第16話
ふう、危なかった。
第二ラウンドは激戦の末、理性の勝利となった。俺はクニツ・ライナじゃないからこれは受け取って良いものじゃない。この魔法の言葉を唱えた回数は、明らかに過去最多だったろう。
リコは恥をかかせた俺に機嫌を悪くすることもなく、本邸の案内を続行してくれた。
「それにしても、ずいぶん入り組んでるよな。あれか? 侵入者を迷わせるためとか?」
「流石ライナ様だわ。その通り。ああ、でも、お母様が新しい愛人を作るたびに、新しいお部屋を作るの。そのせいもあるかしら。お母様ったら、お父様がお亡くなりになってから羽目を外しすぎよ。きっと明日にはマスターのお部屋もできているわ」
ぎょっとする俺だったが、冗談だったのか、リコはいたずらっぽく笑って俺を見ている。
「からかってる?」
「さあ、どうかしら」
ふふっ、と楽しげに笑い、リコは廊下を小走りで進む。冗談なのか、本当なのか、どっちともつかない。どうもこの世界で愛人は普通のことらしい。この世界でいう愛人とは、浮気相手のことではなく、そのまま愛する人という意味なのだとか。愛し愛される人は多ければ多いほどいい、という考え方が一般的なようだ。とはいえ、限度はある。カレンが男好きの魔女と噂になっているのも確かである。
「さあ、次はこっちよ。一階で一番楽しいお部屋なの」
先に行ったリコを追いかけ、次の部屋に入ると、これまでとは様変わりした内装が目に入った。
「ここは、遊技場か?」
「そうよ。ね、楽しい場所でしょう?」
一見すると知っているようなものが並んでいるが、道具の一部が元の世界とは異なる。異世界オリジナルの遊戯だろう。たとえば卓球台のように見える台の上には、網目状に紐の張られた小さなラケットと、黒いゴムボールが置いてある。リコはそれらを手に取り、
「テーブルテニスはお好き?」
と尋ねてくる。
「初めてだけど、興味あるかも」
「きっと楽しいわ。やりましょう」
遊んでいていいものか少し悩ましかったが、さっきはもっと楽しいことを断ったのだ。これくらい許されるだろう。まだ明朝まで時間はあるのだし。
「ラケットでボールを打って、できるだけたくさんラリーを続けるの。ネットにかかったら失敗。打ったボールは一度もバウンドさせずに相手のコートに返さなきゃダメよ」
名前の通り、卓球とほとんど同じルールっぽいな。一番の違いは、勝ち負けを競うんじゃなくて、どれだけ続けられるかを楽しむことか。
「それじゃあ、いくわ」
ぽん、と軽い音を立てて、ボールが俺のほうへと飛んでくる。続けるのが目的だから、できるだけ返しやすいように……っと、っとっとっと?
俺が打ち返したボールはあさっての方向に向かい、ラリーは一回も続かなかった。これには流石のリコも気まずい顔をした。
「き、気を取り直してもう一回。次はライナ様から始めましょう」
床に落ちたボールを拾い、俺から始める。しかし、ネットにかかってしまう。
ぽん、ぽん、ぽん、とボールのはねる音だけがむなしく響く。台から転がり落ちそうになったボールを、床に落ちる寸前でリコがキャッチする。彼女は急に真剣な顔になり、じゅっかい、とつぶやいた。
「じゅっかい、続けるまで、頑張りましょう」
真剣な表情で、リコがラケットを構える。情けない気持ちでいっぱいの俺だったが、しかし十回なら……あっ、また返せなかった。うん、自分でもわかる。初めてでもこれは酷い。
「い、いくぞ」
気を取り直し、俺からまたサーブを打つ。今度はネットを越えた。越えたのだが、ネットギリギリだったため、かなり前目に落ちてしまった。元の世界の卓球であれば、完璧なドロップショットだ。変な回転までかかってるし。
「ふんっ!」
リコはものすごい勢いで前のめりにラケットを突き出し、なんとか返球してくれる。そのさい、発展途上の谷間が俺の視界を奪い、ボールへの反応を許さなかった。
「ひとまず、いっかい……」
返せたことが嬉しかったのか、リコが小さくガッツポーズをした。
再び俺からラリーを始める。今度はまともに飛んでいった。リコが返したボールも、なんとか返すことができた。早くも慣れてきたらしい、と油断した瞬間、ボールがあさっての方向へ。ああ、またやらかした。せっかく三回続いたのに、と勝手に終わった気になっていると、台の外へと飛んでいったボールを、リコが猫のように俊敏な動きで打ち返してくる。
「お、おおう!?」
まさか返ってくるとは思わず、油断した俺はまたボールをあさっての方向へ、今度はさっきと逆サイドに吹っ飛ばしてしまう。
「ふんっ!」
リコが飛びつき、ノーバウンドで返球する。すごい運動神経だ。それに俺の右側、つまり聞き手側へと綺麗に打球は返ってくる。なんだこの子、プロなのか?
「ふんっ!」「ほっ!」「はっ!」
その後数十分、犬にフリスビーを投げて遊んでいるかのような感覚で、俺は異世界式テーブルテニスを楽しんだ。
「ふう、こんなに手応えを感じたのは初めてだわ」
額の汗を手の甲で拭いながら、リコプロは満足げに漏らす。
「悪いな、汗かかせちゃって。自分でもびっくりするレベルで下手くそだったわ。はははっ」
一周回って笑えてくる。
「いいえ、ライナ様がどんどん上達して、私もなんだか楽しかったわ」
「そう? じゃあ次は二十回目指して」
「それはまた今度にしましょう!」
そ、そうか。実はちょっと楽しかったりしたのに……。残念だ。
「汗を冷ましたいし、次は頭を使うものにしましょう。お好きなのはあるかしら?」
って言われてもな、知らないやつばっかり……って、お?
「これって、チェスか?」
「そうよ。お好きなの?」
好きというわけではないが、ここにあるもので唯一やったことがある。初めてのものよりはいくらかリコプロの相手になるだろう。
チェス盤にはすでに駒が並んでおり、テーブルを挟んで俺とリコプロが向かい合う。先手はテーブルテニスでMVPを取ったリコプロに譲った。リコプロがポーンを動かす。
定石もなにも知らない俺はてきとうなポーンを動かした。その瞬間、リコプロが真顔になる。
「ごめんなさいライナ様、私、とても失礼なことを言うわ」
リコプロが駒を動かす。
「ぜんぜんいいよ」
俺も駒を動かす。
「その手は、私の知らない、ライナ様のオリジナル、あるいは、ライナ様の故郷で使われていた手、かしら?」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
てきとうだ。俺は感覚でチェスをプレイしている。
会話を挟みながら、チェスは進行する。駒を動かすたび、会話が一つ進む。
「本当は口に出してはいけないことだけれど、殿方とチェスをするときは、勝てそうでも負けるのが淑女のマナーというのはご存じよね?」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
そうなのか、全然知らなかったぜ。
「でもライナ様、それは勝敗が明白になったとき、つまり、互いに数手先を読んで、その手前で敗北へと手を変える、そういう技術があることが前提、というのは当然でしょう?」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
話が難しくなってきて理解できねえぜ。
「ええと、どうあがいてもチェックメイトまでの流れが確定する手、その一歩手前で淑女は手を誤り、殿方に勝ちをゆずる。それが本当のミスなのか、それとも勝ちを譲ったのか、殿方には明らかにする術がない」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
「……ないと思うんだけれど、まあいいわ。私が言いたいのはね、男とは女のすべてを知りたがる生き物。逆に言えば、女はすべてを知られたとき、男に飽きられてしまう。だからチェスの一つでさえ、淑女たるもの実力を明らかにはしないの」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
やべえ、俺の駒ほとんど残ってねえ。リコプロ強すぎやで。
「でもね、ライナ様。私、逆もまたしかりだと思うの」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
ていうかリコプロ、わざといたぶってない?
「さて、これであなたは丸裸」
「くっくっく、さあどうだろうな?」
おいおい、ついに俺の駒、キング以外ないなったで。
「チェックメイト」
リコプロの駒は無傷、俺の駒は全滅。あり得ない大敗北を喫してしまった。しかし俺は可愛い女の子と遊べたので大満足である。できればもう一戦お願いしたいところ。次はポーンの一つくらいは取ってみせ……。
「ごめんなさい、ライナ様。もう全部、知れちゃった」
盤上から顔をあげれば、リコは椅子から立ち上がり、冷ややかな視線で俺を見下ろしていた。
「あなた、とってもつまらない男ね」
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