第二章:怠惰の甘みと回るコンパス⑥

 ちいさなぬいぐるみ、ラメ入りペンに、変身ベルトとよく分からない小物。


 まるで幼い頃を取り戻すかのような物の数々に九重は目を輝かせて、頬を綻ばせる。


「ぬへへへ、どうです? かっこいいですか?」

「おー、ちょっと貸してくれ、電池取ってきたから」


 子供が壊さないようにか、電池の設置口はネジで締められていた。

 それをドライバーで開けたあと、電池を入れ替えて蓋を閉じる前に起動させてみる。


 九重が言っていた「ぎゅいーん」というよりも「カッショーン」という感じの起動音だが、九重は貸してほしそうに俺を見る。


 蓋を締めてから九重に渡すと、九重はポチポチとボタンを楽しそうに押す。


「……元ネタ……というか、何のグッズか知ってるのか?」

「えっ、いえ、よく分からないけど格好いい物と聞き及んでます」

「そのレベルか……なんというか、日本で変身ヒーローの存在を知らずに生きてくるのって可能なんだな。テレビとか見ないのか? ネットとか」

「昔こっぴどく怒られてから見てないですね」


「ええ……。スマホも持ってるのに……」と口にすると、九重はポケットからスマホを取り出して俺に見せる。


「……いいのか?」

「私のスマホ、インターネットとか見れないんです」

「そんなことはないだろ……」


 と思いながら受け取る。

 指紋認証や暗証番号などのロックとかはかかっていないらしく簡単に開く。


 ほとんど初期状態のままな画面。試しに初期から入っているブラウザを開こうとするが動かない。


 不審に思って設定周りを見てみると、そもそもデータ通信が出来ないようだった。


「……通話のみの契約とか今時存在してるんだな」

「んぅ? よく分からないけど、インターネット使えないでしょう?」

「まぁ、Wi-Fiとかに繋がないとな。いや……それにしてもかなり徹底してるな……」


 なんというか、九重の口頭の説明で察していたが……こういう「実物」を見せられると迫力がある。


 電話回線のみの契約プランを探せるほどにはこういうスマホとかのことを理解していそうな親なのに……。


 このスマホ、最新の高いやつだ。

 ネットも使わずに、九重のことだからカメラとかもマトモに使わないだろう。


 本当に電話ぐらいしか使わないだろうスマホに……20万も出している。


 その事実が、一番キツい。

 ……九重キイロは体がおかしくなるほどのストレスを感じているのに、妙な愛情らしきものは感じる。


「……あー、そうだな。そういや、城戸遅いな。荷物置いてるけど、買い物とかいったのか?」

「えっと、お邪魔になる前に帰りましょうか?」

「……やっぱり、なんか俺と城戸の関係を勘違いしてないか? そういうのじゃないぞ」

「…………本当ですか?」

「苗字で読んでるぐらいの仲だぞ……」


 と、俺が口にすると、九重は一瞬だけ納得した表情を浮かべてから微かに落ち込むような表情を浮かべる。


「……苗字……そうですね」


 ああそう言えば、九重のことも苗字で呼んでいたか。

 名前……キイロ、と呼ぶべきなのだろうか。


 慕ってくれているわけだし、下手に悲しませるよりも……と考えて、ゆっくりと口を開く。


「キイロ。で、いいか? 呼び方」

「へ……あ、い、いいですけど、そのえっと……」


 九重は顔をみるみる赤くして、誤魔化すようにぬいぐるみの足をちょこんと握る。


「……。ダメだったか?」

「い、いえ、いいです。も、もちろん、嬉しいんですけど、その……。さ、さっき「苗字呼びじゃないから、そういう関係じゃない」と言っていたので……。じゃあ……その、名前で呼ぶのは……」


 ……恋人なら名前で呼ぶ=名前で呼んだら恋人ではない。


 誤魔化すように頭を掻き、それからもう一度その名前を口にする。


「キイロ。……別にそういうわけじゃないけど、仲良くしたいからじゃダメか?」

「だ、ダメじゃ……ないです。嬉しいです。その、えっと、すごく」


 恥ずかしそうに、けれども嬉しそうにしている九重を見て、名前を呼んで正解だったと思う。


 九重がが誤魔化すように猫のぬいぐるみの前足をぐりぐりといじり、それを見て少し笑いながら彼女の名前を思い出す。


 喜色。……喜ぶという字は人名に使われることはあまり珍しくない。けれども「色」という字と「キイロ」という読みは……そういう意図が見て取れる。


 実際、幼児期から色々なものを制限されていたようだし……まぁ、産まれた時から英才教育を施すつもりだったのだろう。


 もちろん、ここまでの評価を受けたのは親の教育以上に九重の才があってのものだろうが……それでも、狂気じみた親の意思がところどころから漏れ出ている。


「……喜ぶ。だったよな、名前の字」

「あ、はい。どうかしましたか?」


 近くに置いていた紙に、九重からもらったラメ入りのペンで「喜」と書く。

 少し抵抗があり、色の字を書くことなく、九重の方を見る。


「喜ぶって字はとても好きだ。君が喜んでいるとき、とても可愛く笑うから。……やっぱり、キイロじゃなくて、きーちゃんでいいか?」

「き、きーちゃんは、ちょっと、恥ずかしいかもです。それに、そんなに可愛くないですよ」

「きーちゃんはダメか……」


 色という字は好きになれないが……名前はただの名前か。


「じゃあ、キイロ」

「は、はい。え、えと……その、フミ先輩」


 チラチラと俺を見て、照れたようにもじもじとして、ふとももの内側を落ち着かなさそうに擦り合わせる。


「フミ先輩。……へへ」


 俺を呼んで頬を緩ませ、それから落ち着かない様子で流れるように鞄から鉛筆とスケッチブックを取り出し、ハッとした表情を浮かべる。


「いや、いいよ、絵を描いても」

「すみません。癖で……」

「俺も癖でスマホ触ったりするからよく分かる。それに、家ではあんまりやることないし暇だろうから好きにしてたらいい」


 九重……いや、キイロは心を落ち着かせるように鉛筆を握り、スッと目の色を変える。

 先程までの子供っぽい様子がなくなって、一瞬にして世界が変わったように集中する。


 ……普段は可愛らしいのに、この瞬間、肌がピリピリするほどの雰囲気を感じる。


 やめさせるのは無理かもしれないと思う程度の迫力に呑まれていると、パタっと玄関が開く音が聞こえる。


「おーい、フミくん、ムギちゃんが帰ったぞーい。って、あれ、お客さん?」


 ひょこりとリビングに顔を覗かせた城戸とキイロの目が合い、微妙な空気が一瞬だけ流れる。


 それから城戸は机の上に並べられた子供っぽい小物類を見て、察したように目を細めて俺を見る。


「へー、そっかー、フミくん。私が住むための準備とかは手伝ってくれずに九重ちゃんと遊んでたんだー」

「いや……別に責められる謂れはないだろ」

「それはそうかもだけどさー」


 と、城戸はスーパーで買い物をしてきたらしい袋を持ってきて、それからキッチンの冷蔵庫の方に運ぶ。


「せっかくフミくんの好きなグラタンを作ってあげようと思ったのに」

「グラタン好きとか言ったことないと思うが……」

「あ、そうだ。九重ちゃんも食べていく?」

「い、いえ……夕飯までに帰らないと怒られるので」

「えー、そっか。あ、そういえば怪奇研に興味持ってくれてるんだよね?」


 冷蔵庫にしまい終えた城戸はグイグイとキイロに寄っていき、描いていたスケッチブックに目を寄せる。


「わー、上手! それ何の絵? ぬらりひょん? あ、スカイフィッシュ?」

「ふ、フミ先輩です……」

「あー、ニアピン! 実質正解だったね」

「全然近くないぞ。……ほら、あんまりグイグイいくな、キイロが怖がってるだろ」


 完全に小動物の警戒モードに移行しているキイロから城戸を引き離す。

 それからキイロの方を見て軽く謝る。


「悪いな……。悪気はないし、むしろ善意しかないけど、ちょっとアホでさ」

「い、いえ……す、すみません。お邪魔しても悪いので、私、もう……」

「いていい。というか、もう少し一緒にいたい」


 今キイロにいなくなられると絶対に質問の嵐だ。

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