第32話

 逃げたディエゴと、それを追っていったデイガールはどうなっただろうか。マスターは今なにをしているのか、プエルはどこに行ったのか。事件は解決に向かっていた気がしていたのに、いつのまにかなにもわからなくなっている。


 夜明けが近づいたころ、トイバー邸へと帰り着いた。こんな時間でもカンちゃんはいつも通り出迎えてくれ、食堂にデイガールがいると言われた。駆け足で食堂に向かうと、カンちゃんの料理を急ぎ口に運ぶデイガールがいた。


 テーブルには俺とクラミーのぶんも食事が並べられている。そういえばもう何時間もなにも口にしていない。食欲はないが、食べなければいざというときに力が出ない。


「とにかく時間が無い。食べながら聞いてくれ」


 デイガールは水をがぶ飲みしたあと、ディエゴを追いかけてからのことを説明してくれた。


「すまないが、ディエゴ・ベガには逃げられた。夜明けが近かったものでな。部下に監視を頼んで、私は撤退した。それと、プエルの居場所がわかった」


 突然のニュースに、食べていた料理で喉を詰まらせる。デイガールは俺が落ち着くまで待ってから、


「ザイファルト家本邸だ。おそらくディエゴ・ベガもそこに向かった。今頃到着しているころだろう」


 プエルとディエゴは合流したのか。理解した途端、俺は思わず立ち上がっていた。勢いをつけすぎて、椅子が大きな音を立てて倒れる。


「落ち着け。どうしたいきなり」

「ディエゴはプエルを殺す気だ!」

「なに?」


 デイガールの顔に困惑の色が浮かぶ。そうだ、デイガールには、俺が捕まっていたときに聞いた話を伝えていない。


「えっと、俺が捕まってたときの話なんだけど、その、ディエゴはプエルが黒魔術をコントロールできなかったら殺すって言ってて、だから、あいつがプエルに会うのはマズいんだよ」


 要領を得ない俺の話に、デイガールは手のひらを向けて、「待て、落ち着いて順番に話せ」と。


 俺は一度深呼吸をし、ディエゴが黒魔術をコントロールできることやその方法、マスターがそれを知るためにディエゴたちに協力していたことなど、俺が知った事件の全貌を説明した。


 説明を聞き終えたデイガールは、額に指を当てて考え込み、歯切れ悪く言う。


「それは、つまり……私があいつの太陽、になる予定だった、ということか?」

「ディエゴはそのつもりみたいだった」

「しかし、失敗した、と」


 なにやら複雑そうな顔で、デイガールは再び考え込む。しかし、その時間が惜しいと思ったのか、ぱっと表情を切り替え、椅子から立ち上がった。


「とにかく、ザイファルト邸に行くぞ。悪いがここから私は戦力外だ。正直、戦力が心許ない。ライナ騎士団にはお前以外に戦力はいたか? 少なくとも、私の記憶にはないが」

「ライナ騎士団に戦闘要員はいません」


 俺が答えるよりも先に、クラミーが即答した。


「そうか。悪いがうちも人員は出せない。ライド装置持ちの黒魔術師が相手では、何人殺されるかわかったものではない。加えて場所も最悪だ。カレン婦人が敵に回っているのなら、ほとんど打つ手がない」

「というより、完全に手詰まりなのです」


 クラミーにこうもはっきり断言されると、俺がいくら考えても無駄だという気になってくる。というより、これは卑屈になっているわけではなく事実として、俺が考えつくことなど、クラミーにもデイガールにも考えつくことだろう。要するに、本当に打つ手がないのだ。このままディエゴがプエルを殺すのを見過ごすしかない。


「現実的な話をしましょう。ディエゴ殿がプエル殿を殺すつもりだとして、それはもはや致し方ないのでは? プエル殿は黒魔術をコントロールできなかったのでしょう? ライナ殿の話を聞く限り、黒魔術に心を呑まれないためには、それを打ち消すほどの光が必要。これはつまり、心の支えになるような、心の闇を打ち払ってくれるような存在のことでしょう。プエル殿のことは詳しく知るわけではありませんが、やはりそれはデイガール殿以外にいない気がします。それも失敗したのなら、やはり殺すしかないのでは?」


 俺もデイガールも何も言わなかった。その沈黙こそ、肯定に他ならないとしても、否定することができない。


「希望的観測をするとすれば、カレン婦人やリコ殿がその光になってくれれば、とは思いますが、いずれにしろ今の我々にできることはないのです」


 クラミーは言って肩をすくめる。薄情にも見える態度だったが、言っていることは正しい。


 段々と諦めの空気が漂ってきた。デイガールも必死に考えているようだったが、やがては椅子に座り込み、「なんとかしたかったが……」とつぶやいた。


 俺は諦めきれず、無駄だとわかっているのに、なにか方法はないかと考えを巡らせる。しかし、いくら考えてもいい方法は浮かばない。力を入れすぎて血の気が引き、白くなった握りこぶしで、机を叩く。


「くそっ……」


 プエルのやったことは間違いだった。それはわかってる。けど、死ぬのはあんまりだ。たとえそれが自業自得だとしても、救ってやりたかった。


 苦しんでいたのですね。クラミーの言葉が脳裏によぎる。きっとプエルも苦しんでいたに違いない。尊敬していた父親が実は悪人で、それどころか、夢のきっかけになったデイガールの笑顔を奪った張本人だった。何も知らなかった自分を責めただろう。少しでも贖罪を果たさなければと焦ったに違いない。だから力を求めたのだ。その力が邪悪なものだったとしても、一縷の望みに賭けたのだ。もしその賭けに失敗したのなら、ディエゴに自分を殺すよう命令してまで。


「ばかやろう」


 その言葉とともに、俺は崩れ落ちるように椅子に座った。


 食堂で三人、なにをするでもなく、無言でいる。デイガールは腕を組んだまま、じっと壁の一点を見つめている。クラミーは羽ペンをもてあそびながら、テーブルに肩肘をついている。俺は二人の様子を見て、下に視線を落とし、じりじりと押し寄せてくる己の無力さへの絶望に身を委ねていた。


 きっと明日には、プエルの訃報が街を駆け巡るだろう。命令を果たしたディエゴはどうするのだろうか。それも話し合ったほうがいいことなのかもしれないが、デイガールもクラミーもそれを口にしないということは、今はまだそんな気分じゃないのだろう。


 そんなふうに、ほとんど諦めかけていたときである。


「ライナ様、リコ・ザイファルト様がお越しです」


 カンちゃんの台詞のすぐあとに、息を切らしたリコが食堂に飛び込んできた。

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