第10話

 薄暗い夜の向こうに、ウヴァル領の城壁が影のようにのっぺりとそびえ立っている。開門、という大きな声が聞こえた。先頭集団が正門に着いたのだろう。それと同時に、夜空へと巨大な花火が上がる。


 祝福の地、ウヴァル領。その名に恥じぬ歓待が俺たちを出迎えた。花火は後列が正門をくぐるまで絶え間なく続き、星明かりをかき消すほどに夜空を明るく照らす。通り沿いの家々から領民が手を振っている。


 フランドール王姫にはこれから領主への挨拶がある。俺は特に同行する必要もないので、一度ステフの顔を見に行った。ステフたちとはウヴァル領でお別れだ。一日の休憩を挟みすぐに出発する俺たちとは違い、ステフ一行は二日ほどウヴァル領を観光するらしい。次のブネ領までは自分たちだけで行くのだそうだ。


 馬車の停めてある大広場でステフたちを探していると、オレインさんがこっちに手を振っているのが見えた。どうやら向こうも俺を探していたらしい。目が合うと、オレインさんたちが人混みをかき分けてこっちに向かってくる。


「あれ? ルースさんとオルベージュさんは?」二人の姿が見えないのでステフに尋ねる。

「宿をとってもらいに。料金の安い駆け込み宿は取り合いになりますので」

「やべっ! 急いで連れ戻してくれるか!? 誕生日プレゼント! とってあるんだよ、宿!」

「ええ!?」と慌てるステフをよそに、オレインさんは冷静に、「じゃあステフはそっち泊まったほうがいいよな。一人減るってルースとオルベージュに伝えてくるわ」と言った。

「ちょっと待ってくれ! 予約してあるのはステフのぶんだけじゃなくて、全員ぶんだから!」


 のんきな顔をしていたオレインさんの顔が、徐々に引きつる。


「え、いや……え? 俺らの部屋まで?」

「ステフが仲間と一緒なのは聞いてたから、せっかくならみんなで楽しんで貰おうと思ったん、です……けど……」


 あれ? なんかやらかしちゃいました? 皆さん、すごい顔しているけど。


「ライナ様、失礼ですが、ホテルのお名前は?」ベラさんがさっと表情を作り直し、にこやかに尋ねてくる。

「えっと、なんだったかな……ああ、そうだ、ヴェルサーチ、だったかな?」

「オレイン! 急いであの二人を連れ戻しなさい!」


 ベラさんがものすごい形相で叫んだ。


「お、おう!」オレインさんは一目散に駆け出す。

「ヴェルサーチ……ヴェルサーチ?」ステフは目をぐるぐると回し、ホテルの名前をうわごとのようにつぶやいている。

「ライナ騎士団長、いいのですか? ヴェルサーチホテルは開拓に参加する者のために貸し切っていると聞いていますが」ベジョータさんが真面目な顔で尋ねてくる。

「ローズさんにも確認はとってあるから、大丈夫なはず、です。部屋も余ってるらしいし、王国騎士団のベジョータさんもいるならって、サブレが言ってました」


 サブレは監査隊にいた時期があり、ベジョータさんとは顔見知りなのだとか。


「相変わらず人の良いやつだ……」ベジョータさんはぼやき、ずいっと顔を近づけてくる。

「ライナ騎士団長、お言葉ですが、貸し切りにしている理由は王姫が宿泊するからです。旅客を泊めていいはずがありま――いってえ!? おいコラなにすんだベラ! 腹をつねるな!」

「黙りなさいブタ真面目!」

「ぶ、ぶたまじめ!? なんだその暴言は!? 初めて聞いたぞ!?」


 ベラさんは般若のような顔でベジョータさんを引っ張り、耳打ちする。


「ヴェルサーチホテルよ? いくらすると思ってるの? 泊まろうと思って泊まれるようなホテルじゃないんだから」

「いや、しかし……これは規則違反で……」

「なに? 私が元犯罪者だからってわけ? だから王姫と同じホテルには入れられないっていうの?」

「ぐっ……いや、そういうわけでは……」

「ここで断ったら、リフィの墓の前であんたの恨み言吐くからね」

「そう言われてもだな……」

「ねえ、お願いよ、癒やされたいの。たまには贅沢したいの。あんな場所で毎日毎日ろくでなしに教えを説いて、あいつら全然話聞かないんだから。人のこと言えるのかって? 失礼ね。私のほうがよっぽど模範囚だったわよ。ねえ、こんなんじゃ魔物に殺される前にストレスで死んじゃう。だからお願いよお。それにほら、オルベージュとルースのためにも」

「わ、わかったから、腹をタプタプするな。俺の脂肪で遊ぶんじゃねえ」


 ベジョータさんはベラさんの手を払いのけ、こちらに向き直る。


「では、ライナ騎士団長。ご厚意に甘えさせて頂きます。もしなにか問題がありましたら、このベジョータ・イベリアの責任として処理してください」


 んー、規則的にマズかったか。やっぱ職権乱用はいかんな。今度から自重しよう。


「あ、あの、ライナ様!」


 お、貧乏性のステフがようやく復活した。


「流石にこのような贈り物は……その、規則違反でしょうし……」

「ステフ、そのくだりはもう終わったの」


 有無を言わせぬ語気でベラさんが言い、ステフを黙らせた。


「ライナ様、このような機会を下さり、感謝いたします。相応のお礼ができる身分ではありませんが、私にできることであればなんでもお申し付けください」


 ベラさんが両手で俺の手を握り込み、人差し指でこっそりと手のひらをいじってくる。爪でつついたり指の腹で撫でたり、さらには汗で湿った指先がまるで舌先のようにチロチロと動き、俺の快楽神経を刺激する。なんだかいやらしい秘め事のように思えるが、それもそのはずで、これはサインなのだ。今晩どうですか? という誘い方の一つである。さらに上級者は、テクニカルに指を動かすことによって、夜の営みの上手さもアピールしているらしい。よし、ちゃんとこの世界の文化について勉強した成果が出ている。成長の実感というのは実に清々しいものだ…………って、え? いや、え?

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