第二章:怠惰の甘みと回るコンパス④

 隣にいる九重は俺を見上げて、俺と目が合えば目を逸らしてという行動を繰り返す。


 その様子が面白いものだからジッと見ていると、少しずつ顔を赤くして、髪の隙間から覗く耳まで赤くしたあと唇をちいさく尖らせてすねるように言う。


「……分かりました。三船先輩は、意地悪な人です」

「何もしてないのに……」

「私が慌ててるのを面白がってます」

「面白がってないって、かわいいから見てただけだ」

「…………意地悪なひとです」


 耳が熱くなっているのに気がついてか、九重は隠すように触る。


「そういや、どんなぬいぐるみが欲しいんだ?」

「かわいいのがいいです。あ、あと、ベルトが欲しいです」

「ベルト?」

「ぎゅいーん! って音が鳴るやつ、昔、知り合いの子が持ってて羨ましかったです」

「……ああ、変身ヒーローの」

「変身ヒーロー?」


 ああ……ヒーロー番組を見てたわけじゃなくて、ベルトしか見たことがないのか。


「それと……ラメ入りのペンとか、変な生き物のカードとか、小さい着せ替え出来るお人形とか、欲しかったものがいっぱい……子供っぽいかも、ですけど」


 欲しいものを指折り数える九重の声は、少しずつ語気が小さくなる。

 たぶん、こういうのを欲しがるのはよくないと思っているのだろう。


「……ヒーローベルトならまだ持ってるかも」

「えっ、あ、あるんですか!? ぎゅいーんって鳴ります? ぎゅいーんって!」

「遊んでたの十年ちょっと前だからちゃんと動くかな……」


 頭をぽりぽりと掻く。

 九重は本当に幼い頃から絵ばかりやらされていたようだ。


 …………それが間違いとは一概には言えない。絵に限らず、勉強やらスポーツやら音楽やら、小さい頃からしているというのは大きなアドバンテージである。


 少なくとも、この歳で絵で食っていけることが決まっている九重には正解だったのだろう。


 問題は……死なないか、コイツ。

 と、思わせる程度にはストレスがかかっていることだ。


 味覚障害に睡眠障害、対人関係に大きな問題があり、幼い頃に羨ましいと思ったものに執着を見せる表情。


 ……本人が、自分が辛いということを理解していなさそうなのは救いなのか、それともより酷い状況なのか。


「ん、どうかしましたか?」

「いや、ラメ入りのペンとか、女児っぽいものってどこで売ってるんだろうと思ってな」


 適当に誤魔化して、ギャルの山田にメッセージを送って尋ねておく、たぶん気がついたら教えてくれるだろう。


「あ、あそこのデパートの中にあるぞ、ゲーセン。なんかガヤガヤしたところ見たことないか?」

「あ、えっと、あるような、ないような……。画材屋さんしか寄らないので」

「せっかくだし、そっちも寄っていくか?」


 俺が尋ねると、九重は少し怯えたように俺の方を見る。


「先輩は……私に絵を描かせたくないんですよね。なのに、いいんですか?」

「別に絵を描かせたくないわけじゃなくて、もっと楽しそうにしてほしいだけだしな。……なんか、変に真面目というか……人の顔色を伺う癖があるな」


 空気は読めないのに、人の意見を優先して自分を曲げようとしているように見えた。

 見た目も歳の割に幼いけれど、仕草はもっと子供っぽい。


「……す、すみません」

「いや、そうしないと余計に辛くなるような環境にいたんだろ」


 デパートの中は少し騒がしい。

 子供がパタパタと俺たちの間をすり抜けていき、親らしい男性が「すみません」と頭を下げて追いかけていく。


「だから、まぁ九重は悪くない。子供のころから人に逆らわないようにって育てられたわけだしな。けど、まぁ、俺にはもっと雑でいいから、少しずつ慣れていこう」

「……いいんですか?」


 先程通り抜けていった子供がバックしてきてまた俺たちの間を通り抜けていき、それをまた父親が謝りながら追いかけていく。


 思わずクスリと笑っていると、子供の手を父親がしっかりと握る。子供は捕まって怒られているのにどこか楽しそうで「ああ、これはまたやるな」と思わせる様子だ。


「なんなら、あの子みたいに手を繋ぐか?」


 俺がそう言って九重に笑いかけると、九重は顔を俯かせて、小さくコクリと頷いた。


 断られる前提の提案が頷かれたことに一瞬だけ怯み、ちょこんと俺の方に伸ばされた手を見て足がとまる。


 少し不安そうな九重の瞳が俺を見る。

 小さな白いほそりとした指を撫でるように触れると外の空気で冷えていることに気がつく。


 気恥ずかしいとか、そういう感情をごくりと飲み込んでその手を握る。


「えへへ……」


 と笑みを浮かべる九重を見て、心臓が妙に早く鳴るのを感じる。

 そりゃ、まぁ、可愛い子が笑ってたら可愛いよな。なんて誰に向けての言い訳か、言い訳になっているかも分からないことを考えながら、余裕ぶって笑い返す。


「お、アレだ。ほら、あそこ」

「お、おお……ピコピコしてます」


 その反応が面白くて少し笑うと、九重は恥じらうように顔を伏せる。


「あ、ぬいぐるみがガラスケースの中にたくさんです。……けど、なんか変な機械が」

「クレーンゲームだな。ほら、こんな感じにここに百円入れるとこのクレーンが動かせて、つまんで取れる……みたいな感じだ」


 適当によく分からない子供向けキャラクターのぬいぐるみでやって見せると九重は「ふおおおー」と変な歓声を出す。


「あ、落ちちゃいました……」

「でも結構動いたな。やってみるか?」


 見た感じ普通に買っても五百円もしないようなものだし、安そうな分だけアームの設定も強いのだろうか。


「せ、先輩がしてるのを見ててもいいですか?」

「まぁ別にいいけど……と。おっ」

「おお、おおおおおー!」


 ぽすり、と、猫のぬいぐるみが落ちる。

 そのぬいぐるみを手に取って九重に手渡す。


「ほら、欲しいぬいぐるみとは違うかもしれないけど」

「えっ、あっ、も、もらっていいんですか?」

「ああ、プレゼント」


 とは言っても、持ち帰ることは出来ないようなので結局は俺の家か部室に持っていくことになるのだろうけど。


 九重は目をぱちくり動かして、ぬいぐるみの感触を確かめるようにキュッと抱きしめる。


「えへ、えへへ、ありがとうございます。大切にします」


 たった二百円で取った、よく分からないマイナーなキャラクターのぬいぐるみ。

 そんな安物を、宝物を扱うように抱きしめていた。


「九重、他に気になるものとかあるか?」

「あの丸いやつはなんですか?」

「あれ? ああ、アレはクレーンでお菓子をすくってあそこに乗っけると機械に押し出されて落ちてくるってやつで……やるか?」

「や、やってみていいんですか?」

「ダメなことないだろ」


 九重はパタパタと動いてお金を入れる。

 ポチりとボタンを押すとお菓子が掬われてポトポトと落ちる。


「わ、わわ、ふたつも取れましたー」

「おー、上手いな」


 一個三十円ぐらいのお菓子だから収支として……と考えそうになっていると、九重はそのうちのひとつを俺に手渡す。


「えへへ、一緒に食べましょう。あ、ジュースを取れるゲームとかありますか?」

「ジュースは聞いたことないな。まあ、一通り見てまわるか」


 思ったより……人からもらうと嬉しいな。普段なら買うこともないようなお菓子だけど、食べることがもったいなく感じるぐらい。


 九重にどんなゲームかを説明しながら歩いていく。

 意外に高校生ぐらいの客も多いな……と思っていると、コインプッシャーにひたすら無言でコインを投入し続けている山田の姿が見える。


 なんかめちゃくちゃコイン溜め込んでる……も思っていると、死んだ目をした山田が振り返って俺達を見る。


「あれ、えっ、フミっち?」

「山田……何してんの?」


 ギャルなのに一人でメダルゲームなんかするんだと思っていると彼女は少し恥ずかしそうに頰を掻く。


「あはは、ちょっとストレス発散で、時々こうしてコインゲームで横穴詰めて遊んでるの」

「よく分からないけど悪質な遊び方してるのは伝わってきた。ギャルなんだからプリクラ撮れよ……」

「一人じゃ撮らないよ。あ、一緒に撮る? というか、おふたりはデート?」


 ガシャガシャもコインが落ちる音を後ろに山田は振り返る。

 適当に誤魔化そうと考えていると、恥ずかしそうにしている九重がコクリと頷く。


「は、はい。その、で、デート、です」


 一瞬、山田が驚いた表情を浮かべたあと、ニヤニヤと笑って俺の横腹をつっつく。


「ほー、あのフミくんはこういう子がタイプじゃだったか。ほっほっほ」

「なんだよそのキャラは……」

「ふむふむ、ワシは色恋仙人じゃ。他人の色恋沙汰に首を突っ込むのが大好きなタイプの仙人じゃよ」

「俗世の欲を捨てろ、カス仙人」


 山田は妙なキャラ作りをしたまま九重の方を見る。


「若人よ、そこのフミくんは萌え袖フェチじゃよ。覚えておきなされ……さらばだ若人よ……」


 そう言ってガシャガシャと音を立てるメダルゲームに戻っていく。……本当にクソみたいな仙人だったな。


「あ、そう言えばメッセージ返信したけど、言ってた物はここの2階のお店で売ってるよ」

「ああ、ありがとう。色恋仙人」

「えっ、何それ」

「急にハシゴを外すな」

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