第21話
調査はたった二日で終わった。
スター・イン・マイ・ハーツが屋根の上に現れたとき、魔女魔術によって邸内を監視していたカレンは、全員が所定の場所にいるか確認をとっていたらしい。そんなカレン曰く、持ち場を離れていた人間はいなかったという。
これだけでもじゅうぶんなアリバイに思えたが、プエルはきちんと全員に話を聞いて回った。本当に真面目なやつだと、俺は心底感心した。
ちなみに俺はこの二日間、調査を行うプエルについて回っただけで、特になにかしたわけではない。警備参加者への聞き込みも一切口をはさまず様子を見ていただけだ。
そんなわけで、仕事とはいえ二日間をプエルと共に過ごしたわけだが、まったく仲良くなれた気がしない。同年代の男友達というものに憧れていた俺は、自分なりの面白トークをしてみたのだが、すべてどん滑りし、さらには無駄口を叩くなと怒られた。まあ、これはつまらない話をした俺が悪いのかもしれない。しかしそれ以外にも、調査中のプエルはずっとピリピリしていたように思う。もっと肩の力を抜けよ、と軽く肩を叩いてみたときも、ぎろりと睨みつけられた。
そのあたりからである。まったく生真面目なやろうだぜ、というプエルへの印象が、あれ? もしかしてこいつ、俺のこと嫌ってね? という印象に変わった。だからして、調査終了直後、プエルからチェスをやらないかと誘われたときには、心底驚いた。
「俺と遊んでくれるのか?」
あまりの出来事に、卑屈な台詞が飛び出てしまった。
「君は遊び相手がいないのか?」
哀れみの表情を向けられた。
「いないわけじゃないけど、てっきり嫌われてるのかと」
「なぜ僕が君を嫌う。確かに、仕事中の無駄口はやめて欲しかったし、なれなれしいやつだとは思っていたが、嫌いになるほどじゃない」
それはもうほとんど嫌っているのでは?
「それで、どうするんだ?」
「やるやる!」
俺の食いつきように驚いたのか、プエルは軽く身を引きながらも、じゃあこっちだ、と遊技場に案内してくれた。ちなみに今居るのは本邸ではなく、ザイファルト家の敷地にある、アメリゴ騎士団専用の寮だ。本邸よりも広く、団員一人一人にホテルのスイートルームめいた部屋が与えられており、独り身である団員の多くはここに住んでいる。という説明を聞いたものの、呼び出した騎士以外、まだ誰とも遭遇していない。遊技場に着いても、誰も居なかった。
「雇い主が来てるんだ。非番でも訓練にいく」
「そんなもんか」
「そんなものなんだろうさ。僕は別に、休暇中に体を休めることを咎めたりしないが、戦前は厳しかったと聞いている。仕事と訓練は別だったそうだ。週五日働いて、休みの日は自主訓練に強制参加、という具合にな」
強制参加ならそれはもう自主訓練じゃないのでは?
「今は周に三日働いて、二日は訓練ということになっている」
「お前が変えたのか?」
「表向きはそうなってる。でも変えたのは父上だ。戦争で多くの騎士が死んだのは君も知っているだろ。必然的に多くの人員を補充しなければいけなくなった。ハインツ家も似たような状況だったから、人の取り合いになったんだよ」
「ブラック企業に人は集まらなかったわけか」
「そういうことだ。それで、改革の準備をしているあいだに父上は死んでしまった。僕はそれを受け継いだにすぎない。待遇の改善に騎士たちは大喜び。僕の株もあがった」
駒の準備を終え、顔をあげると、プエルが嫌に真剣な表情で俺を見ていた。
「ずるいと思うか?」
「別に」
俺はもっとずるいことしてるしな。英雄クニツ・ライナの功績をまるごと頂いている。
「君のそういう態度も、美徳の一つなのか」
「なんの話だ?」
「なんでもない。勝負を始めよう。初めに言っておく。手加減はしないでくれよ。リコ相手にふざけた負け方をしたようにな」
「違う。真剣にボコられたんだ」
傷口をえぐるんじゃねえ。自分で言ってて情けなくなるだろうが。
「嘘をつくな。相手の駒を一つもとれず、味方は全滅。こんなふざけた負け方、わざととしか思えない。テーブルテニスでも妹を馬鹿にするようなプレイだったそうじゃないか。改めて言うが、リコも心底怒っていたぞ。あんなにつまらない人だとは思わなかった、とな」
いまだにわざとだと思われているのか。そりゃそうか。かのクニツ・ライナが、こんなにもスペックの低い人間だとは思いもしないだろう。わざとだと思う方が自然だ。だが残念だったなプエル。目の前にいる男はクニツ・ライナじゃない。英雄の皮を被った凡人以下のクソ雑魚ナメクジだ。とはいえ、あなどることなかれ。ナメクジも成長する。療養期間で俺はチェスの特訓をしたのだ。サン・シードという引きこもりのお姉さんに基礎をたたき込んでもらった。こういう形にすると相手は攻めづらいよ、とサンちゃんが教えてくれた陣形が、薄ぼんやりと頭の中にあるのだ。今の俺はナメクジに防御力をプラスした、つまりカタツムリだ。外殻を得た俺の堅さ、とくと味わうといい。まずは鉄壁の布陣を敷いてから、カタツムリのようにゆっくりと攻めさせてもら……。
「チェックメイト」
瞬殺である。
「真面目にやれと言ったはずだ。それとも、僕程度の男に本気を出すのはふざけた行為だとでも言いたいのか?」
やばい。プエルが苛ついている。
「聞いてくれプエル。俺は真剣だ。真剣と書いてマジだ。マジで弱いんだ。お前のポーンを三つとって喜んでいるほどのクソ雑魚カタツムリなんだ」
「馬鹿にしているのか?」
「違う。馬鹿なんだ」
「もういい。君とは一度、真剣に話をしてみたいと思っていたが、君にその気が無いのなら僕も願い下げだ」
怒気をはらんだ声で言い、プエルが席を立つ。そのまま立ち去ろうとしたので、俺はすがるようにその腕を掴んだ。
「なんだ、離せ。君と交わす言葉はない」
「待ってくれ。本当なんだ。信じてくれ。俺は馬鹿なんだ。いや、腹の底では、実際そこまで馬鹿なわけじゃないよね? とか思ってるけど、でもやっぱり結果を見るに馬鹿なんだ」
「なにを言って、くそっ、離せ。やめろすがりつくな!」
「嫌だ嫌だ! もうちょっと遊んでくれよお。これでも療養期間中にたくさんチェスの勉強したんだよお。なあお願いだよ。男友達と遊んだことないんだよお」
異世界に来たら友達も恋人もできると思ってたんだ。それがなんだよ。勝手にクニツ・ライナとかいう馬鹿でかい看板背負わせやがって。おかげで引け目ばっかり感じて、女の子相手には一歩引いちゃうし、ていうか引かざるをえないし。同年代の男はなんか尊敬のまなざしで見てくるやつばっかりで、結局うしろめたさが勝ってしまう。対等に接してくれるのはこいつしかいない。
「うおおお! 離せと言ってるだろうが」
「ぬおおお! 絶対離さねえぞ。諦めろこの野郎、お前しかいねえんだ。お前は俺の友達になるんだよ。それで一週間くらいで親友にレベルアップすんだよお!」
「なにを言ってるんだ君は!?」
必死にすがりつく俺を、プエルは無理矢理引き剥がそうとするが、意地でも離れてやらなかった。そうして粘りに粘り、結果として俺は、もう一度プエルを着席させることに成功した。
「プライドというものはないのか」
押し問答で疲れたのか、プエルはぜえぜえと息を吐きながら、首元のネクタイを緩める。
「プライド? 芽を出す前に枯れちまったぜそんなもの」
「格好良く言うな……いや、格好良く言えてるのか?」
プエルは息を整えたあと、俺が暴れたせいで床に落ちていた駒を拾う。黒と白の駒を几帳面に並べ直し「それで、もう一戦やるのか?」と尋ねてくる。
「もちろんだ」
俺はさっそく白のポーンを手に取り、宙にさまよわせた。
「なにを迷っている?」
「いや、どこに進ませようかなって」
「ポーンは前にしか進めないだろう」
俺は無言で手に持っていたポーンを前に進ませた。プエルはまったく悩むことなく黒の駒を動かす。
「まったく、君が本気でうっているのかどうかは、このさい置いておこう。それで、なにか話でもあるのか? あれだけ必死に引き止めたんだ。僕に聞きたいことでもあるんだろ?」
「プエルって好きな子とかいんの?」
友達との恋バナに憧れを持っている俺はそんなことを訊いてみる。
「はあ? なんだ藪から棒に。ああ、そうか。もしかしてデイガールのことを聞きたいのか?」
「え? プエルってデイガールとなにかあんの?」
そういえばダイアモンドクラブでそれっぽいことを言っていたような。デイガールがテーブルを蹴り砕いたのが衝撃的すぎてよく覚えてないけど。
「知ってて聞いたんじゃないのか? それともからかっているのか?」
「違う違う。マジでなんにも知らん」
プエルは疑いの視線を向け、やがて大きくため息をついた。
「君と話していると、なんだか色んなことが馬鹿らしくなる」
「いいじゃん。馬鹿らしい会話しようぜ」
せっかく男同士なんだ。そういうので盛り上がってみたい。
「しかしデイガールか。良いやつだもんな。それになんつーか、同い年の割には妙に大人びた色気があるよな。貴族同士で接点とかあったりすんの? 小さい頃に会って一目惚れとか?」
「そっちこそどうなんだ。僕なんかよりずっと仲がいいだろう」
「俺のことはいいんだよ」
だってデイガールが好きなのはクニツ・ライナだし。俺じゃねえし。だから俺は、まだクニツ・ライナと会っていない女の子と、一から恋をするんだ。たとえばリコとか。明日はリコと会うんだ。このあいだのお礼をしたいってさ。楽しみで仕方ないぜ。
「それよりほら、デイガールのこと好きなのか?」
「別に、好きじゃない。今は」
真面目さが祟ったのか、言わなくてもいい一言が付け足されている。俺はここぞとばかりに追求した。
「今は、ってことは、好きだったのか?」
「にやにやして、下世話なやつだな。まあいい。恥ずかしがることでもない。そうだよ。僕は昔、デイガールのことが好きだった。でもはっきり言っておく。僕が好きだったのは、かつての彼女だ。今の彼女じゃない」
嫌そうな顔をしつつも、段々とノってきたのか、プエルは自分からデイガールのことについて話し始めた。
「君は知らないかもしれないが、ドンの名を継ぐ以前の彼女は、なんというか、絵に描いたような、純朴な町娘だった。彼女が楽しそうに町を歩く様は、僕の思い描く理想そのものだったんだ。今思えば、恋なのかも怪しいが、とにかく当時の僕は、父上が作り上げる予定だった領地を引き継いで、どこに行っても彼女のような笑顔が見られる領地にしようと思っていた」
そこでプエルの口は一度止まり、チェックメイト、と宣言した。俺はもうチェスのことなんてどうでもよくて、話の続きが気になっていた。それでそれで、と続きを促すも、プエルはゲームが終わって我に返ったのか、顔をそらす。
「話しすぎた。負けたんだ、君もなにか話せ」
「つってもな、なんもないぞ」
「君の所は女性ばっかりだろう。一つや二つどこじゃなくあるはずだ。いや、別に女性関係の話じゃなくてもいいんだが。どこの出身ともしれない君が、この国についてどう思っているのか、そもそも僕が聞きたかったのはそういう話だ」
「この国について? 別に、良いとこなんじゃね?」
「あのなあ、君は代理と言っているが、港の貿易とそこで働く犯罪者の管理するトイバー家の代表なんだ。そんなにてきとうでいいと思ってるのか?」
「ぐっ、それを言われると……」
でも俺がしたいのはそういう真面目な話じゃなくて、修学旅行の夜に男子がするような、ってまあ、修学旅行なんて行ったことないんだけど。でもラノベとか漫画で読んだ。男子っておバカで下品な話が好きよねえ、もうほんとサイテー、と女子に言われるような会話がしたいんだ。
とはいえ、クニツ・ライナという存在を汚さないためにも、答えるべき質問には答えていかなければいけないのも確かである。うーん、この国についてか。
「なんつーのかな。国っていうか、みんなっていうか。みんなっていうのは、騎士団のみんなのことで、そのみんなが、楽しそうにしてるんだよ。だから、今のところいい国だなって。もちろん、もっといい国になればいいとは思う、かな」
上手く言葉にできなかったけど、気持ちとしてはプエルと同じな気がする。プエルがデイガールを見て抱いた気持ちと、同じなんじゃなかろうか。そう思ったがしかし、プエルは叱るような口調で、
「なればいい、じゃない。するんだよ。僕たちにはその責任がある」
「お、おう。そうだな。そうだよな」
返す言葉もない。重いプレッシャーが背中にのしかかった。俺はそれから逃げるように、話をそらす。
「それで、ほら。デイガールの話の続き、聞かせろよ」
「続きなんて、想像できるだろう。僕の父がドン・ヴァルロスを死に追いやったことで、彼女は大きく変わった。破滅の十三の力を受け継いで、太陽のような少女から、夜の女王になったんだ。もう彼女が、燦然と輝く表通りを、笑顔で歩く姿は見られない。僕の夢は父上の手によって砕かれた」
プエルの顔に暗い影が差す。バカ話で盛り上がるつもりが、暗い雰囲気になってしまった。
「いや、でもほら、デイガールだって楽しくやってるみたいだし、別にあいつを不幸にしたってわけじゃないだろ? 思ってた形とは違うかもしれないけどさ、丸く収まった……んじゃないか?」
必死に励ますと、プエルは笑った。笑ったといっても、嬉しそうなものではなく、むしろ自嘲気味な笑みだった。
「それもこれも、全部君のおかげじゃないか。君がいたからデイガールはああしていられる。本当は僕なんて、彼女に顔を合わせる資格すらないんだよ。でもそれは逃げだ。僕がやるべきことは、父上の過ちを正すこと。それだけだ。それ以外は必要ない」
暗さも自嘲も消えて、まっすぐな目だった。覚悟の決まっている男の顔、とでも言うべきか。素直に格好良いやつだと思った。尊敬できるやつだと。誰でもいいから対等に話せる、クニツ・ライナという看板を気にせず話せる友達が欲しい。そんな思いだったのが、もうそんなのとは関係なしに、こいつと友達になりたい。こいつに友達だと認められたら、どれだけ誇らしいだろうかと、思わずにはいられなかった。
「改めて言う。プエル、俺と友達になってくれ」
プエルは目を伏せて、
「勝手にしろ」
そう言った。
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