第3話

 この世界の月は動かないが、太陽は動く。空のてっぺんを目指してゆっくりと昇る太陽は、ガラス張りのサンルームを光で満たし、裏庭の花々を輝かしく照らしている。


 カンちゃんの用意してくれた紅茶とお菓子がテーブルに並び、ステフはそれらを宝石でも眺めるようにうっとりと見つめている。父親が借金まみれで極貧生活だったらしいので、こういった貴族らしい生活を夢のように思っているのだろう。


「はっ、いけねえ」


 ステフは夢から覚めたのか、いつもと違う口調でつぶやく。それから声のトーンを調節するように咳払いをし、テーブルの上に置かれた紙束を手に取った。さっそくザイファルト家について教えてくれるのかと思ったが、ステフは資料を睨みつけるだけで、一向に口を開かない。しばらく様子を見ていると、ステフは「うーん」と呻きながら頭をひねった。


 もしかして頭が良くないのでは? と失礼なことを思う。知能指数がよろしくないことといい、庶民派なことといい、親がクズなのといい、親近感を覚えるやつである。しかもステフがライナ騎士団に入団したのと、俺がライナになったのはほぼ同時期だった。ライナからスパルタ訓練を受けているとき、怪我をするたびに治してくれたのは良い思い出だ。


「あの、ええと、そうだ! ザイファルト家は、アンドレアス・ザイファルトが一代で興した家です」


 ようやく説明する内容を決めたのか、ステフが大げさとも思える真剣さで語り出す。


「たしか、大陸中を旅する商人で、たくさんお金を貯めて、そのお金をこの国で色んな人に貸して、成り上がった、そうです?」


 途切れ途切れに語り、最後には疑問符まで浮かべたあと、ステフは力なくうなだれた。


「申し訳ありません。このようなときでもお力になれず」

「いやいや、そんなことないって。ほら、一人で資料読むよりモチベーションあがるっていうか、それに、案外わかりやすかったぞ」


 落ち込むステフにフォローを入れつつ、


「要するに、金貸しってことだろ」


 とステフの話を要約する。


「はい。流石はライナ様です」


 たったこれしきのことで、ステフは尊敬のまなざしを送ってくる。ステフといるときはライナとしてのハードルが下がるのでありがたい。他の団員だとこうはいかない。え? 今の話が理解できないの? ライナ様なのに? え? これしきのこともできないの? ライナ様なのに? ってな具合だ。特にクラミーという女の子が厄介だ。その子もライナの異世界ハーレムヒロインで、ライナの天才っぷりに惚れているものだから、ことあるごとにさっき言ったような態度をとる。だから最近は訊き返すことを諦め、わかったふりをしてしまう。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥、とも言うが、正直、ライナと比較され落胆されるのはつらい。


「おや、これは天才ですね」


 噂をすれば影。まあ、口には出していないのだが。とにもかくにも、わけの分からない挨拶をひっさげクラミーがサンルームに入ってきた。

 つばの広いとんがり帽子で癖っ毛を隠し、ダボダボのローブで貧相な体を隠し、瓶の底をくりぬいたような分厚いメガネのレンズで目つきの悪さを隠し、そばかすだけは諦めたのかそのままの、中学生くらいの少女。ことあるごとに『天才』という単語を挟んでくる、自他共に認める天才ルーン魔術師。ちなみにさっきの台詞は「おや、これは偶然ですね」みたいな意味だと思われる。


 クラミーはテーブルの資料を手に取り、数秒眺めたあとテーブルの上に戻す。


「大昔の自警団を前身とし、クッスレア本国で秘密警察のような立ち位置を確立したドン家。我々が代理を務めているトイバー家。この二つの家を例外とし、全ての貴族は領地の獲得を目指しています。世界唯一の安全地帯であるここクッスレア本国で力を蓄え、魔物から領地を守れるだけの騎士を抱えた頃、爵位を授かり、大勢の騎士と移住者を連れて領地の開拓に乗り出すのです。クッスレアが始まりの地と呼ばれるゆえんですね。つまるところ、ダイアモンドクラブというのは、トイバー家とドン家に加え、爵位に最も近いとされる大貴族の会合なのです」


 なにも訊いていないのに、ペラペラと説明してくれたクラミーは、


「常識なのでこの資料には載っていませんが、今のライナ殿には必要な情報でしょう。ほかになにか質問はありますか? なければ優雅なティーブレイクなのです」


 と言って席に着いた。


 ステフは目を丸くしてクラミーを見ており、すげえ、とボソッと口にした。俺の反応も似たようなものだったが、いやいや、一回で説明されても理解しきれないから、と思い直す。しかしそれを口にしても、「今の説明で理解できなかったのですか? ライナ殿なのに?」と言われてしまうので、黙っておくしかない。


「いやあ、天才の息抜きに来てみれば、こうしてライナ殿とゆっくりするのはいつぶりでしょうか。ここ一週間は記憶喪失の件でばたばたしていましたし、それ以前も、ライナ殿は我々を避けているふうでしたから。おっと、ステフ殿も忘れてはいませんとも。天才はなにも忘れないのです。正直、ライナ騎士団は横のつながりが薄いのではと憂いていたのですよ。ランラン殿とサン殿は森にこもっておられますし、カン殿も必要なとき以外は滅多に姿を見せてくれません。シャハト殿は仕方がないにしても、いやあ、ステフ殿がこの屋敷に住んでくださって、天才なのです」


 このように、おしゃべり好きなクラミーがペラペラと喋ってくれるので、会話には困らないのだが、流石にマシンガントーク過ぎてステフが苦笑いをしている。


「そういえば、ステフの師事してた人がザイファルト家にいるって言ってたけど、どんな人なんだ?」


 ステフはライナ騎士団の一番新しいメンバーだ。年齢的には上から二番目だが、後輩として一歩引いている節がある。話を振ってあげようという俺なりの気遣いだった。しかし、クラミーはそれすらも自分のものとし、


「アリア大司教のことですね。素晴らしいお人なのですよ。本来であれば今頃枢機卿に選ばれていてもおかしくない、と天才的には思うのですが、しかし、修道院長の話を蹴ってからは、完全に出世コースから外れたみたいですね」

「よくご存じですね」

「天才なので」


 にやりと笑うクラミーの表情が腹立たしい。褒めるとすぐ調子に乗りやがる。


「そうそう、そのことについて、ステフ殿にお訊きしたいと思っていたのです。アリア大司教は、どうして修道院長にならなかったのです?」


 話をふったというよりは、純粋に気になっている様子でクラミーは尋ねる。


「アリア大司教はザイファルト家で乳母も勤めていらっしゃったので。プエル様とリコ様を我が子同然に思っておられるのでしょう。二人が成人するまではザイファルト家にいるつもりだと仰っていました」

「なるほど、そうでしたか。いやあ、疑問の晴れる瞬間は気持ちの良いものですねえ。感謝なのです」

「いえ、そのような、光栄です」


 ステフは縮こまるように頭を下げる。その様子を見たクラミーが、大きな口をぱかっと開けて笑った。


「そう萎縮せずとも。ライナ騎士団に上下関係はないのですよ。それに、私はただの天才なのですから。大司教のほうが世間的にはよほど偉い。ライナ殿が記憶を失った今、出会った順番も過ごした時間も関係ありません。ライナ殿の愛人レースは、みんなで一斉に、よーいスタート! なのですよ。仲良く手を繋いでゴールしましょうではありませんか」


 思わず紅茶を吹き出しそうになる。ステフも顔を真っ赤にしていた。


「いやいや、愛人とか作るつもりねえから」


 慌てて言うと、ステフが目を丸くして俺のほうを見た。え? なにその反応。驚かれるようなこと言ったか?


 目を丸くしているステフは、そのまま説明を求めるようにクラミーを見る。クラミーは肩をすくめ、やれやれと首を横に振った。


「記憶を失っても、こういうところは変わらないのですね。ライナ殿ほどの天才が愛人の一人も作らないなんて、残酷な話なのです」


 なんだろう、異世界特有の文化的齟齬を感じる。もしかしてこの世界は一夫多妻制なのだろうか。いや、だとしても愛人という言い方は違うよな。第一夫人とか、第二夫人とか、そういう言い方になるはずだ。


「後世にはこう語り継がれるでしょうね。愛知らぬ英雄クニツ・ライナ」

「そりゃあ、知ってるとは言いがたいけど、でも、ちゃんと恋人作って、ゆくゆくは結婚して、その中で知っていくつもりだから、大丈夫なんだよ。ほっとけ」


 正しい恋愛観というものを見せつけたつもりが、クラミーは腹を抱えて笑い出した。


「な、なんで笑うんだよ!」


 思わず大きな声を出すと、クラミーはメガネを外し、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、にやついた顔で言う。

「すみません。いや、しかし、ふはっ、どこで聞いたのですか? 近頃一部の女の子で流行ってる恋愛観ですよね、それ。花かんむり系女子とかいって。ふ、ふひひ、すみません、私の知るライナ殿と、あまりにギャップが。誰に花かんむりをかぶせられたのですか?」


 クラミーは目つきがとんでもなく悪いので、にやついた顔でそんなことを言われると、めちゃくちゃ性格が悪く見える。


 クラミーはメガネをかけなおし、いまだに笑いをこらえながら、


「恋愛はあくまで娯楽。愛人と各々楽しむべし。結婚相手は生涯支え合うパートナーなのですから、互いの人生に有益な相手を。愛があるにこしたことはありませんが、愛が無くとも共に居られるだけの理由が必要です。そうしないと、あとあと後悔しますよ。そもそも結婚とはそういう契約なのですから」

「損得勘定での結婚なんて、そんな寂しい話があるかよ」


 同意を求めるようにステフを見ると、困ったように笑っていた。


「すみませんライナ様。互いに愛し合うだけで、それで結婚生活が上手くいくのなら、もちろん夢のある話かもしれませんが、しかし、愛ほどトラブルを招きやすい感情もありませんので、その、なんといいますか……」

「愛だけの結婚はリスクも大きい、ということですよ」


 言葉を濁したステフに代わり、クラミーがはっきりと言ってのけ、それに賛同するようにステフはうなずいた。


 愛にどんなリスクがあるのか、経験の無い俺にはいまいち理解できなかったが、二人がこうも言うのだから、少なくともこの世界においての結婚というのはそういうものなのだろう。


 結婚やら愛人やらの話題はそれで終わり、クラミーが話題を変えぺらぺらとしゃべり出す。ステフは愛想よく話を聞いている。俺もまねるように相づちをうち、話に耳を傾けるも、この世界についてほとんど知らないせいか、頭に入ってこない。


 ドン家が進めている貧民街の開発事業、ザイファルト家がそれに資金援助を申し出、さらに孤児院への寄付を始めたこと、政治的な話は聞くことが必要に思えて頑張っていたが、話題はいつのまにか新しくできたスイーツ店の話になり、お互いいつも同じ服を着ているものだから、いざおしゃれしようとすると勇気がいる、と同意しあったり、なんだかガールズトークの様相を呈し始めて、会話に混ざれずにいると、ついには化粧の話になって、完全にお手上げ状態になった。なんでもクラミーはもうすぐ十五歳になるらしく、十五歳とは化粧の練習を始める年齢らしい。クラミーには母親がいないので、ステフに是非教えて欲しいと、そんな会話が始まった。


 早くダイアモンドクラブの下調べをしなきゃいけないのに。紅茶を飲み過ぎて、トイレに行きたくなってきたし。そう思い始めると、いても立っても居られなくなった。


「悪い。色々調べなきゃだから、そろそろ」


 何杯目になるか分からない紅茶をさっと飲み干して、席を立つ。


「そう焦らずとも。ライナ殿なら大丈夫でしょう」


 脳天気に笑うクラミーに、心の内で言う。


 そりゃあ、大丈夫だろうな、ライナなら。


 でも、俺はライナじゃないんだ。みんな忘れちまってるようだけど、俺はクニツ・ライナじゃない。


「すみません、貴重なお時間を」


 ステフがわざわざ立ち上がって頭を下げる。そんなに丁寧な仕草をされると、余計に逃げ出したくなる。


「俺も楽しかったよ」


 かろうじて言い、俺はサンルームを出た。

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