第五章:思い出の旨味と青い空⑥

 顔の怪我は打撲している程度で特に異常はないとの結果で少し安心する。


「家まで送ろうか?」

「あー、いや、学校に戻りたいです。文化祭の準備とかありますし」

「そうか。この歳からワーカーホリックだな」

「責任があるので、署名してもらった」


 俺がそう言うと、先生は俺の方を見る。


「……ねえよ、責任なんか。お前はまだ子供なんだから」

「……」


 そうは思えないのは、俺がまだ子供だからだろうか。署名の紙の束は確かな重みがあり、スマホは通知を切っていなければひたすら鳴り続ける。


 責任を感じるな、なんて無理な話だ。


「……頑張るなよ」

「ほどほどにしておきます」


 先生は「分かってなさそうだな」という表情をしながら車を走らせる。


 先生に謝ってからスマホを弄って色んな人に返信を返していく、半分も返せないまま学校に着く。


 ……とりあえず、生徒会の件もあるので田村とシロハを探すか。


 そう考えて歩いていると、色んな奴から声をかけられる。


 挨拶ぐらいはいつものことだが……なんというか、妙に好意的だ。一緒に写真を撮ろうとかせがまれるし……どうにも居心地が悪い。


 避難するようにいつもの空き教室に入るとシロハが筆を持ってキイロが謎のポーズをとっていた。


 ……仲良し……なのか? 案外、仲良しなのか?


「何してるんだ?」

「あっ、先輩。九重さんの絵を描いてました」

「……何で?」

「流れで。……それにしても、ほら、案外上手くないですか?」


 シロハは珍しく嬉しそうな表情で俺に絵を見せる。確かに言うだけあってなかなかよく描けている……が、たぶんキイロの顔が整っているから描きやすいというのもあるだろう。


 キイロの隣に座りながら、シロハの方に話しかける。


「さっき、学年主任の先生と話したけど、生徒会の人数増やすのは何とかなりそうだ」

「じゃあ、会長補佐とかでしょうか? それとも庶務とかですか?」

「確か、会長、副会長、会計、書記、庶務って役職があったはずだから……。まぁ会長補佐とかでも……あー、まだ頼んでもないけど田村も入れたいんだよな」

「……誰ですか、田村って」

「男友達。とりあえず、生徒会室に行くか。もしかしたら生徒会の奴いるかもしれないし、出来たら今日中に顔を合わせておきたい」


 座ったばかりだが立ち上がると、シロハもパタパタと立ち上がる。

 キイロは少し考えた表情を浮かべてからペンを握る。


「キイロもくるか?」

「あ、いえ、絵を描きたいです」


 キイロは変わらないな、と笑ってからシロハとふたりで廊下に出る。手早く田村に生徒会室に来るようにメッセージで頼んでいると、シロハは俺の顔を覗き込む。


「怪我、ちゃんと治療したんですね」

「んー、ああ、先生に見つかって」

「……先輩、告白されたのにいつも通りです」

「……内心慌ててるぞ」

「嘘です。……先輩、好きな人いるんですか?」


 シロハの方を見る。彼女はそれを聞いているが、俺がどう答えようとも諦めるつもりはなさそうだった。


「……好きかどうかで言えば、シロハのことはちゃんと好きだぞ。キイロが心配だから、すぐに付き合うとかは少し考えないとだが」

「そうじゃなくて、恋してる人は」


 城戸の笑った顔を思い出してしまう。

 シロハはじとっと俺を見て、察したように俺から目を離す。


「……その人と、付き合いたいとかは思わないんですか?」

「さっき告白してきた子を相手に恋バナはしたくないんだけど……」


 シロハの横顔を見ながら少しだけ歩調を落とす。


「……片想いなのは、中学生の頃からずっとなので、今更気にしませんよ」

「…………もう失恋してるよ、俺は」


 城戸に対する好意を気付いたときには既に家族をやっていた。……いや、もっと前からきっと好意はあって、父に気を遣って気づかないフリをしていただけか。


 けれど、好意に気付いたときには既に諦められていた。


 シロハは制服の袖から覗く白く細い指をきゅっと握る。袖に隠れた手を見ながら、夕方になっても開きっぱなしの廊下の扉を手で閉じる。


 会話は途切れて俺とシロハの足音が響く。


「中学の卒業式の日にシロハが怒った理由、まぁ、なんか分かったよ」

「……後悔してますけどね」

「それもなんか分かる。……俺は、まぁ情けないというか、みっともないんだけど、マザコンでさ」

「知ってます」

「けど、まぁ、母親に恨みはあるしさ」

「知ってます」

「……やっぱり、血が繋がっているからか、似たようなことをしてるなって」


 生徒会室の扉を開けて、パイプ椅子が数個と、少しだけ立派な真新しい椅子を見て苦笑しながらパイプに座る。


 シロハは隣に腰掛けて俺の顔を見た。


「俺は母親の子だと、思い知らされる」

「……まぁ、顔は似てますよね」

「いや、そういう話しじゃなくて……」


 俺が呆れながら言うと、シロハは首を横に振る。


「そういう話しです。顔とか似てると思いますけど、聞いた話と先輩は全然一致しません」

「……どうかな」


 俺の言葉を遮るようにシロハの唇が俺の口を塞ぐ。再びされたキスに驚くと、シロハは口を離す。


「……あの、シロハ、俺が怒らないからって好き放題してない?」

「してますけど」

「してるんだ」

「……人に何されてもそんなに怒らない先輩が、飽きたからって子供をおいていくような人と一緒にしないでください」

「人の親にすごいこと言うな……」

「親なんてしてないじゃないですか」


 ……そりゃ、そうかもしれないけど。

 柔らかい唇の感触のせいで頭が上手く回らない。


 何だか新手の洗脳手法なのではないだろうかと思うぐらい、素直にシロハの言葉が心の中に入り込んでくる。


 窓から入り込む赤い光を浴びて、赤くなったシロハの顔を見る。


「……弱音、吐いていいか?」

「いいですよ」

「……やっぱやめとく。シロハにはかっこつけたいし」


 俺がそう言いながら伸びをすると、シロハひクスリと笑う。


「なんですか、それ」

「思ったより、キスされたの嬉しいらしくて」

「なら、もっとしましょうか?」

「いや……キイロに悪いし、付き合ってないけど」


 シロハを見て「かわいいな」と思う。

 失恋したところに来てくれたからか、それとも色々と重なってしんどい時に助けてくれているからか。


 ……単純に惹かれているだけか。


 数秒、その唇に見惚れる。

 俺が見惚れていたことにシロハも気がついたのだろう。小さな手が誘うように俺の制服をつまみ、少し身を寄せる。


 誘惑に負けかけたその瞬間、からりと扉が開き、シロハの肩が跳ねる。


「あ、電気が付いてると思ったら……やっぱり、三船先輩いたんですね」

「うおっ、あ、ああ、書記の……」


 この前、生徒会室で会った一年の女子生徒がまるで犬が尻尾を振るような表情でとてとてと俺の方にきて、身体をカチコチにしているシロハを見て首を傾げる。


「三船先輩が「生徒会を辞めずに待ってて」って、このことだったんですね」

「ああ、まぁ……そうだな。……リコールは成立して、今は俺が臨時の生徒会長ということになってる。本来なら新しいメンバーを決めるところだけど、今から引き継ぎとか大変だし、内申とかのこともあるから本人が希望するならそのままの役職で続けてもらいたいと思っている」

「なら、是非お願いしたいです!」


 ……随分と好意的だ。まぁ、今の学校の空気からして俺の評判は極まって良いし、この子からしたら「自分のためにここまでしてくれた先輩」に見えているかもしれない。


 ブンブンと振っている尻尾を幻視しながらシロハの方に目を向けると、シロハは心を閉ざしたように無言になっていた。


 ……シロハ、死ぬほど内弁慶だな。

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