第12話
トイバー邸に帰り着き、まっすぐ大浴場に向かうと、脱衣所から出てきたクラミーと出くわした。
「珍しいな」
「もう十五歳なのですから、これくらいのパジャマは当然なのです」
クラミーは淡い紫色をしたネグリジェの肩紐をつまみ、ぶっきらぼうに言った。
「いや、そうじゃなくて、この時間帯に起きてるの、珍しいなって」
「もう十五歳なのですから、これくらいの夜更かしも普通なのです。もう十五歳なのですから」
なんかやたら年齢をアピールしてくるな。この世界の成人年齢は十六歳なのだから、もうすぐ大人と言ってもいいのだろうが、そもそもがちんちくりんなせいもあって、やっぱりお子様にしか見えない。
「もう十五歳なのですから」
また言いやがった。なんの脈絡もなしに。
「ああ、そうだ、ちょっと訊きたいことあるんだけど、いいか?」
「年齢ですか? 十五歳なのです」
「いや、ちげえよ。なんか今日さ、ダイアモンドクラブで黒魔術って単語が出てきたんだけど、よく分からなくて」
クラミーがじっと俺を見つめる。なんだか睨まれているような気がするが、目つきが悪いからそう見えるだけだろう。俺も目つきが悪いからよくわかる。親からなんだその目はとか言われながら殴られるんだよな。
「黒魔術とは、黒魔術法則に従って引き起こされる魔術現象です」
「辞書かお前は」
「おや、てっきり私のことは便利な辞書程度にしか思っていないのかと」
クラミーはわざとらしく眉をつり上げ、そっぽを向く。
「え? なんか怒ってる?」
「いいえ。怒る理由がありません。よしんば怒っていたとしても、天才らしからぬ理由なので怒っていないのです」
「そうか、怒ってないならいいや。それで? 黒魔術についてもう少しかみ砕いて教えてくれね?」
クラミーがものすごい形相で睨みつけてくる。思わず後ずさってしまった。
やっぱ怒ってんじゃん。なに? なんかしたっけ俺。わからないながら、謝ろうとしたのだが、それよりも早くクラミーが口を開いた。
「書斎に『怪傑ゾロ』の本があるはずです。黒魔術の恐ろしさを語り継ぐ有名な事件ですから、この機会に勉強しておくといいのです!」
クラミーは口早に言って、キッと俺を睨みつけてから立ち去ろうとする。俺はその肩をつかもうとして、しかし素肌に触れるのがためらわれ、すんでのところで手を止めた。代わりに名前を呼んで引き止める。
「クラミー、待ってくれよ」駆け足で彼女の横に並びながら、どう見たって怒っている横顔に必死に話しかける。「ごめん、俺、こういうこと察するの苦手だから、言ってくれねえとわかんねえんだよ。なあ、なにかしたんなら謝るから」
おい、クラミー。名前を呼びながら、正面に回る。そのまま道を塞いで、ふせられたクラミーの顔を下から覗き込もうと、その場にかがむ。
「怒っていないのです。怒ってはいけないのです。私は天才なのですから、理解しているのですから」
下から覗き込んだクラミーの顔は、しかし怒っているように見えてしまう。目つきが悪いせいなのか、それとも本当に怒っているのか、俺には判断がつかない。
「怒っていると、思われたくないのです」
クラミーはその場にしゃがみ、顔を伏せてしまう。地べたに這いつくばれば目を合わせることもできるが、流石の俺も、顔を見られたくないのだと察した。
「じゃあ、怒ってるなんて思わねえから、えっと、なんていうか、俺、なんかしたんだよな。余計なこと言ったとか、気が利かなかったとか、とにかく、傷つけたりしたなら、ちゃんとわかりたいからさ、教えてくれよ」
つたない言葉を必死に紡ぐ。
数秒の間をあけて、クラミーがぽつりとつぶやいた。
「誕生日なのです」
「……え?」言ってから、慌てて口を塞いだ。え? じゃねえよ。バカか俺は。そうだ、ステフも交えてサンルームで会話していたとき、そんなことを言ってた気がする。もうすぐ十五歳の誕生日だとかなんとか。でも、正確な日付までは言ってなかったよな。だったらしょうがなくねえか? クラミーだってそこはわかってるはずだろ。俺のことを記憶喪失のライナだと思ってるなら、なおさらだ。ちゃんと日付まで教えてくれてれば、流石の俺もなにかしらの準備を――。
「今日、ドレスを着るのは、絶対に私だと思っていたのです」
クラミーの泣きそうな声が聞こえた瞬間、俺は自分の顔面を自分で殴った。
「悪かった!」
廊下に額をこすりつけ、大声で謝る。
俺は、『俺』じゃダメなんだ。俺は『クニツ・ライナ』でなくちゃならない。誰でもない俺自身にそう誓ったはずだろ。それを違たがえたのだ。ライナなら誕生日が近いと知った時点で正確な日付を調べていた。それがダイアモンドクラブとブッキングするというならば、プレゼントにドレスでも用意して、一緒に来てくれないかと誘っていた。それをクラミーが望んでいると、なにも言われずとも察していた。俺にはそれができなかった。そしてそれによって、言い訳の余地があろうがなかろうが、俺はヒロインを傷つけた。絶対に許されないことだ。
「は、はっはっは! また騙されましたねライナ殿! この前も言った通り、ライナ殿はいつもこうして騙されて――」
「カンちゃん!」クラミーの台詞を遮り、土下座したままカンちゃんを呼ぶ。
「はい」淡泊な返事が返ってきた。
「クラミーの誕生日はいつだ?」
「ら、ライナ殿! それは卑怯なのです!」
慌てるクラミーを無視して、カンちゃんがはっきりと答える。
「本日です。それもあと五分しかありません」
頭を上げると、顔を真っ赤にしたクラミーと目が合った。
「んああああ! おかしいのです! 変なのです! 私とライナ殿はもっとこう、天才らしいスマートな間柄だったわけで、このような……このような……んああああ! とにかく変なのです!」
クラミーは癇癪を起こした子どものように喚きながら、癖っ毛をかきむしる。そしてひとしきり暴れたあと、すとんと無表情になった。彼女はぼうっと宙を見つめ、大きな口を小さく動かす。
「ああ、面倒くさい」
なんの感情も感じられない声音だった。あまりに急激な様子の変化に、俺は言葉を失う。
クラミーの表情がどんどん無機質になっていく。そして焦点の合っていない目をぼんやり俺に向ける。
「黒魔術くらい、自分で調べればいい」
心臓が凍るようだった。冷たさすら感じない、無関心な目。なにか、致命的なことが起こったような気がした。
「あなたとのやりとりは全てがスムーズだった。なにも伝えず、なにも隠さず、それでも通じ合っていた。互いの考えなど手に取るように分かった。言葉はただの確認作業に過ぎなかったし、心を満たすために過不足無くそれを行えていた。そのはずなのに……どうしてこうも面倒くさいのか」
冷めていく。これまで見せてくれた笑顔も怒り顔も、全てが嘘のようにクラミーの態度が冷めていく。
「ああ、ほら、その表情。わからないというから教えてあげただけなのに。やめてくださいよライナ殿。私はこれ以上、あなたを見下したくはない」
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