第6話

 何事もなくグレモリ領に到着し、一夜を過ごしてから明朝、俺たちは次なる中継地点、ウヴァル領へと向かっている。左側には広大な砂漠が広がり、アッピア街道自体は石で舗装されているものの、馬車を引くのは馬からラクダに変わった。そして右側には、果ての見えない峡谷が街道に沿うよう延びている。


「右手に見えますのが、メネア大峡谷でございます」


 フランドール王姫が手のひらを横にやり、バスガイドのように言う。


 彼女を連れ出したライナが、かつてこうやって案内してくれたのだそうだ。それを真似して遊んでいるのである。はしゃいだ様子の彼女を見て、ローズさんも珍しく頬を緩ませている。サブレはローズさんの膝に座り、ぬいぐるみのように抱きしめられている。馬車の外では騎士たちが恨みがましい視線をサブレに送っている。


「谷底にはメネアの大獅子と呼ばれる魔物が住んでおりまして、その毛皮はどんな刃も通さないと言われております。そんな大獅子を倒したのが、こちらのローズ・ウェンベルク隊長。なんと彼女は素手で大獅子と戦い、最後はその首を絞め落としたそうです」

「そろそろ再出現するころでしょう。次こそライナ君に倒してもらわなければいけませんね」


 ローズさんはかつて、修行と称してライナを谷底へと突き落としたらしい。さらには大獅子を倒すまで登ってくるなと言いつけ、しかし大獅子はローズさんが倒していたので存在せず、ローズさんがそのことに気づくまで、真面目なライナは大獅子を探して三日三晩谷底をさまよい続けた。


 砂漠の旅を楽しむフランドール王姫を微笑ましく思いながら、順調に俺たちは進む。暑いのだけが難点だったが、それも日が沈むころにはがらりと変わった。


 砂漠の夜は寒い。知識としては知っていたものの、いざ体験すると、驚きを隠せなかった。吐く息が白いほどに気温は低下し、吹き付ける風が体温を奪ってどこかへ流れていく。そんな中で、生命の気配を感じない広大な砂地をゆく。こんなに大勢でいるのに、心細さすら感じてしまう。


 ウヴァル領までの道のりは長く、道中に建てられた砦で夜を過ごさなければならない。


 砦内の部屋は旅客たちに譲られ、騎士たちは馬車の中で仮眠を取りながら交代で警備。ローズさんは寝ずの番をするそうで、砦の最上階、フランドール王姫の部屋の前で仁王立ちしている。そしてその隣では、朝までローズさんのお供をすると息巻いていたサブレがこくりこくりと船を漕いでいた。


 そして俺はというと。


「綺麗ですね」

「ああ」


 フランドール王姫に誘われ、部屋の中で二人きり、窓の外に広がる広大な砂漠を眺めている。見せたいものがあるんです、とフランドール王姫は言っていた。

毛布にくるまっていてもまだ寒く、俺たちは自然と肩を寄せ合う。


「知っていますか? リビア砂漠は、バジリスクが草木を石に変えてできたのだそうです。バジリスクは大きさも見た目も普通の蛇とほとんど変わらず、ただ一点、頭部に王冠のような印があるのだとか」


 クッスレア王家の血筋からは、希に魔物に襲われない女の子が生まれることがある。その一人がフランドール王姫だ。そういう理由もあってか、フランドール王姫は魔物を怖がらず、むしろ興味を持っている。いつか次の王姫が生まれて自由になったら、魔物の調査をしながら世界中を旅するのが夢なのだそうだ。そしてその旅は、ライナも一緒にと約束したらしい。十二歳のころ、子ども同士の約束だ。フランドール王姫もそれを理解しているのだろう。今の俺を誘うようなことはしない。ただ、世界中の魔物を見て回るという夢は変わらず持ち続けている。


「あっ! 来ました! 見えますかライナ様!」


 突然、フランドール王姫が流れ星を見た子どものようにはしゃぎだす。

なだらかな砂丘の向こうに、青白い灯火が群れをなしていた。死霊魔術に操られた死体たちが、自ら墓地を目指して移動しているのだ。魂を模したランタンを持ち、それが青白く光っているのである。異世界式灯籠流しといったところだろうか。フランドール王姫が俺に見せたがっていたのはこれだろう。


「魔物は死者を襲いません。魂は安らかに砂漠の景色を満喫して、墓守のもとで眠る。素敵な光景ですね」


 フランドール王姫はうっとりと魂の群れを眺める。

光景そのものは綺麗だと俺も思う。しかし、あれが死体の群れであることを想像すると、気味悪く思ってしまう。いまいち感動を共有しきれぬまま、死者の群れを見送る。星の光のように小さい灯火は、ゆっくりと移動する。やがてひときわ大きな砂丘の向こうに消えてしまい、いってしまいましたね、フランドール王姫はひっそりと言う。

子どものような表情を消し、フランドール王姫はまぶたを閉じて真面目な顔になる。


「安らかにお眠りください」


 死者の安寧は、この世界で重要視される思想の一つだ。その昔、死体を操る死霊魔術師が迫害を受けていたほどに。


「ライナ様は、目覚めたくないと思った日はありますか?」


 窓際から離れ、フランドール王姫が尋ねてくる。


 少し迷ってから、俺は「覚えていません」と答えた。この世界に来る前は、毎日のように思っていた。けれど、ライナがどうだったかわからない。だから記憶喪失を言い訳にして誤魔化した。


「すみません、困らせてしまったようですね」

「フランドール王姫はあるんですか?」

「はい。あの塔から出られないのなら、いっそ眠ったままでいさせて欲しいと、そう思う夜が幾度もありました。自由になるその日まで、夢の中にいさせて欲しいと。でもそのたびに、ライナ様の顔を思い浮かべるんです。もしかしたら、明日はライナ様が会いに来てくださるかもしれない。そう思えば、代わり映えのしない毎日でも意味があるような気がするのです」


 ずきりと胸が痛む。知っているからだ。ライナは、ここ二年ほどフランドール王姫に会いに行っていない。俺のことではないのに、それでも罪悪感のようなものが湧いてくる。


 フランドール王姫がベッドのほうに向かう。もう寝るのだろうと思い、俺は部屋の出口に向かって歩く。ベッドのそばを通り過ぎ、扉に手をかけようとした瞬間、背後から抱きつかれた。


「ごめんなさい。ご迷惑なのは分かっています」


 やめてくれと、口をついて出そうになった。彼女は王姫だ。魔物に襲われない唯一の人間。その性質を利用した結界でクッスレア本国を守る人類の宝。おいそれと手を出しちゃいけない存在であることは、俺にだってわかる。ましてや俺にとって彼女は、出会って一週間も経たない女の子。


「思い出をください。どうか、すがれるだけの思い出を」


 背中越しにはっきりと伝わる。彼女の体が震えているのは、寒さのせいじゃない。泣いているわけでもない。ただ必死なのだ。いつ生まれるかも分からない次の王姫。会いに来てくれなくなった思い人。待つことしかできない彼女にとって、今このときは、またとない機会なのだ。いくらでも良い思い出を作ってあげたい。しかしそれは、偽物だったと知ったとき、決して後悔しないという前提の話で、だから俺はこう言うしかない。


「ごめんなさい。きっといつか、俺のほうから会いにいきますから」


 フランドール王姫の体が離れる。床を駆ける音。ベッドに飛び込む音。感情を押し殺すような、つまった息づかい。俺は全てに背を向けたまま、拳を震わせる。


 なにやってんだよライナ。どこにいっちまってんだよ。お前を待ってる人が、たくさんいるんだ。どうあがいたって俺にはできないことが、山ほどあんだよ。


 部屋を出ると、扉の横にローズさんが立っている。寝ずの番をするローズさんにおやすみなさいと言うのはためらわれて、俺は無言で背を向ける。


「ライナ君、私は彼女を傷つける人を絶対に許しません。ゆえに、私はあなたを誇りに思います」


 震える拳を痛いほどに握りこむ。待ってろよライナ。いつか必ず、ぶん殴ってでもお前をフランドール王姫のところに連れて行ってやる。

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