第33話

 突然現れたリコは食堂の入り口で膝を折り、地面に頭が着くまで頭を下げた。


「ライナ様、突然の無礼をお許しください」


 土下座なんてされたのは初めての経験で、猛烈な罪悪感に襲われた。急いでリコに駆け寄り、頭を上げるよう頼む。しかし、リコは頭を上げず、どうか、お兄様を助けてください、と言いつのった。


「リコ殿、そう勢いだけで話されては、我々も困ります。どうか一度落ち着いて、椅子に座って事情を説明してください」


 クラミーが落ち着いた声音で言うと、リコはようやく頭を上げた。しかし、両手は床につけたまま、早口で事情を話す。


「黒魔術に心を呑まれたからと、ディエゴがお兄様を殺そうとしているの。お母様が魔女魔術で二人を取り押さえているのだけれど、でも、それもいつまで続くかわからないし、私、もうどうしていいのか」


 リコはくちびるを震わせ、かがんだ俺の腕にすがりつく。


「お願いします、ライナ様、私にできることならなんでもしますから、どうか、お兄様を」


 リコの取り乱しように驚く。俺にはクソみたいな両親しか家族がいなかったから、家族への想いというものがどれほど大きいのか、よくわからない。しかし、あのリコがこうも取り乱すということは、よほど大切なのだろう。


「わかった。わかったから。とにかく落ち着いてくれ。俺にできることなら、なんでも協力する」


 リコは詰まらせていた息を吐き出し、目尻に浮かんだ涙をさっと拭った。そして、ありがとうございます、と何度も言いつのる。


「立てるか?」


 言いながら、リコの手を取り、ふらつく彼女を立たせた。


「ライナ様、本邸にいらして。お母様が、ライナ様ならなんとかしてくれるって」


 リコがやや強引に俺の腕を引っ張ると、反対側から、デイガールが俺の腕を掴んできた。


「ちょっと待てライナ。まさか、行く気じゃないだろうな?」

「あたりまえだろ」


 言いながら振り返ると、デイガールは睨みつけるように俺を見ていた。


「罠だとは思わんのか?」

「はあ!?」思わず大きな声が出る。「罠? だったらなんだよ! こんなに必死に頼まれて、放っておけるはずねえだろ!」

「嫌なことを言うようですが、今のライナ殿は、無力さに打ちひしがれていたところを頼られ、なにかできるかもしれない、と根拠もない希望にすがっているとしか思えないのです。行ったところでなにもできないことは変わりません。ましてやデイガール殿の言うとおり、罠の可能性もある。とても行かせられる状況ではないのです」

「それでも……」反論する言葉が思い浮かばない。すべてクラミーの言うとおりだ。


 助けを求めるようにカンちゃんを見てしまう。なにか、俺が行ってもいい理由を見つけたかった。

「私はメイドですので、ライナ様の行動に口を挟むようなことはできかねますが、それでも意見を求めるというのであれば、あの人は自分の名前を使い誰かを罠にはめるような人ではないかと」

「そうよ! お母様はそんなことしないわ!」


 リコはこの場にいる人間を見回しながら、訴えるように言う。しかし、デイガールもクラミーもまったく信用していない様子だった。


「付け加えさせていただくと、私が言いたいのは、これが罠だとするならば、あの人が自分の名前を出すはずがありません。なにかしらの悪事に関わったとしても、糾弾されるような立場には居ない。あの人はそういう人です」


 信用のされかたが悲しいが、カンちゃんの言葉には、デイガールもクラミーも納得の色を見せていた。


「まあ、確かに、カン殿の言うとおりかもしれませんが……しかし、ライナ殿が行ったところでなんになるのですか?」


 手放しで信頼されていたときはその信頼を重荷に感じてもいたが、こうなったらこうなったで悲しい気もする。事実なので何も言えないが。

「でも、お母様はライナ様ならなんとかしてくれるって……」


 リコはすがるような目で俺を見てきた。どうにかしてあげたいと思うが、クラミーたちの言うとおり、俺に何ができるのか全くわからない。


「行かせてくれ」


 俺はクラミーとデイガールに頭を下げていた。そうする以外に方法が思いつかなかった。心配してくれる仲間の制止を振り切る以上、こうすることが誠意だとも思った。


 役に立たないかもしれない。なにもできないかもしれない。さっきだって諦めかけていた。それでもやはり、ライナを頼る誰かがいるのなら、俺はそれに全力で応えたい。たとえ偽物だったとしても。


「勝算はあるのか?」

「……ない」


 デイガールのため息が聞こえる。


「変わったな。お前はもっとリアリストだと思っていたが」

「根っこのところはお人好しなのですよ。なんだかんだいって最後は手を差し伸べてしまうのです」

「まあ、諦めが悪い男ではあった」

「やれやれなのです」クラミーはわざとらしく肩をすくめて、「それでは行きましょうか」と歩き出す。それをデイガールが羽交い締めにした。

「なにをするのです?」

「お前と私は留守番だ。邪魔になるだけだろうが」

「デイガール殿はともかく、天才の頭脳は必要でしょう」


 じたばたともがくクラミーを、デイガールはなんなく取り押さえる。


「今のライナにお前を守る余裕はない。ここは一人で行かせるのが正解だ」


 クラミーはくちびるを尖らせたまま大人しくなった。


「それじゃあ、行ってくる」

「ああ。私は眠らせてもらうよ。帰ってきたら起こしてくれ」デイガールはあくびをして、「カン・ハファーカイ、クラミーがトイバー邸を出ないよう見張っておいてくれ。ライナもそれでいいな?」

「ああ。よろしく頼む」

「承りました」

「横暴なのです」


 すねた子どものようなクラミーと、眠そうな顔をしているデイガール、それからいつも通りに「いってらっしゃいませ」と頭を下げるカンちゃんに見送られ、俺はザイファルト家本邸に向かった。

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