殉教者の群れ編開始

第1話

 あの日の失敗が頭をよぎる。忘れもしない、六月二九日に起こった悲劇。俺は大切なヒロインの一人、クラミー・ヴォルフガングという少女を失望させてしまった。わからないことがあればなんでも訊き、詳細かつわかりやすい解説を求め、そうやって散々頼ったあげく、俺は彼女の誕生日という一大イベントを見過ごしてしまったのだ。


 俺はサンちゃんの部屋で見た羊皮紙のことを思い出す。その羊皮紙は、何度もしわくちゃになったあとがあり、焦げたり破れたりしている部分もあった。そんなぼろぼろの羊皮紙を、サンちゃんは額縁に入れてひっそりと自室に飾っていた。そこには太く子どもっぽい字でこう書いてあった。


『クニツ・ライナ冒険隊 心得 その一――誕生日は絶対に祝う。生まれてきて良かったと思ってもらおう』


 ライナが十二歳のころに作ったものだ。心得は、その二、その三、と続いていき、羊皮紙は三分の一ほどが余白になっている。思いついたそばから書き足していく仕組みだったらしい。もっとも、所詮は子どもの思いつきだったのか、ここ四年ほどはなにも書き足されていない。


 しかし、それはクニツ・ライナの初心に違いない。真の英雄になるため、本物のクニツ・ライナに追いつくため、俺はこの心得を守らなければならない。だからこそ。


「お願いだカンちゃん! 給料を前借りさせてくれ!」


 土下座で頼み込む俺を、メイドにして魔女のカンちゃんが冷ややかに見下ろしていた。


 俺の給料が支払われるのは月末だ。つまり次の給料は七月三十日に支払われる。しかし、それでは間に合わないのだ。ステフの誕生日は七月三十日なのだから。


「ちゃんとプレゼントを準備して、万全の状態でお祝いしたいんだ!」

「先月のお給料はどこへ消えたのでしょうか? 多いとは言えませんが、ここで暮らしている以上は食費もかかりませんし、無駄遣いしなければ残っているはずですが」

「先月の給料はクラミーへの誕生日プレゼントで吹っ飛んだ」


 メイクボックスと化粧品のセットである。平均的な騎士の月給を下回る俺の給料は、一発で消し飛んだ。


「ライナ様には金貨五千枚の貯蓄があったはずです。いえ、私が管理しているのであるのは分かっているのですが、それを使えばいい話でしょう」

「いや、なんというか、ほら、俺って記憶喪失だから、あんまり自分の金って感じがしなくて、使うのがためらわれるというか……」


 あれはライナの金だ。偽物の俺が使ってはいけない。


「ステフ様のドレス代はそこから出したと記憶していますが」

「ぐっ……いや、それはその、やむをえず……」

「言っていることが矛盾している自覚はありますか?」


 だってしょうがないじゃん! あれは必要経費だったんだよお。ほかにどうしようもなかったから、やむを得ず手をだしたわけであって、今回はまだ前借りという手段を思いついたわけだし、まずは自分の力でなんとかするべきだと思って……。


 などという言い訳は口にできず、俺は真摯に頭を下げるしかなかった。


 淡泊な態度とは裏腹に、カンちゃんは意外と情にもろい。こうやって頭を下げ続ければ、しょうがないですね、とため息交じりにお願いを聞いてくれるはず。


「しょうがないですね……」


 計算通り。


「今、悪い顔をしましたね」


 ばかな。なぜバレた。土下座している俺の顔は見えないはず。そうか、魔女魔術か。監視カメラよりも隙間なく、カンちゃんは魔女魔術によって邸内を監視しているのだ。俺は急いで必死な顔を作る。


「今更取り繕っても無駄です。呪いで弱っているからと、少々甘やかしすぎたようですね。トイバー家の当主代理として、その計画性のなさは許されません。ステフ様へのプレゼントは諦めるか、自分の考えを曲げてまでプレゼントを贈るか、自分で考えてください。そしてどちらにせよ反省してください」


 カンちゃんは淡泊に言い、照明を落としたようにぱっと姿を消した。

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