第五章:思い出の旨みと青い空⑧

 仲直り……とは、まぁ少し違うというか、別に元から仲良くもなかったし、これから仲良くしようぜというわけでもない。


 授業を受けて、放課後はいろいろなところを回って、暗い夜道をシロハと歩く。


 ……受け入れてみれば、案外呆気ないものだった。

 あんなにも城戸が心配してくれていた母のこと。


 母は俺を愛していなかった。

 あまりに、簡単な結論である。ゆっくりと空を見上げる。

 月よりも大きな光を放つ街灯の眩さに眉をひそめて、それから暑くなってきた夜風に愚痴をこぼす。


「……父さんに謝らないとな」

「喧嘩でもしたんですか?」

「あー、両親が離婚したときに、なんかずっと母さんに張り付いてた気がする」

「……先輩のお母さんが亡くなったのって10年前とかですよね?」

「離婚もそれぐらいだな。小学校入る前ぐらい」

「謝るようなことでもないと思いますし、昔すぎるのでは……?」


 シロハは反応に困るようにそう言うが、俺としてはやはり謝るべきだと思う。


 そう考えながら、俺の家の近くを通りすぎてシロハの家に向かおうとしたそのとき、見覚えのある車が近くで停まる。


「フミ、最近大変そうだと聞いたけど大丈夫か?」


 普通のどこにでもいそうな中年の男が車の窓を開けて俺に声をかけて、それから俺の隣にいるシロハの方を見て驚いた表情を浮かべる。


「父さん……なんでここに?」

「いや、心配になって様子を見にきて……と、それよりもそっちの子は彼女?」

「ふぇっ!? ぁ……え、あ……」


 シロハはまさか突然俺の親と会うとは思っていなかったせいか、分かりやすくおどおどと慌てて、それからこくこくと頷く。


「ひゃ、ひゃいっ!」

「慌てながら嘘を吐くな、嘘を」

「おー、フミもなかなかやるなぁ。というか、こんな遅くまで連れ出すなよな」

「だから送っていってるところなんだよ」


 後輩といるときに親と話すのはなんとなく気まずく、「しっしっ」と手振りをして家で待っていてくれるように頼むが気にした様子もなく降りてきて車の扉を開ける。


「家まで送ろうか?」

「い、いえ、だ、大丈夫です。えっと、先輩、ひとりで帰るので……」

「いや、送るって。父さんは用があるなら家で待っといてくれ……。この子、めちゃくちゃ気が弱いから知らんおっさんの車には乗れないんだよ」

「フミも一緒なら平気だろ?」


 父さんが一歩こちらに近づくとシロハが肩を震わせながら奇声をあげる。


「ひ、ひひひひ」

「えっ、急に何? 怖い……」

「ああ、俺の親だから愛想よくしないとダメと思って笑ってみたけど上手くいかなかっただけだから気にしなくていい」

「ひひひひ」

「あ、そう……。本当に苦手なんだな……」


 父さんはショックを受けながら、誤魔化すように笑って、それから俺の方を見る。


「随分忙しいって聞いたし、こんな時間にまだ帰ってなかったから心配してたけど。……昔より、ずっといい顔をしてる。……君のおかげなんだな。ありがとう」


 親父に笑いかけられてシロハは唐突に感謝したことに照れて「ふへへへ」と笑い声をあげるが、スッキリした顔をしているのは誰かというと東野の影響である。


「そんなこと……ふへへ、まぁあるかもですけど」


 なお、東野の影響である。


「フミとはどういう関係なんだい?」

「え、えっとその……先輩の、中学校の卒業式の日から……」

「おお、フミもそんな子がいたら教えてくれてたらいいのに」


 続く言葉は「中学校の卒業式の日から会ってなくて最近再会した」である。


「もういいだろ……。送っていったらすぐに帰るから、家で待っといてくれ」

「いや、なら父さんもあっちに帰るよ。フミも元気そうだしな。俺も明日も仕事あるからさっさと寝たい。たまにはあっちの家にも帰ってこいよ?」

「ああ……はいはい」


 父さんと別れてシロハと歩く。

 車の音を近くに聞き、いくつもの街灯に照らされて複数の方向に伸びるシロハの影を見る。


「よかったんですか? 久しぶりなんですよね?」

「いや、割と帰ってるよ。電話も時々してるし。でも、シロハは嫌だろ。車に乗るの」


 歩くことで街灯の当たり具合が変わって、今まで見えなかった影が見える。


「ん、まぁ、そうですね。車は早すぎて、先輩といられる時間が短いかもです」

「……そんなに好かれる理由はないと思うんだけどな」


 影のひとつが薄くなり、別の影が濃く伸びていく。


「恋なんて、大抵、そんなものじゃないんですか? 素人考えですけども」

「……どうなんだろ」

「先輩はそんな特別な理由があって、今、好きな人が好きなんですか?」

「……それ、自分で聞いてて嫌にならない?」

「なりますけど」

「なるんだ……。まぁ、どうかな。どうなんだろ。そこらへん、どうでもいい気がするな」


 そもそもが、自覚したときには諦めていて、その後にどうこうと考える気にはなれなかった。


「……城戸先輩。家によく来るんですか?」

「またどうして急にそんなことを」

「先輩のお父さんが、学校の様子だけ気にしていたので。高校生の一人暮らしなら、合わせて家の中も気になるはずで、でも、先輩が家で待っていてと言っても気にする様子もなかったので、誰かから様子を聞いたのかと。誰か、は、まぁ義理のお姉さんである城戸先輩かと」

「……父さんが度々様子を見にきてるだけかも」

「さっき、時々帰ってるし電話もしてるって言ってました。言い方からして、それはないです」

「探偵に追い詰められてる犯人の気持ちだ……なんなの、怖い……」

「恋する乙女は全員探偵なので」

「恋する乙女怖いよ。……いや、まぁ、城戸はよくくるけど、変なことはないからな」

「……最近義理の姉弟になった同級生がよく家にくる時点で変なことだと思いますけど」

「いや別の部屋で寝てるし……」


 そう言い訳して、それからその言い訳がまずいことに、シロハの顔が赤くなったことで気がつく。


「ああ、なら……ってなるわけないじゃないですか!? えっ、高校生の男女が頻繁に二人でひとつ屋根の下で寝泊まりしてるんですか!?」

「い、いや、やましいことは何もしてないから、セーフだろ」

「アウトですよっ! 親も親でそんな状態でよく放置してますねっ!?」

「まぁ、信頼されてるんだろ」

「というか……お父さんと女性の好みが被ってるんじゃないですか? 義理のお姉さんを好きになるって」


 ……それは……あまり考えたくないけど、そうかも知らない義母さんと城戸って割と性格も顔も似てるしな。


 ……父さんとそれが被るのすげえ嫌。


「いや、ほら、あれなんだよ。父さん、すごい美人が好きで、俺はそこはそんなに気にしないから」

「ああ……城戸先輩も美人ですし、黒名さんも美人ですもんね。いや……先輩もどっちも好きじゃないですか」

「母親に対する好意は顔とか関係ないだろ……」


 たくさんの人工的な光で、歩くたびに影の形が変わっていく。

 当然なことだけど、なんとなくそれを見てしまう。


「もうすぐ、文化祭ですね。……楽しみですか?」

「全然。全く。一日中働くうえに、何かあったら責任を取る立場で、まず何か問題は起きるだろうし。終われば生徒会選挙があるから俺は降りることになるし、内申も騒ぎを起こした分むしろ評価下がりそうだし、いいこと全くない」


 俺がそう言うと、電灯の近くでシロハが止まり、濃い影がひとつだけ俺の方に伸びる。


「えへへ、でも、するんですよね?」


 笑っていて、たぶん褒めてくれているのだろうけど、それは少し寂しそうで……。

 まぁ、そうなのだろう。俺が誰にでも親切にしようとしてるのなんて、シロハからしたら面白いものじゃないだろう。


「……先輩は、やっぱり馬鹿ですね」

「シロハも文化祭とか楽しめないタイプだろ」


 馬鹿だな。と、言おうとするが、先にシロハが口を開いて言う。


「先輩。文化祭の準備で……私、それなりにたくさんの人と話しましたよ。クラスでは恋バナみたいなこともしました。……だから、先輩。……文化祭が終わったら、もう一度、先輩のことを好きだと言います。彼女にしてくださいと頼みます」

「……シロハ、それは」


 顔を上げても、暗い中の逆光でシロハの顔がよく見えない。

 きっとシロハの方からは、俺の間抜け面がよく見えていることだろう。


 俺がシロハと一緒にいるのは……放っておけないからだ。

 人と仲良く出来ず、いつも皮肉ばかりで無愛想。


 俺が助けないとダメだと、中学生のときからずっと思っていた。


 それだけがシロハとの繋がりで、それがなければもっと手間がかかるキイロなり……好意を感じている城戸なりと……というのが、この前の、リコールの日に確かめたことだ。


 俺もシロハもそれは分かっているはずで、だったら、今シロハが口にしたそれは……。


 愛の告白で、あるいは絶交の宣言で、その予告だった。


「……家、着いちゃいました。さようなら、先輩」


 俺は止めることも出来ずに、けれども「さようなら」と当然の言葉も返せずにそこに立っていた。


 文化祭の日は近い。

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