第二章:怠惰の甘みと回るコンパス⑤

 山田はあまりコインゲームでストレス発散している姿を見られたくないようなので、早めにその場を離れる。


「やりたいゲームはあったか?」

「えっと、あっ……あの、ゲームじゃないんですけど、萌え袖ってなんですか?」

「……九重、色恋仙人の言葉は忘れろ」

「えっ、だ、ダメなんですか?」

「いや……俺は別に好きじゃないからな。あー、萌え袖というのは、袖の丈が大きく余って手が隠れてる状態のことだ」


 俺が軽く説明すると、九重は自分の服の袖をちょんと引っ張って手を隠す。


「こんな感じですか?」


 九重はパタパタと袖を揺らして俺に尋ねる。服の袖から微かに見える白い指に目を惹かれてしまうと、九重は嬉しそうにふにゃりと笑う。


「ふへへ、これが好きなんですね、先輩」

「……いや、それは、その、色恋仙人の言葉は忘れろよ」

「やー、です」


 九重は嬉しそうにそう言ったあと、俺の手を引っ張る。


「一緒にお菓子食べましょ?」

「……ああ、けど、味とか分からないだろ」

「一緒になら嬉しいです」


 ベンチに座ってるからお菓子の包装を開けて口に放る。

 わざとらしい甘さに懐かしさを感じていると、九重はあまり噛むこともせずにごくんと飲み込む。


「喉詰まらせないようにな」

「はい。あ、ゴミ捨ててきますね」


 取ってくれたお菓子の包装。ゴミとしか言えないものだが、ほんの少し勿体無いように感じてしまう。


 甘い味を飲み込みながら、一際大きいぬいぐるみの置いてあるクレーンゲームを見る。


「……取れないよなぁ、ああいうのは」


 取れたら絶対に大喜びしてくれるという確信はあるし、別に金を使ってもいいけど何回も繰り返し挑戦する時間、九重は退屈だろう。


 いや、でも絶対喜ぶし……記念として取ったら絶対にずっと大切にしてくれるという確信がある。


 「……よし、取ろう」そう思って立ち上がって九重の方を見る。


 ゴミを捨て終わった九重は、優しげな手付きでさっきの小さなぬいぐるみを撫でていた。


 ふにゃりとした緩んだ笑顔を見て、立ち上がった身体をベンチに座り直した。


「……あれ、どうかしましたか?」

「……いや、なんでも。やりたいゲームとかあったか?」


 大きいぬいぐるみを取ったら、喜んでくれるだろう。……けど、今、手元にあるぬいぐるみをこんなに大切そうにしてくれているなら、「より大きいのを」というのは野暮に思えた。


 きゅっとぬいぐるみを抱いた九重はきょろきょろと周りを見たあと「あっ」と声を上げる。


「せ、先輩は何をしたいですか?」

「そんな気を使わなくていいのに。あー、そうだな、あんまり複雑なのは楽しめないだろうし……」


 と、九重を案内していく。

 それからふたりでゲームセンターをまわる。


 俺も慣れている方じゃないし、九重はゲームセンターどころか遊ぶことすら珍しいぐらいだ。


 あまり上手に出来たわけではなく、むしろふたりしてそこら辺の子供よりも下手だったけれど、楽しそうに九重はパタパタと動いていた。


「あー、結構遊んだな。疲れてないか?」

「あ、大丈夫です。まだ遊びますか?」

「そろそろ昼飯でも食うか。食べたいもの……は、ないよな」


 適当に食べやすいものをフードコートとかで探すか。


 ガヤガヤと騒がしいフードコートで昼食を済ませる。九重はやはり食べることは得意ではないのか時間がかかっていたけど、あまり苦にはしていないように見えた。


「それで、それで、午後からは何しますか?」

「九重が言ってたような小物を売ってる店、ここの二階にもあるようだから見にいってみようかと思ってる」

「あ、いいんですか? あ、あと、えっと、いきたいところがあるんです?」

「行きたいところ?」


 俺がポテトを口に入れながら尋ねると、九重はコクリと頷く。


 なんだろうかと思って着いていくと、女性向けの服屋に入っていく。

 気まずく思いながら着いていくと、九重はチラチラと俺の様子を見ながら上着を選ぶ。


 明らかに九重の体格よりも一回り大きいそれを、九重は嬉しそうに選んでレジの方に持っていく。


「……あのさ九重。仙人の言葉は気にしなくていいぞ」

「いえ、私は仙人を信じます」


 謎の会話を見た店員の女性が不思議そうに俺達を見る。


 九重は買った上着を早速着て、ぶかぶかの袖を俺に見せつける。


「……服、親は何も言わないのか?」

「服ならたぶん気にしないです。あ、オシャレに目覚めたって喜ぶかもしれないです」

「ならよかった」


 九重はわざと俺に見えるように袖をアピールして、俺は必死に目を逸らしながら歩いて山田から聞いた店に入る。


 小さな女の子が好きそうなものが所狭しと並べられて、小さな女の子とその付き添いの人ばかりで入りにくい空気がある。


 九重は目を輝かせてそれを見に行く。

 ……背も低くて華奢だから小さい子に混ざっていても違和感ないな。


 九重は先端に変なキャラのついたペンを手に取って目を輝かせる。


「これ、こういうの、買ってくれなかったんです!」


 ああ、なんというか。服やら画材やらはいいけど、おもちゃの類はダメということだろう。


 売っている店からして文具店というよりかはおもちゃ屋という内装だ。


「あ、あの、先輩、ほんとに、先輩の家に置いていいんですか?」

「見たろ、あの家。一人暮らしするには広すぎるから構わない。あー、でも、そういや城戸もしばらくは住むんだったか。まぁ、どちらにせよ部屋は空きまくってるから」


 パッと明るくしていた表情に、ほんの少し影が落ちる。


「……城戸さん。義姉さん、でしたよね。仲良し……なんですね」

「あー、まぁ、元々友達だったしな。別に遠慮しなくていいぞ?」

「……本当ですか? その言葉、後悔しませんか?」

「なんでそんなに脅してきてるんだよ……。ああ、いや……そうか、関谷みたいなの、よくあったのか」


 仲良いと思っていた人にいつのまにか嫌われるとかありがちなのだろうなと察しがつく。


「城戸はいい奴だから、仲良くしたらいいと思うんだけどな。アイツ、俺よりよっぽど優しいぞ」

「……じゃあ、その、置かせてもらいます」


 九重は子供っぽい小物をいくつもカゴに入れて購入し、レジ袋を覗き込んで嬉しそうな表情を浮かべる。


「本当は、自室とかに置けた方がいいんだろうけどな」

「いえ、これぐらいの距離感でいいです。……自分でも、子供の頃の執着を引きずっているって分かってますから。……ほんとは、キラキラしたペンが欲しかったんじゃなくて、あの頃キラキラしたペンを見せ合いたかっただけなのかもしれないけど……それでも嬉しいんです」


 買ったペンを取り出して天井の方にかざす。


「先輩は、そういうのありませんか?」

「あー、そうだな。少し違うかもしれないけど、昔、役立たずだったから……人の役に立てると嬉しいな」


 九重は少しきょとんとした表情を浮かべて、俺は軽く謝る。


「悪い。変なこと言ったな」

「いえ……あ、先輩。その……勢いで買って、よく考えたら先輩は嬉しくないと思ったんですけど……」


 九重は袋からペンを取り出して、俺に渡す。

 九重がはしゃいでいたラメ入りのペンで、色違いのものだ。


「いや、嬉しいよ。これ、何に使うんだ? 絵とか描くのか?」

「いえ、これだと絵は描けないです」

「文字も読みにくそうだよな」


 ははっ、とふたりして笑う。

 何がおかしいのかも分からないけど、けらけらと笑う。


「ふへへ、これから、どうしますか?」

「あー、とりあえず、そろそろ九重も疲れただほ。一回帰るか」


 外に出て、ぶかぶかの袖の端から白い指を覗かせた九重はねだるように俺の方に手を寄せる。


 きゅっと手を握ると嬉しそうに、恥ずかしそうに俯いて、それからデパートの外階段の手前で立ち止まる。


「先輩。この前、初めて会ったとき、私は街に紅を塗りました。好きな街じゃなかったから、当てつけみたいに、ガラス越しに好きな景色に変えようとして」


 青い空と心地よい風。

 九重はパッと顔を上げて、ゆっくりと息を吸う。


「お化粧をしない街も、綺麗なんだなって、知りました」


 思わずその表情に見惚れる。

 画家に対していうような言葉じゃないかもしれないけれど、憂いを帯びた表情がパッと明るくなり、ほんの少し高いところから街を見る少女の姿は……とても、絵になるものだった。

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