第三章:臆病の塩味と鳴らない一年①

 暖かい。と……言うよりも暑いぐらいだ。

 ドクドクと心臓が音をあげる。全力で走った時のように息が切れそうになるのを必死で抑える。


 ……眠れそうにない。

 城戸が寝たらソファに戻ろうと思っていたのに……眠りはじめる様子はなく、俺の腕の中で恥ずかしそうにもじもじとしていた。


 怖いから一緒にいるというような言葉は、すでに言い訳になってしまったかのように忘れていた。


 まるでこの世界には俺と城戸しかいないかのように、彼女の体温ばかりを感じる。


 …………今、この瞬間、俺が親父や千夏さんの幸せを無視して……城戸に「好きだ」などと口走ったら、受け入れてもらえるのだろうか。


 受け入れてもらえるとしたら、好意から受け入れられるのか、それとも家族の関係を壊さないために受け入れられるのか。


 断られるとしたら、好意がないから断られるのか、それとも家族の関係を壊さないために断られるのか。


 …………。…………。馬鹿なことを考えた。


「……どんなベッドが欲しいんだ?」

「んー、私はあんまり体が大きくないから、部屋を広く使えるように小さめの方がいいかな」

「ああ、まぁ、背も高くないし細いよな」


 抱きしめながら体格の話をすると、実感が伴ってよく分かる。

 女性らしい膨らみはあるものの細身で軽い。


「……あのさ、お母さんのことは大好きなんだけど、不満はあるんだよね」

「不満?」

「妹か弟か、今から産まれたら、気まずいよ。この年齢で三船さんをお父さんとは思えないしさ」

「……親を取られたように感じたのか?」

「…………取られたんじゃないよ。お母さんがそれを選んだんだよ」


 また沈黙。抱き合いながらの会話は振動が骨を伝うように、小さな声でもよく響いた。


「…………それにさ、お母さんが三船さんと出会うより前に、私がフミくんと出会ってたのに」

「……ああ」

「私の方が先だったのに」


 返事をすることが出来ず、城戸の体を抱き寄せる。衣擦れの音、お互いの吐息。

 城戸の胸が俺の胸に潰されて、彼女の心臓の音が肌を伝って響く。


 柔らかい異性の肢体。ふたりきりのベッド……たくさん頭の中に浮かぶ言い訳。


 ……けれども、それでも、理性というものは残っていた。


 いっそ父親のことを嫌っていれば……などと、何度、何度、何度、考えたことだろうか。


「……ムギ」


 思わず溢した、彼女の名前。

 彼女と名前で呼ぶほど仲良くなってから、親の再婚を知るまでの間……たった三日程度の間だけ呼んでいた名前。


 懐かしさを覚えて、切なさを感じて、息を吐く。


「……うん」

「俺は案外、ずっと、臆病で。…………君が怖い」

「……知ってる」


 抱きしめ合うというのは、きょうだいとして許されることなのか。

 揺れるような関係の中、何も分からない夜の中、分かることは……今夜は、嫌に心臓がうるさくて、眠れそうにないということだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「……ねっむ」


 と思わず愚痴を口にしながら、昨日も来たデパートで家具のコーナーを回っていた。

 俺も城戸も目の下にはクマが出来ていて、フラフラしながらベッドを見て回る。


「おー、見て見て、これお姫様のあれ……蚊帳? みたいなの付いてる」

「天蓋な。それにするのか?」

「いやー、こういうの、九重さんとかなら似合うかもだけど」

「気に入ったものがなければ別の店に行くか? 高いものだし慎重に選んでも」

「んー、いや、寝心地の違いが分かるほどでもないし、デザインもほとんどお布団で隠れるからあんまり気にならないかな」


 そんなもんか……と思っていると、城戸が「あっ」と声をあげる。


 昨夜はずっと話していて、城戸もほとんど寝れてないだろうに……元気だな、と思いながら近くにいくと、彼女はふかふかの大きなダブルベッドの値札を指差す。


「見て! このベッド、元々安いのに半額!」

「あー、本当だな。デザインがクソダサいけど、ダブルベッドなのに諸々付いていても周りのシングルベッドよりも安い……いや、安すぎないか、これ」

「……賞味期限切れ間近だったりするのかな」

「ベッドに賞味期限はない。……在庫処分か? それにしても安すぎるが……」

「もしや……寝た人物が呪われる、呪いのベッドとかかな」

「いや、新品しか売ってないだろ」


 パッと見、何も問題なさそうに見えるが……それにしては安い。本当に呪いのベッドとか言われた方が安心出来るような値段だ。


 そんなことを思ってベッドを眺めていると、店員らしき若い女性が俺達の方にやってくる。


「お客様、何かお探しでしょうか? 昨日も別の女の子とデートをされていたお客様」

「店員にほとんど通り魔みたいな刺し方されたな……。いや、姉弟ですよ、引っ越しでベッドを見に来てるだけです」


 俺がそう言うと店員の若い女性は「失礼しました……」と頭を下げる。


「あ、店員さん、すごい値下げしてますけど、どうしてですか?」

「ああ、その商品ですか……実は曰く付きの一品でして」

「量販店で呪いの品って売ってるんだなぁ」

「そのベッドを買いにきたカップルの方がみんな別れるというものでして……」

「へー、呪いの原因が自分で呪いの説明をするパターンってあるんだ」


 間違いなくカップルが別れたのはこの女性店員の浮気男を見たときの義心からだろうな……。


「んー、どうしようフミくん」

「自分のなんだから自分で選べよ……。まぁ、問題があるのは店員さんの方でこのベッドに問題はないみたいだし買ってもいいんじゃないか? ……それに」

「それに?」


 ……それに呪いが本当だったら、気持ちも楽になるのに。なんてことを口にしそうになって口を閉じる。


「……予定だと小さいのにするつもりだったけど、これはこれでいいかな。呪いの品というのが気に入ったし」

「棚とかも買うか」

「あ、本棚欲しいな」

「あとテーブルもいるか。作業するのに使うだろ」

「リビングとかでするからいらないかな。ベッド大きいの買ったら狭くなっちゃうし。それよりもカラーボックスとかほしいかなぁ」


 必要な家具を見繕って、それからおしゃれなカーテンやらを選んで全て本日中に届くように配送してもらう。


 午後には来るそうなので昼飯を食べて帰るぐらいか。


 軽くなった財布を見ていると、城戸は俺の方を覗き込む。


「しばらく、お料理は節約しよっか?」

「いや気にしなくていい。生活費とは別口だしな」


 使う予定のない俺のお年玉からだしな。

 今は生活費をもらっている中でやりくりしてるし、そんな頻繁に遊んだりしているわけでもないので気にしなくてもいいだろう。


「何か食べて帰るか?」

「んー、早く寝たいかなぁ」

「ああ、それは俺もだ。一階のスーパー寄って帰るか」


 カレーの材料を買って、昼飯に弁当と、あとささやかながら夜には城戸の歓迎会みたいなことをしようとジュースとお菓子を買う。


 いつもの癖で城戸が好きなアイスを手に取ってしまうと、彼女は「にやー」とした表情を浮かべながら俺の好きなアイスをかごに入れる。


 ああ、なんで城戸はいつもこんな風に……と思っていると、不意に背後から「……先輩?」という鈴のような声が聞こえる。


 キイロじゃないし、関谷でもない。

 けれどもどこか聞き覚えのある声に反応して振り返ると、しばらく見ていなかった顔が目に入る。


 黒髪ショートカットの、中性的な服装も相まって一瞬美少年にも見える中性的な美少女。


 最後に会ったのは、一年ほど前の中学校の卒業式の日。……その日に引っ叩かれた頬が、ほんの少し痛むような気がした。


 驚いたような表情の彼女は、すぐに喜んだような表情に、悲しんだような表情にと変えて、最後には取り繕うような怒りの表情に変えた。


「……シロハ」


 彼女の名前を呼ぶと、彼女はもう一度、俺のことを「先輩」と呼んだ。

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