第17話

 なにが起きたのかは明白だった。クニツ・ライナという英雄にお近づきになろうとしたリコは、しかし俺に幻滅したのだ。リコは俺に一瞥もくれず部屋を出て行き、残された俺はというと、椅子の上に体育座りをしてすすり泣いている。


 俺が最も恐れていたことが二度も起こってしまった。しかも、今回はクニツ・ライナとしても初対面ということで、ようやくゼロから関係を構築できるチャンスだった。


 そのチャンスを見事に棒に振った。運動音痴で頭も悪い、鼻の下を伸ばしっぱなしで、そのくせいざとなったら女の子に恥をかかせる。チェスのあいだは気の利いた会話もできず、クソつまらないネタをこすりまくる。これで幻滅されない方がおかしい。


 やっぱり、騎士団のみんなが俺をちやほやしてくれたのは、過去の思い出からくる絶大な信頼がゆえなのだ。俺がクニツ・ライナでないと知ったら、すぐさまトイバー邸を追い出されるに違いない。もう誰にも会いたくない。海の底でひっそりと引きこもる貝になりたい。


 味方が全滅し、敵に追い詰められてしまった憐れなキングを見ていると、余計に泣けてきた。


「ごめんなあ。俺のせいで、お前までひとりぼっちだ。つらいよなあ。一緒に死のうぜ」

「なにをやっているんだ……」


 頭上から突然声がふってきて、キングに伸ばしていた手がびくっとはねた。手がキングにぶつかり、チェス盤から落下する。


「キングうう! 俺を置いて逝かないでくれえ!」


 床に転がったキングを四つん這いで追いかけていると、キングは革靴のつま先にぶつかって動きを止めた。


「もう一度きく。なにをやっている」


 顔をあげれば、プエルが冷たい表情で俺を見下ろしていた。それが俺を見下ろしたリコと重なり、俺はキングを握りしめながら床でむせび泣く。


「……はあ」プエルのため息が聞こえる。腕を掴まれ、無理矢理立たされる。「座れ」プエルは俺を椅子に誘導し、チェス盤を挟んで向かいに自分も座る。


「リコが怒っていたぞ。まったく相手にされなかった、これほど馬鹿にされたのは初めてだと言っていた。いったいなにをしたんだ?」


 俺は遊技場で起きたことを話す。すると、プエルは天を仰ぎ目頭を押さえる。


「はあ……まったく、この忙しいときになにをやっているんだ。だいたい、そんなことでいちいち落ち込むな」

「うるせえ。お前みたいなイケメンになにがわかる。さぞかしモテるんだろうなあ。大貴族の当主で金髪碧眼のイケメンとか、少女漫画かよ」

「なにを言っているのか分からないが、僕にも失恋の経験くらいある。そもそもモテるというのなら、君のほうこそだろ。なにせ、誰もが憧れる英雄だ。しかも女性しか居ない騎士団で共同生活。嫉妬されるのは君のほうだろう」

「うるせえ。俺にも色々あんだよ」あれはライナのハーレムであって、俺のじゃない。だから、俺だけのヒロインが欲しかったんだ。ゼロから関係を構築して、好きになってもらいたかった。


「まあ、その、なんだ。気にするな」プエルがぶっきらぼうに言う。「リコは誰に対してもああだ。チェスにおける淑女のマナーの話はされたか?」


 俺はこくりと頷く。


「あれは古い貴族の風習だ。今じゃやってるのは老人世代か、母上くらいだ。リコはそういうのに憧れていて、そのくせ容赦なく負かしてくる」

「負かしてくるって、なんで……」

「これも古い貴族の風習で、女性は言い寄ってきた男を一度は必ずふるんだ。そして男がどれだけ自分を磨いてくるかを見る。挫折を糧にどれだけ成長できるか、自分に対してどれだけ本気なのか、見定めるわけだ。これが昔の恋愛の作法だった。もちろん今じゃ誰もやってない。リコ以外はな」

「じゃあ、まだチャンスはあるってことか……?」

「なんだ、本気で惚れたのか?」

「だって、あんな可愛く来られたら惚れるだろ」

「自分で訊いておいてなんだが、兄の前で言うことか?」

「妹さんを僕にください」どこかの漫画で読んだ台詞を言ってみる。生まれて初めて使う敬語は違和感しかなかった。


「君は英雄だ。愛人でも結婚相手でも、喜んで送り出すさ……と言いたいところだが、今の君を見ているとな……」


 やめろ、そんな目で見るな。ちょっと元気を取り戻してきたのに、また落ち込んでしまう。


「そもそも相手にしなかったのは君じゃないのか? リコはそう言っていたぞ。テーブルテニスでもチェスでも、ふざけたプレイしかしなかったそうじゃないか」


 ん? ああ、そう思われてるのか。なるほど。いくらなんでも英雄があんな無様なわけがない。そう考えるほうが自然か。ところがどっこい俺は英雄じゃなく、ただのクソ雑魚ナメクジだ。


「君なりに楽しませようとしたのかもしれないが、失敗だったな」


 都合良く解釈してくれたプエルは、壁に掛けられた時計を確認し、席を立った。


「とにかく、明朝までには体も心も準備を調えておいてくれ。スター・イン・マイ・ハーツを捕まえれば、リコも君を見直す」


 はっ! その手があったか!


 俺は勢いよく立ち上がる。


 プエルは扉に手をかけ、ああ、そうだ、とこちらを振り向いてくる。


「デイガールが到着したそうだ。警備の詳細を伝えておいてくれ。この部屋を出て、右に進んだら十字路がある。そこを左に曲がって二番目にある、右手側の部屋で待ってるはずだ。そもそもそれを伝えに来たんだ」


 プエルはそれだけ言って部屋を出て行く。この部屋を出て右に進んで、十字路を……あれ?


「おいプエル! ちょっと待っ……行っちまった」


 急いで部屋を飛び出るも、すでにプエルの姿はない。廊下の左はすぐに曲がり角になっており、右には十字路が見える。


「えっと、右の十字路を……」


ひとまず十字路まで歩き、そこから右に行くのか左に行くのか、俺はもう覚えていなかった。

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