第39話

 右側から照りつけてくる太陽を、うんざりと見上げる。この世界にも季節の変化はあるらしく、昨日までは確かに春の陽気だったのが、突然の猛暑日になった。


 うんざりしている理由はそれだけじゃない。視線を下ろせば、歩に合わせて揺れるとんがり帽子が目に入る。さらに下ろせば、熱心に喋り続けるクラミーの横顔が見える。普段はビン底メガネに隠れているきついつり目が、ちらりと見える。口元だけは脳天気にぱかぱかと動いているが、目だけ見ると真剣なようにも見える。


「であるからして、結局、ハインツ家の一人勝ちなのですよ」


 建物の日陰を歩くクラミーは、このクソ暑い中、マントのようなローブで体をすっぽりと覆っている。中は熱がこもってさぞ蒸し暑かろうと思ったが、ずっと平気そうな顔で喋り続けている。


「先代当主が領地の下見に行っていたのも、思えばおかしいのです。戦争で大勢の騎士を失い、侯爵の地位は当分先延ばしであったはずなのです。騎士団の移籍も恐ろしくスムーズな手際でした。まるで、事件が起こる前からザイファルト家の解体を予測していたかのようではありませんか」


 暑くないなら、日陰側を譲ってはくれないだろうか。道行く人は日傘やら帽子やらで照りつける太陽から身を守っているというのに、俺は右側から思いっきり太陽の光をくらっている。顔の右半分が焼けただれそうだ。


「ザイファルト家の悪事は全て暴かれ、しかし、カレン婦人とリコ殿には一切の非難が集まりませんでした。これも黒魔術の影響ではないかと、天才の頭脳はひらめいたのです。プエル殿の黒魔術は、周囲に自分を『悪徳貴族』と思わせることができるのですよね?」

「ああ、そうだな」



 てきとうに返事をしながら、額から垂れてきた汗を拭う。人とすれ違うたびに二度見されるのは、ライナが有名人だからか、クラミーが有名人だからか、それともこのクソ熱い中、ローブを着込んでいるクラミーを見たからか。


「その力は、ザイファルト家への悪いイメージを自分一人に向けさせる効果もあったのではないでしょうか。いかにカンレ婦人の立ち回りが上手かろうと、被害者のようにすら言われているのは不自然なのです。それも満場一致で。なんらかの力が働いているとしか思えません。そしてそれは、十中八九、プエル殿の黒魔術でしょう」


 右に曲がり、ハインツ魔術学校に繋がる大通りに出る。太陽を正面にとらえ、まぶしさで目を細める。大通りは人でごった返していた。人混みと熱気で吐きそうだ。


「なにが言いたいのかというとですね、全て計画通りだったのではないか、ということなのです。プエル殿はアンドレアスの悪事を表沙汰にしたかった。しかし、カレン婦人やリコ殿まで悪人のように言われるのは避けたい。そこでとった手段が、黒魔術によって全ての悪名を背負い込む、というものだったのではないでしょうか」


 クラミーの話はとても聞きたい内容じゃなかった。もっと言うと、腹立たしいとも思う。まるで面白い陰謀論を語るような口調なのだ。


「なにが言いたいんだよ」


 少しトゲのある言い方をしてしまう。しかし、クラミーは気にした様子もなく、


「いえ、だとすれば、プエル殿は生きているかもしれない、と」

「そんなはずないだろ」

「しかし、妙だと思いませんか? アリア大司教が駆けつけたとき、ディエゴ殿は神聖魔術を使うのを止めたと聞いています。それに死の間際、プエル殿は確かに自我を持ってライナ殿に話しかけたのでしょう? それは黒魔術のコントロールが上手くいった証拠では? 死体のねつ造など、ハインツ家とザイファルト家が協力すればなんとでもなるでしょうし」

「ディエゴが止めたのは、もうプエルが死んでたからだ。無駄だから止めたんだよ。ディエゴの黒魔術は悪党を殺すものだ。放っておけば死ぬくらいの傷を与えれば、黒魔術でとどめをさせる。それに、治ったところで俺にプエルは救えなかったんだから、結局はおんなじ事だ。会話ができたのは、ほんの少しだったし、そもそも自我を失ってる最中も喋ってたし。会話が成り立ってた気はしないけど、少なくとも喋れはしたんだから、死の間際に喋りかけてきても不思議じゃない。だから、黒魔術をコントロールできるようになったのかは、わかんねえだろ」


 クラミーの言う通り、全てはプエルの思惑通りで、死を偽装して今もどこかで生きている、そのほうがいいはずなのに、否定する材料ばかり探してしまう。理由は自分でもわかっている。クラミーの言うことに迎合する自分は、ありえない可能性に未練がましくすがっているように思えて嫌なのだ。ようやく前を向く決心をしたのに、今更蒸し返して欲しくない。それなのに、クラミーはなおも続ける。


「ディエゴ殿はどこへ消えたのでしょうね。カレン婦人のことを一番に慕っているのなら、カレン婦人か、カレン婦人の頼みでリコ殿の付き人にでもなっているはずでしょう。黒魔導師であることは表沙汰になっていないわけですし。それが忽然と姿を消したのは、プエル殿と一緒にいるのではないでしょうか」

「プエルが死ぬ原因を作ったんだぞ。カレンにもリコにも顔あわせらんねえだろ」

「うーむ、はたしてそのようなお人でしょうか」

「それか俺たちには黙って、実はこっそりカレン婦人についてるとか」

「そちらのほうがしっくりきますね」


 クラミーから視線をそらし、行き交う人々を見る。不安そうな顔。希望に満ちあふれた顔。新天地への想いが、様々な表情になって歩いている。人混みのほとんどは、ハインツ領への移住を申し込みに来た人間だ。新たな領地への移住は危険も伴うが、メリットもある。タダで土地をもらえるし、しばらくのあいだは領主が生活の保証をしてくれる。街を新たに一つ作るのだから、とうぶん仕事には困らない。生活に行き詰まった人間からすれば、新たな人生をスタートするこれ以上無いチャンスだ。


「今朝方リコ殿から手紙が届いていたようですが、旅は順調そうですか?」


 俺がうんざりしていることにようやく気づいたのか、クラミーが話題を変えてきた。リコの名前を聞いた途端、さっきまでの気分が嘘のように顔がにやけるのが自分でもわかる。


「昨日、アルフ領についたってさ。アンドレアスはアルフ侯爵の息子で、勘当同然で家を出たらしいんだけど、息子は息子、孫は孫、ってことで快く迎え入れてくれたって」


 それと、綺麗な服をたくさんもらったから、帰ってきたら見せてくれるって。えへへ、楽しみだなあ。


「ほう、それは初耳なのです。アンドレアス・ザイファルトはアルフ家の血筋でしたか。家名を変えていることといい、出身を隠していたことといい、そうとう仲が悪かったのでしょうね。しかしまあ、アルフ侯爵はとにかく優雅さを重んじるお人らしいので、邪険にはしないでしょう。きっと今頃、パーティーでも開かれているのです」


 リコは今、カレンと一緒にビフロンス領を目指して旅立っている。なんでもプエルの墓を建てるらしい。護衛にはアメリゴ騎士団がついているらしいので安心だろう。


 見送りに行ったときのことを思いだし、さらに顔がにやける。クラミーが俺を見て、ため息をついた。


「ライナ殿の顔を見て腹立たしいと思うのは初めてなのです。まったく、だらしのない」クラミーは言ったあと、声を甘くして、「ライナ様に会えないのは寂しいわ。とうぶん帰ってこれないけれど、私のこと忘れないでいてくださる?」とリコの真似をした。


 あまり似ていなかったが、それでも思い出す。


 あんなことがあったんだから、忘れないよ。プエルのことでまだ落ち込んでいた俺がそんな言葉を返してしまったとき、リコは頬を膨らませてこう言ったのだ。


『もうライナ様、そんな悲しい理由で覚えられていても、私、嬉しくないわ。そうだ、決めた。クッスレアに帰ってきたら、ライナ様と楽しい思い出をたくさん作るの。お兄様のことなんて忘れちゃうくらい。ふふっ、楽しみにしててねライナ様。私、この旅で、ライナ様を楽しませる方法、たくさん考えてくるから』


 クラミーが口をへの字に曲げ、俺を見つめていた。俺がそれに気づくと、クラミーはぷいっと顔を正面に向け、大股で歩き出す。


「待ってくれよ」


 俺も歩を合わせ、緩みきった表情のまま、拗ねんなよ、と言う。


「拗ねていないのです」クラミーはくい気味に否定し、「ただ、なんと言いますか、悔しいのですよ! 乙女として完敗なのです! 私はおっぱいまで使ったというのに!」

「おい馬鹿、こんなとこで、そんなこと言うなよ」

「馬鹿!? 馬鹿と言いましたか今! この天才に向かって、馬鹿と!?」


 しまった。クラミーに馬鹿は禁句だった。


 ムキー、とサルのような声でクラミーは悔しがり、その場で止まって手足をばたつかせた。通行人が邪魔そうな顔で俺たちを避ける。暴れるクラミーをなだめていると、通行人の一人とぶつかってしまった。


「あ、悪い」


 顔をあげると、吸い込まれそうな碧眼と目が合った。俺と同い年くらいの、端整な顔立ちをした青年だった。太陽を背にして、くすんだ金髪が鈍い輝きを放っている。


「すまなかった」


 邪魔になっていたのは俺たちなのに、やけに神妙な声で謝ってきた。


「本当に、すまなかった」


 もう一度謝ってくる。深々と頭を下げてきたせいで、青年の向こう側にあった太陽が目にあたり、まぶしさに目をつむってしまう。そのあいだに青年は通り過ぎていった。振り返り、青年の背中をじっと見つめる。


「どうしたのですか?」

「いや、なんか、違和感が……」


 なんだろうか。雑踏に消えようとする姿に目を懲らす。しかし、姿が消えるまでに、違和感の正体は見つけられなかった。


「行きましょう。マスター殿から領地の開拓について話を聞くのでしょう?」

「ああ、うん」


 なぜだか、無性に後ろ髪を引かれる思いだった。クラミーがいなかったら追いかけていたかもしれない。誰かに似ていた気がする。しかしその誰かを思い浮かべようとすると、その誰かは頭の中で黒いもやになってすっと消える。


「あっ、そうだ。影だ」


 歩き始めて数分、唐突に気づく。


「影?」

「さっきぶつかってきた人、影の向きがおかしかった気がして」

「といいますと?」クラミーが真正面の太陽を見やる。

「逆光だったのに、やけに顔がよく見えたんだよ。だから、影の向きがおかしかったのかなって」

「はっはっは。きっとライナ殿が光り輝いていたのでしょう。太陽に負けず劣らず」

「そんなわけあるか」

「ライナ殿が言い出したのではありませんか」

「まあ、そうだけど。気のせいだよな、流石に」

「きっと暑さにやられたのですよ」


 そうだ。暑さにやられたに違いない。ただの見間違いだ。そう思いつつも、足を止め、振り返ってしまう。ゆらゆらと揺れる人混みに、あの背中を探す。見つかるはずがないのに。あんなにはっきりと見えた顔は、もうぼんやりとしか思い浮かべることができない。でもどうしてだろう、また会えたら思い出せる気がする。それに、きっとまた会える。


 そう思うと、不思議と心が軽くなった。


「ライナ殿? なぜ笑っているのですか?」

「ははっ、なんでだろ」


 本当に暑さで頭がおかしくなったのかもしれない。


 前を向く。人混みの終わりはまだ見えない。息苦しく、暑苦しい。真正面の太陽も俺を苦しめるように熱を発している。こっちにこい、もっと苦しめてやる。そう言っているみたいに思えた。それでも、嘘みたいに軽い足取りで、俺の足は動き出す。

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