第5話

 最大全長約一万キロメートル。面積にして約一億五〇〇〇平方キロメートル。ここパンゲア大陸は、想像もつかないほど広大な大地だ。しかし、人類が住める土地はその一パーセントにも満たない。魔王が生み出したという儀式場が大陸じゅうに点在し、そこから魔物が湧き出ているからである。人々は儀式場をなるべき避けた土地に領地を開拓し、それを城壁で覆って身を守りながら暮らしている。


 表紙が皮でできた分厚いメモ帳を開き、そんなふうに情報を確認していく。今回の任務に向けて作ったものだ。なにしろ城壁の外に出るのは初めてだ。こんなもんかって思うことはまれだろう。どこでも幅を利かすのは情報だ。それは間違いない。


 俺たちが進む街道の名はアッピア街道。王家の魔術が仕込まれており、この街道の上を進めば約二十倍の速さで進める。正確には速度があがるわけではなく、空間と時間を短縮しているのだとか本には書いてあった。毎度のことながらよくわからん。そもそも王家の魔術は詳しい情報が秘匿されているから、理解しようとしたところで無理だろう。とにかく、開拓予定地まで三〇〇〇キロメートル以上の道のりを一週間で進むことができる。


 そんなアッピア街道を、俺たちは馬車で突き進む。魔動車を使わないのは、グレムリンという魔物に襲われるからだ。魔物との交戦中に、二〇〇〇年前にはなかった技術を使うと、どこからともなくグレムリンが現れて壊してしまう。それゆえに、魔物との戦闘は原始的な手段で行われる。そのせいもあってか、兵器などの開発は対人目的と捉えられ、危険思想として処罰の対象になる。


 などと、自前のメモ帳で復習をしていると、


「記憶を失っても、そういうところは変わらないのですね」


 隣に座るフランドール王姫がメモ帳を覗き込んできた。ちなみにさっきからずっと太ももに手を置かれている。俺が真面目に復習をしているのは、そこから意識を逸らすためでもあった。


「まるで知識欲の塊のような御方。出会ったころはあれほど冒険譚を聞かせてくださったのに、戦後は私と居ても、質問ばかりでした」


 ええそうですとも。この世界には不思議が盛りだくさん。さしあたってはなぜ俺の太ももに手を置いているのですか? 


「目元が柔らかくなりましたね。戦時中に再会したときは、人が変わったように鋭い目つきをされていたので、まるで昔に戻っているかのようです」


 フランドール王姫との関係は、クニツ・ライナが十二歳のころにまで遡る。当時、魔王の復活を阻止した功績でクッスレア本国に招かれたライナは、自由に外出のできないフランドール王姫を憐れに思い、なんと外に連れ出した。フランドール王姫は無事に連れ戻されたのだが、ライナはおたずねものとして逃げ回る羽目になったのだという。それから数年後、戦時中に誘拐されてしまったフランドール王姫を救い出し、罪は帳消しとなった。


「きっと、戦時中のつらい記憶がなくなったからでしょう。記憶喪失も悪いことばかりではありませんね」


 励ましてくれているのだと、直感的に思った。


「ごめんなさい。退屈させましたよね」俺はメモ帳を閉じる。


 クッスレア本国の結界は、フランドール王姫を核として機能させている。それゆえに、彼女は次の王姫が生まれるまでを狭い塔の中で過ごさなければならない。外出が許されるのは開拓祭のときだけだ。人類の威信を懸けた大作戦ではあるが、彼女にとっては貴重な外出の機会。退屈させるのも忍びない。


「見てください、ウルル高地です」フランドール王姫が言う。


 右手に広がる荒野に、赤土のような色をした岩山が見える。山と呼べば小さく見えるが、あれがひとかたまりの岩だと知ったとたん大きく見えるのだから不思議だ。


「また行きたいですね」


 フランドール王姫が言うと、正面でローズさんとイチャイチャしていたサブレがぎょっとした。サブレはその勢いでローズさんの膝枕から逃れようとしたのだが、頭をぐっと押さえつけられる。


「フランドール王姫はウルル高地に入ったことがあるのですか?」

「こらロベル、そのような体勢で王姫に話しかけるものではありません」

「だったら開放してください……」

「ほら、スペースビーンズです。大人しくしていなさい」


 ローズさんは腰に下げた袋からクリーム色の豆を取り出し、サブレの口にねじ込んだ。ローズさんの実家で採れた豆らしく、ローズさんはスペースビーンズと呼んでいるが、正式名称はボナンザらしい。


 目の前でイチャつく二人を見て、フランドール王姫はクスリと笑う。


「十二歳のとき、ライナ様が連れて行ってくださったんです。レインボーサーペントの卵が孵化するところも見たんですよ」


 ウルル高地は儀式場だ。赤ん坊くらいなら丸呑みにできるモロクリザードや、トゲの生えた背中で飛びかかってくるトゲホップマウスが出没する、立派な危険地帯である。王姫は魔物に襲われないとはいえ、そんなところに連れていくなんて十二歳のライナはとんでもないやんちゃボーイだったらしい。


「ライナ様といい、ローズさんといい、僕みたいな凡人には理解できないことばかりだ……さしあたってはなんで膝枕されてるんだろう……」



 黙れ小僧。いや、サブレのほうが年上だけど。十九歳らしい。童顔過ぎて年下にしか見えん。さっきからイチャイチャしやがって。すごく羨ましい。


 嫉妬の炎を燃やしていると、相変わらず俺の太ももに乗っているフランドール王姫の手が、ぺしぺしと太ももを叩いてきた。


「見てくださいライナ様」


 フランドール王姫の示すほうを見やると、ウルル高地の真上に虹が架かっていた。


「レインボーサーペントが手を振っているのでしょう」ローズさんが言う。


 レインボーサーペントはその名の通り蛇だから、手なんてない。呪いゆえの間違いだろうが、一周回って詩的にも感じる。


「ライナ様、いつかもし、私が自由になったら、また連れていってくださいますか?」

「もちろん」


 塔に閉じ込められたお姫様。毎夜忍び込んできた幼き日のライナから、冒険譚を聞かせて貰うのが何よりの楽しみだったという。そんな彼女にたくさんの世界を見せてあげたいと思うのは自然なことだ。


 たとえ、そのときのライナが俺ではなかったとしても。

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