第二章:怠惰の甘みと回るコンパス⑦
城戸は俺とキイロの前にぽんとお茶を置き、それから緩んだ表情を引き締める。
「ふむ。細いけど……龍滝くんみたいなのとは違うね。運動不足というよりかは、あまり物を食べてない感じ」
「えっ、あ、す、すみません」
「いや、怒ってるわけでもお説教でもないよ。貧血気味なのが心配なだけ。この参謀、歩くの速くて疲れたでしょ?」
歩幅ぐらい合わせてるよ……。
キャプテンは俺と反対側のキイロの隣に座る。
キイロは俺達の間に挟まれて肩身が狭そうに縮こまる。
「お、オタクに優しいギャルに挟まれてる……」
「なんでゲーセンは分からないのにオタクに優しいギャルは分かるんだよ」
「このままだと、私までオタクに優しいギャルになってしまいます……」
「オセロのシステムか?」
「山田先輩もそうですけど、オタク優しいギャルしかいない部活なんですか……?」
「山田は確かにオタクに優しいギャルだけども……。というか、その言葉、あんまり外で使わない方がいいぞ」
というか、どこで知ったんだよ、そんなスラング……。と考えてからすぐに関谷の顔が思い浮かぶ。
アイツしかないな……。本当にロクなことをしない。
「大丈夫だよ、九重さん。確かに参謀はオタクに優しいギャルだけど、私は違うから、挟まれてもひっくり返らないよ」
「なんで頑なに俺をギャルにしようとしてんだ……。あー、怪奇研のメンバー、俺と城戸と山田と、あとまだ会ったことないと思うけど、田村ってやつと龍滝ってやつがいるけど、今のとこ、あんまり怖くないだろ?」
キイロはコクンと頷く。
「……田村さんと、龍滝さんも女の子なんですか?」
「いや、そのふたりは男。田村は……基本やる気がないけど、無理矢理巻き込んだらいい仕事をするやつで、龍滝は……自分からあんまり話す方じゃないから、キイロと会っても会話なさそうだな」
「参謀は田村くんを本当に気に入ってるよね」
「指示の内容が適当でも、頼んだこと全部いい感じにやってくれるからな……。普段から、そもそも人の話を聞かない城戸や龍滝とか、解法が斜め上の山田とかに囲まれてると本当にありがたい」
「私が不真面目みたいに……」
「田村は本当にありがたい」
「しみじみと……」
息を吐いて、それからキイロの方を見る。
「まぁ、悪い奴はいないから、これからゆっくり一人ずつ紹介していくな。山田辺りなら怖くないだろ?」
「は、はい」
「今日は……あー、そうだな、城戸もねだってたし、動画サイトのサブスクでも契約してなんか見るか。城戸もパソコン持ってきてるだろ」
「何見るの? えっちなやつ?」
「女子二人に囲まれながらエロ動画見る勇気はない。ほら、そのキイロが手に持ってるやつ」
俺がキイロの持っている変身ヒーローのベルトを指差すと、キイロは不思議そうに首を傾げる。
「ベルトの動画を見るんですか?」
「マジで知らないのな……。そのベルトで変身するヒーローの話。こういうのを見たことなくても、子供向けだからストーリーとかは分かりやすいだろうし」
なんのベルトだと思っていたのだろうか。
城戸にパソコンを用意してもらい、それを机の上に置いて色々と操作してサブスクを契約し、それから俺が昔見ていた変身ヒーローを再生する。
「わ、わわ、ドラマ……映画ですか?」
「特撮ものだな。飽きたら絵を描いていてもいいぞ」
「は、はい」
キイロはジッと画面を見つめる。城戸はそんなキイロの様子を真面目な表情で見たあと、ヒーローには一切の興味がないのか立ち上がって冷蔵庫の方に向かって何かを作り始める。
子供に分かりやすいような大袈裟な演技と、分かりやすいストーリー。けれども案外細かいところはちゃんとしていて、キイロはじっと動画に目を追わせる。
「……この作品のグッズだったんですね」
「ああ。……そういや、こんな話だったなぁ。十何年も前に見たっきりだから完全に忘れてた」
ふと、昔、父親が隣に座って一緒に見ていたことを思い出す。
決まって番組の中頃に目を覚まして、俺の隣に座るのだ。
あの頃の俺はアホだったので「お父さんも好きなんだな」と思っていたが、今にして思うと好きな番組を毎回途中から見るはずがない。
親父が見にきていたのは俺だったのだろう。
仕事で疲れて眠っている中、テレビの音と俺の声が聞こえて目を覚ます。
それから、疲れた体で俺の隣に座る。……と、毎週の日曜日にしていたのだろう。
隣にいるキイロを見て、軽く姿勢を崩す。
……ちょうどこんな感じに、親父も見ていたのだろうか。
「面白いか?」
「……よく分からないです」
「そっか。別の見るか?」
「いえ……もう少し、これを見たいと思います」
変身ベルトや可愛らしいぬいぐるみ、キラキラ光るペンは、キイロにとって「憧れ」のものなのだろう。
それ自身が好きというよりも……楽しそうにしている同年代の少年少女が羨ましいという気持ちで欲していたものだ。
言い方は悪いが、劣等感を埋めたいというもののように思えた。
キイロの様子は面白そうに、とは思えない。
物語を楽しめるほど慣れていないし、ただ敵が倒されたということを楽しめるほど単純でもないからだ。
けれども、真剣な表情で画面を見つめていた。
……「面白いか?」という聞き方は間違いだったのかもしれない。
「キイロ、好きか? この作品」
「はい。好きです」
その言葉を聞いて、少し口元を隠して笑う。
話が終わり、次の話を再生するまでの短い時間の中、たらりと伸びたキイロの袖を見る。
「特撮って、実写だけどCGとか多いし、色んな小道具や衣装を用意して……街に化粧を施してるみたいだよな」
キイロがこの前、教室で言っていた言葉を思い出しながら口にする。
「爆発の紅を街に塗るみたい。なんて、少し思いました」
同じようなことを考えていたとキイロは笑う。
なんとなくキイロの絵を見たくなり、彼女には黙ってスマホで検索して、ズラリと表示されるそれを見る。
天才画家みたいな文言と共に受賞やらなんやらの記事がたくさん出てきて、それらを眺めていく。
……美術作品の良し悪しは俺には分からない。
けれども、九重キイロのことは少しだけ分かる。
「わっ、ば、爆発しました!?」
……九重キイロは、この世界が嫌いだ。
自分に執着して束縛する母親も、自分を遠巻きにする学校の人間も、その原因となる九重の才を讃える人間も。
だから、あの日、街に化粧を施したのだろう。
九重キイロの絵は、肉眼で指紋の跡を見分けられるほどの人間離れした視力と、幼少期からの徹底した教育による高い技術、そして現実を変えたいという強い強い思想から出来ている。
そう考えて、九重キイロの作品を見て納得したあと、不意に思い出す。
「……………。いや、じゃあなんで俺は青いエイリアンなんだよ」
「えっ、どうしたんですか?」
思わず自分の思考にツッコミを入れるとキイロは驚いた表情で俺を見る。
「いや……なんでもない」
「あっ、もうこんな時間に……」
「まだ普段の下校時間よりかなり早いだろ」
「いえ……先輩の絵を描かないといけないので」
「描かなくてもいいだろ……」
「じゃあ、脱いでください」
やだよ……と言うより先にキッチンの方からガタッという音が聞こえ、顔を薄く赤らめたキャプテンが顔を出す。
「……違うよ?」
「何が?」
「べ、別に、参謀のヌードに期待したわけじゃないよ?」
「…………いや、一切そんな疑いを覚えてなかったんだけど……。とりあえず、今の反応でキャプテンがむっつりなのは分かった」
「ち、違うよ! 私はむっつりスケベじゃない!」
キャプテンは必死になって否定するが、その反応がまさにむっつりスケベそのものだ。
冷めた目でキャプテンを見ながら、これからの二人暮らしが若干不安になるな……。
変なことされても、親父の幸せを思うと表沙汰にしにくいし……。
いや、これ、普通は逆だろ。城戸が心配しろよ。なんでノリノリで同棲の準備を進めてるんだよ。
「む、むっつりじゃないからね! ほら、後で証明するから!」
……むっつりじゃない証明って何されるんだよ。怖いんだけど。
彼女は俺の耳元に口を寄せる。
「今日、一緒に寝る?」
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