第五章:思い出の旨味と青い空⑤

 学年主任の先生に紙の束を渡す。

 真新しい紙なのに多くの人の手を渡ったために色んな汚れが付着している。


「……あー、早いな。ちゃんとしてるか?」

「不備があるところは付箋してます。見逃しがあるかもしれませんが、まぁ、それでも過半数は余裕で超えてるので」


 教師はペラペラとめくり、それからため息を吐く。


「……そか。……本来ならすぐに生徒会選挙を行うことになるが、まぁ、もうすぐ次の選挙期間だしなぁ。受験とかにも関わるから、次の生徒会長が決まるまでは三船にやってもらうことになると思う」

「はい。……あー、本人が嫌がらない限り、元の生徒会のメンバーを引き継げたらと思ってます」


 ほんの少し驚いた顔をしたあと、どこかホッとしたように安心した表情を浮かべた。


「そうか。気を使わせて悪いな」

「いえ、ご迷惑をおかけします。……ああ、でも、俺と連携が取りやすい人もほしいので、それとは別に新しく役職作ってもいいですか?」

「……まぁ……そうだな。現生徒会役員の受験とかを気にしてそのままにしたいって言ってるんだよな。……まぁ、特例的に認めるぐらいは問題ないか。それで誰だ? 城戸か?」

「二年の田村と一年の矢野ですね」


 俺がそう言うと、学年主任の先生は露骨に「うえっ、問題児ふたり」というような表情を浮かべる。


「……矢野はまだしも。田村かぁ」

「田村が暴力事件を起こしたのなんて一年も前のことですよ」

「……まぁ、そうなんだけどなぁ。…………そうだな。最近は大人しいし、真面目にやってるか」

「田村はずっと真面目なやつですよ」

「……そうかもな。ああ、ふたりにはもう了承を得てるのか?」

「田村からは得てないけどまぁ大丈夫です」

「それは大丈夫じゃないだろ。……少し場所を変えてもいいか?」

「あ、はい。大丈夫ですけど」


 職員室で注目を浴びていたからだろうか。

 少し廊下を歩くと、廊下を歩いていた一年の女子生徒達が足と口を止めて俺の方を見ていた。


 多分、署名してくれたのだろうと思い軽く笑いかけると笑い返してくれた。


「……人気者だな」

「署名集めのことですか? 方々でパシらされていたから顔が広いってだけですよ」

「……そうか。まぁ、その辺も話すか」


 そう言いながら先生は玄関に向かい外に出る。


「あの……どこに向かってるんです? てっきり生徒指導室とかかと」


 俺がそう尋ねると、先生の肘がゴスリと俺の横腹を突く。

 うぐっ、と、なっていると俺の顔を触って山田にしてもらった化粧を手で擦る。


「病院に決まってるだろ」

「……ぼ、暴力教師」

「アホか。俺ほど生徒想いの教師はいないだろ。とりあえず、レントゲンとか撮ってもらうから。予約はもうしてある」

「……なんで予約してるんですか」

「東野の指の骨にヒビが入ってた」

「……あー、右手ですか? 左手ですか? ペンはちゃんと持てるんですか?」

「自分を殴った相手の受験の心配をするな。ったく……。左手だからペンは持てる」


 駐車場にまで行き、先生の車に乗せられる。


「……普通、こういうのって保健の先生が連れていくものかと思うんですけど」

「親に連絡行くけどいいか?」

「連れて行ってくれてありがとうございます……」


 先生は「調子がいいやつだ」と言いながら車を動かす。


「無抵抗な相手に逆恨みで暴行。普通に……数ヶ月は停学というところだが……」

「生徒会長を辞めさせられた上に停学なんてなったら受験に相当響く……というか、学校来れなくなると思うんで」

「そう言うと思ってな。刑事事件でもおかしくないし……本来ならそうするべきなんだろうが」

「ありがとうございます」


 先生の目は一瞬だけ俺を見てすぐに前に戻る。


「……生徒会の顧問、教頭先生に代わるからな」

「顧問が? またなんで」

「清水先生がお前を怖がってるからだ」


 俺が思いがけない言葉に驚くと、淡々とした様子で言葉を続けていく。


「俺はこう見えて結構歳だからよく分からないが、SNSで拡散とかあるんだろ」

「……いや、どう見てもおっさんですけど。まぁ、ありますね」

「最悪、この土地にいれなくなると思ってるみたいだ」

「……それは」

「東野にそれが出来るだろ。教師に出来ないわけもない。そういうリコールみたいな仕組みはなくとも同じだけの署名を集めて人を巻き込めば制度とかはなくとも動かざるを得なくなるし、居場所はなくなる。というか、変に話が広まって全国区の悪名になる前に逃げるだろ」


 ……そんなこと、出来ないと思うが。いや……どうなんだろうか熱狂を見たくなくて目を逸らしているのでよく分からない。


「……先生たちの中でも、若い先生は特に、ビビっているし、熱に浮かされている」

「……」

「カリスマがあるんだろうな。三船、お前には」

「……そんなこと」

「俺が見てきた生徒の中でダントツで特別な生徒だよ、お前は」

「…………あんまり、嬉しくないですね」

「教師として言うが、自覚はした方がいいと思う。お前はすごいし、怖いよ」


 ……たぶん、心配してくれているのだろう。


「あと、女関係にはマジで気をつけろよ……」

「……それは、まぁ、はい」

「既に何か覚えがあるのか……」

「覚えがあるというか……修羅場の真っ只中というか」

「お前修羅場の真っ只中にリコールしてんの!?」

「いや、リコールの演説→修羅場→署名提出の流れです」

「スピード感よ」


 いや、でもまぁ仕方ないし……。というか、教師に注意されるレベルで俺はモテるのか……? 俺が……!?


「はあ、修羅場って大丈夫なのか?」

「まぁ、大丈夫です。……それよりも……文化祭のことですね。プロに依頼をしてるなら一日でも早く謝って取り消さないと」

「……まぁ、お前が謝る分なら怒られることはないと思うが」

「いや……俺をなんだと思ってるんですか? 普通にキレられますよ」

「……お前の母親と同じ事務所の人だったはずだ」

「ああー……そういう。……あっち、結構俺に罪悪感を持ってますからね。母親の自殺、世間では過労扱いなのもあって」


 そりゃ怒られないだろう。……けど、変に気を遣われそうで余計に気が重くなる。


「はあ……田村に変わってもらおうかなぁ」

「三船の田村への信頼はなんなんだ……」


 アイツは頼りになる奴だから……。


 ……それにしても、面倒なことが続く。シロハとキイロのこと、文化祭のこと、母親の事務所に謝りにいくこと、東野のこと……と、椅子にゆっくりと背をもたれさせて、ため息を吐く。


「……ああ、あと、次の生徒会選挙、お前が立候補してもいいけど、応援は禁止な。本人がどうこうじゃなくて、お前の気分次第のものになるから」

「はい。まぁ、文化祭が終わったら大人しくします。宴会部長ならぬ、宴会会長に徹しますよ」

「あと、スクールカウンセラー……は、部屋に入るところ見られたらマズイから相談も出来ないだろ」

「……まぁ、不安がらせることになるので相談は無理ですね」

「俺に電話すればいい。多少は融通してやれるから」

「……ありがとうございます。早速相談聞いてもらっていいですか?」


 先生は怪訝そうな目で俺を見る。


「なんだ?」

「告白したことと告白されたことがある女の子を自分の補佐として生徒会に入れるのって職権濫用になると思います?」

「えっ、矢野と付き合ってんの? ああ、いや、悪い、完全に好奇心で聞いた。答えなくていい」

「付き合ってはないですけど……まぁ、その、ほら、思春期特有のアレなので」

「思春期の奴が自分で思春期特有のアレとか言うな。斜に構えず青春しろ。……まぁ、生徒会役員が付き合うこととか普通に自由だと思うぞ。子供のやることだし、そんなに真面目に考えなくてもいい」


 ああ、まぁ、そんなものか。

 俺が頷くと、先生は微妙な顔を浮かべる。


「ただ……なんか、会社の社長が自分の愛人を役員とか秘書とかとして雇うみたいな感じで生々しいところがある」

「それはそう」

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