第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇⑧
「結局、ついてくるのか」
「東野先輩に会いはしませんよ。家の前で待ってます」
「……もう暗いからそれもなぁ」
疲れた体を引きずって夜道を歩く。
東野の様子だけ確かめたらシロハを家まで送らないとな。
わざとらしく遅いシロハの足に合わせて歩く。
「……先輩は、毎日こんなに遅く帰って、おうちの人は心配しないんですか?」
「ん? あー、今一人暮らしだからなぁ」
「……初めて聞きましたけど」
「なんでちょっと責めるみたいな口調なんだ」
「責めているので。……何かあったんですか?」
「ああ、いや、親父が再婚して。新婚の邪魔をするのもアレだし、引っ越すよりも今まで通りの家の方が近いからな」
シロハはジッと俺を見て「ふーん、そうですか」と呟く。
「どうせ女の子とか連れ込んでるんでしょうね」
「俺の印象どうなってるんだ……。連れ込んでなんて……」
と、考えてから城戸のことを思い出す。
……いや、うん、一応、最近なったばかりとは言っても義理の姉だし。セーフだよな。
「……親族はセーフだよな」
「再婚した義理のお母さんが見にくるってことですか? それならまぁ普通かと」
似たようなものなのでセーフだな。よし。
自分を納得させている間に東野の家に着き、チャイムを鳴らすと女性の声が聞こえて東野の学校の後輩だと名乗ると、少ししてから東野が出てくる。
シロハは本当に苦手なのか東野からは見えない位置に隠れていた。
東野は俺を見て、隠す気もない心底嫌そうな表情を浮かべる。
「何の用だよ……。三船」
「いや、最近学校休みがちらしいから。様子を見に」
「……体調が悪いだけだ。ほっとけよ」
当然ながら歓迎とは真逆の態度。
……こういう悪意を隠さないどころかわざとらしく見せてくるところ、少しシロハに似ている。
俺は数歩進んで東野の顔色を見る。
あまりよくはないけれど、どちらかというと気疲れのような様子に見える。
「学校ならちゃんと行く。もうそろそろ受験だし、これぐらいでサボってもいられない」
「クラスとか、大丈夫か?」
「おかげさまでな。 そりゃあもう、大人気だ」
皮肉……。まあ、言い返す気にはなれない。
東野は玄関先で気だるそうに腰を下ろして、やる気がなさそうに俺に尋ねる。
「……はぁ。んで、生徒会、どうよ」
その問いが意外で、思わず少し返答に間が空いてしまう。
「……案外、心配してくれてるのか?」
「心配なのはお前じゃないぞ。お前に振り回されてる奴らがだ。そもそも、俺はお前が昔から大嫌いだ」
「あー、まぁ、上手くやってるよ。そもそも生徒会の人数も増えたし、盛り上がってるから生徒達も協力的だし」
「文化祭以外のことは?」
「さあ、俺は宴会部長ならぬ文化祭会長だからな。そこら辺は副会長に任せてる」
「お前さぁ……」
案外、責任感があるのか。それとも単に俺のことが嫌いなだけか。
東野は呆れた表情を俺に向けて、それから彼からは壁に隠れて見えていないはずのシロハの方に目を向ける。
「俺、三船のこと、昔からすげえ嫌いなんだよな」
「知ってるよ……」
「有名女優の一人息子で悲劇の主人公。みんなから好かれていて、後輩の女子から慕われてる。……んで、大盛り上がりの中で生徒会長。俺がやりたかったの、全部持っていってる」
……母親に関しては、複雑な気分だ。
「俺はさ、お前になりたかったよ」
「……弱ってるんだよ。東野は」
「……」
「まぁ、学校にはちゃんとな。居心地は悪いといっても、みんなすぐに忘れるだろ」
「いや……忘れないだろ」
「……まぁそうかも」
東野は呆れたように「適当言いやがって……」と口にする。
「……殴って悪かったな」
「なんだよ、急に」
「……俺のことを嫌いじゃないの、お前ぐらいだろ。少し、そう思って」
「……家族とかは好きなんじゃないのか?」
「お前、素で学校では嫌われてると思ってるな? まぁ否定はしないけどさ。……性格悪いのは理解してるし、まぁ俺も俺みたいな奴は普通に嫌いだけど……だけどな」
東野は、少し目を伏せて、まるで愛の告白するように声を絞り出す。
「……じ……『自分が思うようにすればいいんだ。人の物語を演じる必要はない。貴方は、貴方なんだから』……なんてな」
数秒固まって瞬きをして、それから深く息を吐く。
「なんで、十年も前の映画のセリフがパッと出てくるんだよ」
「そりゃ、あれは名作だし」
「映画サイトの評価1.7だったぞ? サメがスライド移動するタイプのサメ映画でももうちょい点取れるだろ。というか、俺も何回も見ても全然面白くないし」
東野は嘲笑うように「ふんっ」と鼻を鳴らす。
「そりゃ、お前みたいな奴には分からねえよ。あれはな、嫌われ者のカスが嫌われ者のカスのまま、何一つとして成長せずに報われるという話だからな」
「いや、まぁ、そうなんだけど。ええ……?」
「主演の黒名 絵菜。あれもハマり役だったな。本当に良い話だった。普通さ「貴方はありのままでいい」なんてのは「ありのままで素敵だよ」みたいな嘘とセットだが、あの映画のキャラクターは違う。ありのままだと全員カスなんだ」
めっちゃ早口じゃん、こいつ……。
「まぁ、そりゃ、素でいい奴のお前には分からねえよ。ははは」
東野は褒めてるみたいなことを言いながら俺を嘲笑う。
「そうか。はは、そうか。そうだよな。アレは、俺のための作品だ。お前のじゃねえよ、三船」
「……お前、人の母親の遺作を」
「ははは、一瞬で引用が分かるぐらいに観てたのに、何も分かってないんだな? ……ばーか」
東野はそう言って「くっくっく」と下を向いて笑う。
「マジで性格悪いな……」
「そりゃ、学校はもちろん、家族にまで嫌われてるからな」
「もう俺も嫌いになったよ」
「んじゃ、俺の味方は黒名絵菜だけだな」
「マジで性格悪い……」
と、俺の言葉の後に、ポタリ、ポタリ、俯いたままの東野の目から落ちたそれが黒い粒を地面に作っていく。
「……帰れよ」
一瞬、シロハの方を見て、それから頷く。
もう狙っているわけでもないだろう。けれど、それでも見られたくないというのは、俺にも分かることだった。
「俺の勝ちだな。……間抜け」
「……また学校でな」
背を向けて、その場を去る。
シロハは東野の涙に気がついたのか、そうでないのか、特に何も話さずに家の前まで着いて、それからひとりで家に帰る。
いつもみたいにシャワー浴びて、適当に何か食おうと思って冷蔵庫を開けると「お疲れ様。洗い物は明日しておくからシンクに置いてて」とメモが貼られた料理が置いてあり、それを食べる。
その後、テレビのリモコンを弄って何度も何度も見返した映画をまた最初から見返しながら、あまりの退屈さにウトウトと微睡む。
「…………つまんね」
なんて、この映画を見たほとんどの人と同じ感想を口にして、いつのまにか眠りに落ちていた。
翌日、変なところで寝たせいで固くなっていた体をほぐしながら、長年DVDプレイヤーの中に居座り続けたDVDを取り出して、パッケージの中にしまう。
途中、サインみたいに気の利いたものは書いてないかを確認してみるが特に何もない。
一応は有名女優の出演作の試供品をもらった私物なのでそれなりのお宝のはずだが、まぁ普通の市販品と区別はつかなさそうだ。
あくびをしながら学校に向かって、三年生の教室に入り、それから性格の悪そうな先輩に向かって軽く放る。
「やるよ、それ」
そいつは少し驚いてから「くくく」と意地の悪い笑い方をして、鞄から何かを取り出す。
「土日、暇か? なら、いいところ連れてってやるよ」
「いいとこ?」
「俺の好きなインディーズバンドのライブ。三船、絶対楽しめねえから」
「……絶対楽しめないところに行きたくねえよ」
「はは、来いよ。約束な」
意地と性格の悪い男は、俺が渡したDVDを嬉しそうに眺めて、そう言った。
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