第5話

 結局その日は、いくら資料を読んでも頭に入ってこなかった。デイガールの復讐をライナが手伝った。カンちゃんの語ったことが、頭から離れなかった。それは俺の脳内を完全に占拠して、その他の情報を弾き飛ばしているようだった。


 俺にはどうしても、ライナがそんなことをするとは思えない。父を殺されたデイガールが復讐に走るのは百歩譲って理解できる。しかし、俺の知るライナであれば、止めたに違いないと確信に近く思う。アンドレアスを殺すことで復讐を果たすのではなく、アンドレアスの悪事を暴き出し、正当な手段でしかるべき報いを受けさせる。そういった正道を歩むのが俺の知るライナだ。少なくとも、デイガールがその手でアンドレアスを殺すような事態は避けたはず。それがいったいどうして……。


 書斎の扉が開き、俺は考え事を中断させる。


「おはよ、ライナ」


 まだ性差のはっきりしない小学生のような声。見た目もその通りで、どこからどう見ても十歳そこらの子ども。しかし、それは彼女が長寿のエルフ族で、人間と同じ時間を歩んでいないからである。正確な年齢はわからない。エルフ族は自分の年齢に無頓着らしく、ライナと同い年でいいよ、実際そのくらいだろうし、と言っていた。名前はランラン・ムーン。俺が腰に刺している剣――エルフェンランドと銘打たれている――を作った鍛治師だ。頭にはバンダナ、上半身は薄い胸回りに布を巻き付けているだけ、下はV字気味に食い込んだホットパンツ、という布面積の異様に少ない格好は、彼女がいつも蒸し暑い鍛冶場にこもっているからだ。


 ランランはコの字型ソファの入り口とも呼べる部分を無視し、背もたれからよいしょと登って俺のすぐ左であぐらをかいた。腰に差してあるエルフェンランドをひょいと抜き取り、しげしげと眺める。


「うーん、やっぱり、記憶喪失のせいか精霊の定着度が下がってるね。ライド装置はしばらく使えないかな」

「待て。なにひとつわからん」

「えー、いちから説明しなきゃだめ? 今度でいいじゃん」

「前もそう言って説明してくれなかったじゃねえか。エルフェンランドについて知ってるの、ランランしかいないんだから頼むよ」

「わかったよお」


 ランランは面倒そうにバンダナの上から頭をかきむしる。つるつるのわきが見えて、なんだかいけないものを見てしまったような気になってしまう。断じて幼女に欲情しているわけじゃない。むしろ、幼女だからこそ見てはいけない気がするだけだ。いや、実際は同い年なんだけれども。


「えーっとね、人間やエルフには、生まれながらにして精霊が宿ってるんだけど、その精霊っていうのが、千差万別で、手先が器用だったり、運動神経がよかったり、体が頑丈だったり、頭がよかったり、まあとにかく色々。それで、その力を貸してくれるわけ。僕たち霊長類に生まれつき能力の差があるのは、そのせいなんだよね」


 ランランは頭に巻いていたバンダナをはずす。先端の尖った長い耳がぴょこんと出てきた。


「エルフ族の長い耳は、精霊の声を聞く感覚器なんだ」


 漫画なんかでエルフの耳が尖っているのはよく見るけど、実際に見るとちょっと不気味だな。パーツの一つが違うだけで、凄い違和感だ。


「触っていい?」

「駄目に決まってるじゃん。怒るよ」


 ちょっとした興味で聞いたのだが、思いのほか怒られた。


 ランランはバンダナを結びなおし、耳の先端をしまう。収まり方が気になるのか、しばらく指で調整していた。男がチンポジを気にするようなものだろうか。言ったら怒られそうだな。


「あと、これ」ランランは言って、自分の目を指さす。薄茶色だったのが、じんわりと黄金に変化した。


「おお、綺麗だな」


 ランランは口を横に広げて笑い、目の色を元に戻す。


「精霊眼って言ってね、エルフの一割くらいは精霊が見えるんだ。なんていうか、目をこう、きゅっと、焦点を合わせる感じで調整すると、見えるんだよね。その時に目が金色になるわけ」

「じゃあ、さっきは俺の精霊が見えたのか? どんな感じ?」


 瞬時に様々な妄想が浮かぶ。全体的に水色で、女性的なシルエットをしていて、水かきがついてたりする、美しい精霊。角が生えていて、四足歩行で、たてがみのように炎をまとっているカッコイイ精霊。漫画や小説の挿絵で見る精霊の姿を次々と思い浮かべ、わくわくしていると、ランランは真顔で、


「いや、ライナにはついてないよ、精霊」


 と言った。


「……え? いや、ああ、エルフジョーク? おいなんだよ、わざとらしい真顔だと思ったんだよな。はっはっは」


 冗談と思って笑っていると、ランランは真顔のまま俺を見ていた。その表情が、なんとなく可哀想な人を見ているように感じる。


「……マジなの?」


 ランランがこくりと頷く。


「待って、え? でも、生まれつき能力に差があるのは、精霊のおかげなんだよな。力を貸してくれてるって。それってつまり、才能だろ? じゃあ、精霊のついてない俺って……」

「才能ゼロ」


 ランランはズバリと言って、なにが可笑しいのか笑い始めた。


「初めて見たときは目を疑ったよ。精霊のついていない霊長類なんて、一生に一度みれるかみれないかだから。ああ、一生ってのは、エルフでの話ね。そんな精霊無し同士が、出会っちゃうんだもん。奇跡だよ、奇跡」


 ランランは笑う。喜ばしいことのように笑っている。


「出会っちゃうんだもん、って、それって……」

「うん、僕にもついてないんだ。精霊」なぜか誇らしげにランランは言った。そのあと、励ますように背中をバシバシと叩いてくる。

「ごめんごめん、なにも知らなかったら悪い事みたいだよね。なにせ才能ゼロだもん。だけど、エルフにとっては凄いことなんだよ。精霊がついてない代わりに、大精霊の加護を受けられるんだから」


 ランランは太ももの上にのせていたエルフェンランドを天井のシャンデリアにかざす。黄金の刀身が眩しく光り、荘厳な輝きを周囲に撒き散らす。


「インカの黄金っていってね、大精霊が宿る不思議な鉱石があるんだ。エルフェンランドは、それを材料にして作った、いわば、大精霊の分身。これを持っていれば大精霊の加護を受けられるんだけど、それを受けられるのは精霊無しだけ。普通の霊長類が近づくと、元からついてる精霊と喧嘩しちゃうんだよね。精霊って宿主のこと大好きで、独占欲が強いから。だからエルフにとって、大精霊の加護を受けられる精霊無しっていうのは、すごく名誉なことなんだ」


 才能が無いからこそ与えられた力。それは悲しくもあったけど、喜びのほうが断然勝った。なんというか、選ばれた者、という気がした。


「大精霊の加護って、どんなのなんだ?」


 異世界転生といえばやっぱりチートスキルだろ。それが目の前にぶら下がっている。わくわくしないほうがおかしい。


「言葉のまんまだよ。怪我や呪いから、大精霊が護ってくれるの。たとえば昔、ライナが山みたいにおっきなドラゴンに踏みつけられたことがあったんだけど、無傷だったよ」


 そのときのことを思い出しているのか、ランランはけらけらと笑う。


「あのときは流石に死んだと思ったよ。それが、怪我一つ無い自分の体見て、すごいすごい、って飛び跳ねるんだもん。一緒にいたサンちゃんがさ、大泣きして、腰も抜けちゃって立てないで、二人で担いで大急ぎで逃げたんだよね。いやー、楽しかったなあ」


 のけぞって笑うランランは、肋骨が浮き出ていて、お腹も不自然なほどへこんでいる。俺は彼女の語る思い出を少しも共有できず、ちゃんとメシ食ってんのかこいつ、なんてことを考えていた。


「ああそうそう、忘れないうちに言っておくけど、ライド装置は起動しちゃ駄目だよ。最悪死ぬと思うから」


 ついでのように言ってきたものだから、一瞬聞き流そうとして、しかし「死ぬ」という単語が聞こえたことに気づき、勢いよくランランを見る。


「ちょ、お前、生死に関わることはちゃんと説明してくれよ」

「えー、使っちゃ駄目、これでよくない?」


 面倒そうにランランは言い、いつのまにか手に持っていたマックシェイクを、ちゅぞぞぞ、と吸い始めた。


「よくねえよ、っておい待て! なんで異世界にマックシェイクあんだよ!?」

「え? これ? そういえばそんな名前だったね。ライナが飲みたいって言うから、カンちゃんが作ってくれたんじゃん。やけに熱心に説明してさ。あ、そっか、忘れてるのか。なんでも故郷の味が恋しいとか言って、なんだっけ、チーズバーガーだっけ? 他にも色々。にしてもこれ美味しいよね。ちょっと吸いづらいけど。ああごめんカンちゃん、文句言ってるわけじゃないから。むしろ癖になるっていうか、なんか必死に吸っちゃうよね。ていうか、僕がこれ気に入ってたの覚えててくれたんだ。ありがと」


 ランランはてきとうな方向に向かって言い、夢中でマックシェイクをすすりはじめる。吸うたびに頬がへこみ、小学生みたいな見た目も相まって、無邪気な子どもにしか見えない。


 っていやいや、ものすごい角度から話の腰を折られたな。話を戻さねば。


「それで、ライド装置ってなんだ?」

「ライド装置っていうのは」ちゅぞぞ「ああ、その前に、精霊が力を貸してくれるっていうのは」ちゅぞぞ「言ったっけ?」ちゅぞ、ずずっ「貸してくれるって言っても」ずずっ、ぢゅっ「ほんの少しなんだけど」ずずずずっ「ライド装置は精霊の力をもっとたくさん引き出すための」ぢゅずず、ぶぱっ!


「おい、飲みながら話すな。ぜんぜん頭に入って――」


 ぢゅぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞ!


「うるせえ!」


 思わず怒鳴ると、ランランはのけぞって笑い出す。笑い声に合わせてお腹がへこみ、なめらかな腹筋が消えたり浮き出たりする。


「ごめんごめん、ちゃんと説明するよ。死なれたら困るしね。ライド装置っていうのは、精霊が宿主に、よりたくさんの力を貸せるようにするための装置だよ。精霊眼で見るとね、普段は宿主の周囲を漂っている精霊が、宿主に乗り移るのが見えるんだ。だからライド装置」


 ランランの瞳がじんわりと金色に変化する。いいなあ、俺も見てみたいなあ、精霊ちゃん。


「それで、具体的にはどうなるんだ? なんかこう、不思議な力とか使えたり?」

「そこら辺は精霊次第かな。ライナ、っていうかエルフェンランドに宿ってる大精霊は、特別な力こそ無いけど、他の精霊に比べて格段に強いから、扱いには注意してね。でこぴんで人殺せるよ」


 やべえじゃんそれ。怖くて使えねえよ。


「それで、注意点だけど、精霊からしても宿主の体に乗り移るのは初めての経験だし、最初のうちはこっちの体もびっくりして、慣れるまで時間がかかるんだよね。慣れてないのに無理矢理起動したら、体への負担が大きかったり、逆に精霊が傷ついたり、まあ色々と問題が発生するわけ。特にライナが宿してるのは大精霊、ああごめん、さっきから大精霊って言ってるけど、正確には分身ね。まあとにかく、分身とはいえ尋常じゃない力を発揮できるぶん、問題が起こったときはとんでもないことになる。だから僕がいいって言うまでライド装置は起動しちゃ駄目。わかった?」

「お、おう、わかった」


 すごい力を手に入れたとわくわくする気持ちもあるが、それ以上に恐ろしい。簡単に人を殺せる力か。上手く使えるといいけど。


「そんなに心配しなくても、いきなり超人になるわけじゃないよ。ライナも精霊も、お互いに慣れるまでゆっくりと、徐々に力を解放していく感じだと思って。それに、ライド装置を起動しなくても大精霊の加護はちゃんと働くから、エルフェンランドさえ肌身離さず持ってればライナはほとんど不死身。といっても、あくまで大精霊に守ってもらってることを忘れずにね。粗末に扱ったりして機嫌を損ねたら守ってもらえなくなるよ。あと他に気をつけるのは、溺死と餓死くらいかな。ああ、いや、人間は水分不足のほうが深刻なんだっけ」


 ランランは最後に残ったマックシェイクを思いっきりすすり、空になったカップをテーブルに置く。カップは一瞬で消え、代わりにカンちゃんが現れて、おかわりはいるか尋ねてくる。お願い、ランランが答えると、カンちゃんは消え、二杯目のマックシェイクがテーブルにのっていた。ランランはそれを手に取り、あいたほうの手で俺の肩を叩いてくる。


「それじゃ、なにしてるか知らないけど、頑張ってね」

「おう。頑張る」


 ランランは満足そうに笑って、マックシェイクをすすりながら書斎を立ち去った。


 なんかよくわかんないけど、元気になったな。別に元気がなかったわけじゃないけど、でも、元気が増した。不思議な感覚だ。人と話すって、元気出るんだな。人っていうかエルフだけど。それに、頑張ってね、って言ってもらえると、やる気が出てくる。我ながら単純だ。


「カンちゃん、俺にもマックシェイクくれる?」


 返事の代わりに一瞬で現れたマックシェイクを、手で軽く揉んだあと、すする。ちゅぞぞ。その音がなんだか可笑しくて、笑いを漏らす。


「へへっ。よし、やるか」

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