んだ心の中に、じんわりとあたたかな灯がともる。


 ねぇ、道香。僕が君にどれだけ救われているか、僕の心の支えになってくれているか、きっと君は知らないだろう。それでいい。このまま、知らないままでいて欲しい。この思いはきっと、重荷にしかならないだろうから。これまでも、これからも、君の優しさに勝手に救われ続けることだけは、どうか許してほしい。

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