第13話

「……えっと、その、なにしてんだ?」


 朝、自室の扉を開けると、廊下でクラミーが大の字で仰向けになっていた。


「昨日は申し訳ありませんでした。許して欲しいとは言いません。ただ、少しでも責任を取りたく思いまして。さあ、寝るなり抱くなり好きにしてください」

「煮るなり焼くなりだろ。いや、しねえけどさ」

「……怒っていないのですか?」

「怒ってねえよ。落ち込みはしたけど、でも、俺ってそんなに感情が長続きするタイプじゃないっていうか、一晩寝たら割とすっきりするんだよな。それにさ、全部クラミーの言うとおりだし。わからないことなんでもかんでも訊かれたら、そりゃうんざりするよな。クラミーだって忙しいんだから。負担かけて悪かった。思えば俺、みんなに頼りっきりで、これじゃあ団長失格だよな。これからはできるだけ自分で頑張ってみるわ。ひとまず、クラミーが教えてくれた怪傑ゾロの本、読んでくる。ってことで、そこどいてくれると助かるんだが」

「……そうですか。でしたらまあ、ひと安心なのです」


 クラミーは立ち上がり、廊下の壁際による。その前を通る俺に、クラミーは声をかけてくる。


「どうしても分からないことがあれば、気兼ねなく頼ってください」

「おう、適度に頼らせてもらう。ああ、そうだ、誕生日はちゃんと祝うから、安心してくれ」

「はい、楽しみにしているのです」


 振り返ることなく廊下を歩く。ちゃんと、平気なふりをできていただろうか? クラミーは妙に勘が良いから、気づかれてないといいんだが。


 もう気にしてないなんて、嘘に決まってる。クラミーを傷つけ、ライナが築いてきたものを壊したのだ。へこむどころの話じゃない。だけど、クラミーは俺以上に辛いはずだ。大好きなライナが自分のことを忘れてしまい、しかも思わず見下してしまうほどの凡人に成り下がった。辛くないわけがない。


 だから俺は少しでもライナに近づけるよう、努力し続けなくちゃならない。


 書斎から『怪傑ゾロ アイネ・ハインツ版』と銘打たれた小説を持ち出し、魔動車に乗る。今日は城下町までクラミーへの誕生日プレゼントを買いに行くつもりだ。ちなみにお金はカンちゃんからもらった。初めての給料である。なににするかはまだ決めていないが、ひとまず城下町にあるショッピングエリアを見て回ろうと思う。


 城下町までは魔動車で二時間ほどかかる。そのあいだは『怪傑ゾロ』を読んで黒魔術について勉強だ。魔動車が走り出す。俺は薄めの文庫本ほどの『怪傑ゾロ』を開く。


 まえがき曰く、この小説はノンフィクションである。物語としての体裁を保つため、また、元は劇の台本として書かれたものであるという理由により、著者の想像により脚色されている部分はあるが、事件の内容や黒魔術の力は、全てが史実の通りとなっている。


 新暦一九五六年、十二月十三日から年明け一月一日の約半月、バティン領で起こった大事件。黒魔術師、悪名『怪傑ゾロ』の手により、領主含む貴族、及び、彼らを守ろうとした騎士が皆殺しにされた。死者の数は百九名。最後に自死した怪傑ゾロ本人も含めれば、百十名とされる。


 当時のバティン領は、貴族や一部の騎士が完全に腐敗していた領地だった。のちの調査で発覚した事実だが、バティン領における年間死者数の約三分の一は、安全対策のずさんな採掘場で起きた労災によるものだったそうだ。領主含む貴族たちは鉱山の富を独占し、領民たちを奴隷のようにこき使っていたのである。


 最初の被害者は、鉱山で労働者の管理をしていた騎士団長であった。その騎士団長はマスクで顔を隠した長髪の青年に決闘を挑まれ、部下の見ている中で殺害された。それから十日間、彼は二日に一度のペースで貴族の屋敷を襲撃。五つの一家を皆殺しにした。彼はどういう信条を持っていたのか、必ず相手に決闘を挑むという形で殺害を行った。現場には血文字で『ゾロ』と書き残し、怪傑ゾロの噂がバティン領を席巻した。


 支配階級は事態を深刻に捉えはしたものの、クッスレア本国には事件を報告しなかった。怪傑ゾロの目的が腐敗した貴族への復讐であることは明らかであったため、クッスレア本国から王国騎士団が派遣されれば、自分たちの悪事が明るみに出ると恐れたからである。


 貴族たちは怪傑ゾロの正体を見破ろうと躍起になったが、怪傑ゾロは黒魔術によって正体を隠し続けた。マスクで正体を隠すという行為が黒魔術に昇華され、正体を見破ることができなくなっていたのである。貴族たちは、ならば迎え撃つまでだと開き直り、領内の騎士を集めてその身を守った。しかし、結果はすでに語られている通り、皆殺しに終わった。


 正体を見破ることができないのも厄介ではあったが、それ以上に、怪傑ゾロが頑なに貫き続けた決闘という手口が『決闘の強制受諾』という黒魔術に昇華されていたのである。その力をより詳しく説明すると、怪傑ゾロに決闘を挑まれた者は、無意識のうちに拒否や逃走、助けを求めるといった選択肢を排除してしまうのだ。さらに、怪傑ゾロが致命傷(放っておけば死に至る傷)を与えた相手は、神聖魔術で治療する暇もなく即死したという。これも黒魔術の力らしい。


 俺が思うに、黒魔術の基本原理はゲームでよくあるジョブの仕組みに似ていて、たとえば剣士のジョブレベルをあげれば剣士っぽいスキルが使えるようになる、といったような仕組みらしい。つまり、怪傑ゾロは『貴族殺し』や『殺人鬼』のジョブレベルを上げ、それに沿った黒魔術を習得し、さらには『怪傑ゾロ』という固有のジョブまで手に入れたのだ。ちなみに、俺が勝手にジョブと呼んでいるものは、専門用語で『悪名』と呼ばれるらしい。


 怪傑ゾロのように固有の悪名が定着してしまった者は、悪名そのものに存在を乗っ取られ、自我も名前も無くしてしまう。そうなってしまった黒魔術師は、もはや人の心を失った怪物そのものなのだそうだ。悪と判断した者へ決闘を申し込み殺害する――『怪傑ゾロ』という悪名が持つイメージをなぞるだけの、怪物に成り果てるのである。


 そうして怪物になった怪傑ゾロは、最後の犠牲者、領主の娘ロリータ・バティンという十歳の少女までをも殺害した。


 ここからは著者の想像だが、怪傑ゾロは鏡――あるいは死にゆくロリータの瞳だったのかもしれない――に映っている自分自身を見て、それを殺すべき悪と判断した。怪傑ゾロの最期が自決であったのはそういうわけだ。決して罪悪感などではない、と著者は強く主張している。黒く染まった心に罪悪感などあろうはずがなく、己が悪と判断した者を決闘により殺害する、そんな存在に成り果てたからこそ、怪傑ゾロは自分自身に決闘を挑み、そして死んだのである。


 以上が、この世界における怪傑ゾロの物語だ。元の世界とはだいぶ違って面食らったが、黒魔術の恐ろしさは理解できた。


「決闘申し込まれたら逃げられない殺人鬼とか、怖すぎるだろ……」


 都市伝説に出てくるバケモノみたいだな。ターボババアとかテケテケみたいな。出会った時点で詰んでるじゃん、みたいな恐怖を感じる。しかも実際に存在したとか……黒魔術怖え。


「でも、なんだか切ないな」


 初めは虐げられていた領民を救うためだったのが、最後は十歳の少女を手にかけている。黒魔術が真に恐ろしいのは、こういうところなのかもしれない。心が黒く染まる、と本には書かれていた。怪物に成り果てる、とも。


 本を読み終えたちょうどその頃、魔動車は城下町に到着し、俺は魔動車を降りて道に連なる店を見て回る。道行く人々の口から、スター・イン・マイ・ハーツという名前が幾度も聞こえてきた。俺が思っている以上に噂は有名らしい。


 たしか、スター・イン・マイ・ハーツも黒魔術を使っている可能性が高いんだったか。黒魔術の恐ろしさはついさっき学んだばっかりだが、やっていることが『義賊』あるいは『怪盗』であるせいで、それが黒魔術に昇華されたところであまり恐ろしいイメージは湧かない。


 すっかり物思いにふけり、ずっと同じ棚の前でじっとしていた俺を、女性店員が不審に思ったのか声をかけてきた。


「あの、なにかお探しですか?」

「ああ、ちょっと、知り合いに誕生日プレゼントを。慣れないもんだから、迷ってて」

「そうでしたか……って、え?」


 店員がはっと口元を抑える。


「しょ、少々お待ちください!」


 店の奥に店員がすっ飛んでいった。奥から大声が聞こえてくる。


「店長! クニツ・ライナ様がお見えです!」

「ええ!?」


 素っ頓狂な声と共に、化粧の濃い美人が飛び出してきた。


「これはこれは、お出迎えが遅れまして、申し訳ありません」


 この人が店長か。まだ若く見えるが、化粧で誤魔化しているのかもしれない。


 遅れてさっきの店員が駆け寄り、店長に耳打ちする。それを受けた店長は、さっきの焦った顔を忘れそうなほど完璧なスマイルで、


「誕生日の贈り物ですか。お相手様のご年齢は?」

「えっと、十五歳」

「なるほど、十五歳の誕生日にお化粧品のセットですか。それはお喜びになるでしょう」


 そうなの? 知らないまま正解引いちゃった? 俺ってばよく分からないままここに来たんだけど。


 女の子が好きなものを思い浮かべたとき、ぱっと思いついたのが化粧だった。その理由は忌々しくも母親のせいだ。俺の前ではいつも不機嫌だった母親が、唯一上機嫌になるとき、それは化粧が上手くいった時だった。上手くいった化粧で、男を待つときだった。


 まあ、今となってはどうでもいいことだ。暗くなってる場合じゃない、と顔をあげれば、店長が気まずそうな顔をしている。嫌な思い出がそのまま表情に表れていたのかもしれない。


「えっと、なにかおすすめとかある?」


 空気を変えようと尋ねると、店長は営業スマイルに戻ってくれた。


「それでは、いくつかご紹介します」


 さあさあこちらへ、と店長が案内する先は、メイクボックスが置かれている棚だった。カバンの形をしたものや、宝箱を模したもの。小さなタワーマンションのようにも見える、引き出しのたくさんついた背の高いもの、などなど、色んなデザインのメイクボックスが並んでいた。一目見ただけでは開け方の分からない、やけに近未来的なデザインをしたものまである。ちょっとした化粧品の一つでも、という気持ちできたのだが、メイクボックスときたか。まさかこの国の英雄が金欠だとは思ってもいないのだろう。


 ちらりと値段を確認する。どれも思っていたより高くはない。水晶製、と書かれていた透明のメイクボックスだけは、ステフのドレスと同じくらいの値段がしたが、それは見なかったことにした。


 いいだろう。ここで退いてしまっては、クニツ・ライナの名前に泥を塗ることになる。店長はきっと喜んでくれると言った。その言葉を信じようではないか。俺の財布に冬が訪れることになるが、それがどうした。クラミーの心に春を到来させるためならば、財布の中に冬将軍でもなんでも飼ってやる。


 よし、気合い入れて選ぶぞ。安くて良さげなやつを!

 まずはクラミーの趣味を考えよう。まあ、あいつの趣味なんてルーン魔術以外にないのだが。部屋も見たことがあるが、完全に実験室だ。服装はいつも魔女っ子。色は黒とか紫系が好きそうだな。


 情報を整理しながら、しげしげとメイクボックスを見回していると、あることに気がついた。


「これ、ルーン文字か?」

「はい。こちらはジュエルボックスと一体化しておりますので、魔術的に鍵をかけられるようになっております。こちらの鍵に専用のルーン文字が刻まれておりまして、差し込むことで内部の文字列が書き換わり、ロック機能が解除されます」

「なるほど」


 この世界におけるルーン文字は生活の基盤とも言えるものだ。目をこらせば街のあちこちに文字が刻んである。ものの見た目は元いた世界より古いが、機能的にはそう変わらないものが多い。


「ルーンの設計はかのクラミー・ヴォルフガング様が行っておりますので、文字の秘匿性は折り紙付きです」


 そしてそのルーン魔術業界で天才と呼ばれているのが、あのクラミーだ。この商品すげえな、と思ったらだいたいあいつの名前が出てくる。今回もそうらしい。


 自分が開発に協力した商品をプレゼントで贈られるってのは、なんだか複雑な気持ちだろう。これはナシだな。ていうかルーン文字が刻まれているのはナシにしたほうがいいかもしれない。他のルーン魔術師が手がけたものは天才的にアウトだろう。そもそも自分で刻めるだろうし。欲しい機能があったら勝手に刻むだろ。その証拠に、クラミーの部屋にあるものは大抵オリジナルのルーン魔術が刻まれている。ソファにマッサージ機能とかついてた。俺も今度作ってもらおうかな。


「これは? これもルーン文字が内部に刻まれてたり?」

「はい。そちらはクラミー・ヴォルフガング様がオリジナルで機能を付け足してくださいました。蓋の内側が鏡になっておりまして、そこにうつる自分の顔が美化されます」

「その機能いる?」


 スマホの加工アプリかよ。お目々ぱっちりってか?


「いえ、その、一部の方には、人気の商品です」


 現実を見たくない人というのはどの世界にもいるらしい。まあ気持ちは分かる。俺も鏡を見るたびため息をつく人種だ。主に目つきの悪さに。だからクラミーに親近感を覚えたりする。あいつ、俺より目つき悪いからな。ビン底メガネをかけているのはそういうわけだろう。


 それはともかく。


「ルーン魔術が刻まれてないのって、この中にある?」


 店長がきょとんとしたので、


「贈る相手がルーン魔術アレルギーなんだ」


 と初の異世界ジョークを試みるも、


「は、はあ……? それでしたら……」


 不発に終わった。


 まあいい、おかげでかなり候補が絞れた。しかもルーン魔術が刻まれていないぶん値段がお得だ。良かったねお財布ちゃん、暖冬で済みそうだよ。心の中でお財布ちゃんにそんな言葉をかけながら、メイクボックスを選び終えた俺に、店長が笑顔でこう言った。


「お買い上げありがとうございます。それでは、次は中に入れるお化粧品が必要ですね」

「…………」


 俺の財布に、大寒波が訪れた。

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