第二章:怠惰の甘みと回るコンパス③
複雑な家庭環境……と、言うのなら俺と城戸の方がよっぽどである。
単なる母親が干渉的な家なために家では心が休まらず、学校でも変な性格なうえに下手に才能があるものだから不興を買って友達がおらず学校には居場所がない。
……まぁ、九重に同情しているのだろう。うとうとしている九重の頬を軽くつつき、血色の悪さを見る。
客観的に迷惑なことをされているのは分かるけど、追い出す気にはなれない。
いつのまにか安心したような表情で無警戒に眠り始める。
力の緩んだ手から抜け出して、自室から毛布を持ってきて九重に被せる。俺も寝たいけど……九重が起きたときに人の家で誰もいないと不安だろうし起きているか。
洗濯機を回してから軽く洗い物をして、それから面倒な宿題を済ませる。
途中、スマホが鳴ったかと思うと、田村のアホに俺がやっていないソシャゲのガチャ報告だったので無視してペンを走らせる。
「……こいつ全然起きねえな」
よほど疲れていたのか……いや、朝早くだしな。
…………ストレス性の不眠や過眠でも患っているのだろうか。
指先でふにふにとした頬をつつく。
「あ、あぅ……や、やめ……ごめんなさい」
「……え」
別にどうということはない寝言。
俺の指に反応して言っただけだろうが……どこか、謝り慣れているような生々しさを感じた。
「か、回転寿司のコーナリングに文句をつけないで先輩……! それは下のレーンが動いているんです、お寿司のレースではないんです」
「……何の夢を見てるんだコイツ」
なんか気が抜けたな……。
暇なのでスマホを弄っていると、むくっと九重が目を覚ます。
「あれ、ここは」
「俺の家だ」
「あ、そうでした。……頭がぽーっとします」
「顔洗うか? あっちに洗面所あるから」
「お借りします……」
ぽやぽやとした表情で九重は歩いていき、戻ってきてもまだ目が覚めきらないのか俺の隣に座って頭を寄りかからせる。
……城戸が見たら勘違いしそうだなぁ
頬を軽くつつき、それから話しかける。
「……家にいるの、そんなにしんどいのか?」
「いえ……その、これは、夜ふかしをして」
俺が九重の母を責める意味で口にしたのを理解したのだろう。
「…………まぁ、九重が庇う理由も分かる。今時っぽい服装だけど、母親がわざわざ若い子の格好を調べて買ったんだろ、服に興味がない九重のために。いい母ってところもあるのは分かる」
「……いえ、ペアルックです」
「えぇ……40代とかじゃないのか?」
「43歳です」
そうか……そっかぁ……。
まぁ、何にせよ、害意があってやっているようには思えない。
九重の才能や変なところを持て余している……というのが、ことの本質だろうし、それは九重が別のところに行っても変わらないのは、学校での立ち位置を鑑みると分かることだ。
「……才能を尊重したいけど、周りとのズレがある。か」
「……?」
少し考えてからため息をついて頭を掻きむしる。
「なら、俺が才能を挫いてやる」
「……へ?」
「俺は、九重の絵の凄さは分からない。九重自身には好感を抱いているが、絵の方はからっきしだ。だから、それをどうでもいいものとして扱う」
九重はぱちくりと目をまばたかせて俺を見つめる。
「九重には幸せになってほしい。才能が……他者との異質さが、その邪魔をするなら、取り除いてやる。……とりあえず、今日は遊ぶぞ」
「へ?」
「絵を描くのよりも楽しいと思わせて、絵を描くのよりも遊びたいと思うようにする」
「え、えっと……」
「俺が、九重を「普通」にして、辛いばかりの「天才」をやめさせる。いいな」
九重の目がぱちくりと動く。俺の言葉が理解出来ないのか、こてりと首を傾げる。
「……すごくなくても、いいんですか?」
心底不思議なような、驚いたような表情。
「俺からしたらどうでもいい。……よし、やりたいことはあるか?」
立ち上がって九重の方を見ると、彼女はどこか救われたような表情で俺を見つめていた。
俺のやっていることは、きっと批判されるべきことなのだろう。
才能がある人間を勝手な主観で「幸せじゃなさそう」と判断して、その才能を折ろうとしている。
バレれば多くの人から糾弾されるかもしれないし、九重本人からも将来には恨まれるかもしれない。
けれど、俺は九重の筆を折りたいと思った。
「やりたいこと……あの、絵を描くのは、ダメですか?」
「もちろん。けど、他にはないのか?」
九重の目は少し揺れてそれから迷ったように口を開く。
「……あの、ぬいぐるみが、欲しかったです」
「ぬいぐるみ?」
「小さい頃、欲しくて……でも、たぶん、今も買ったら怒られるので」
「……ああ、なるほど。じゃあ、買いに行くか」
「あ、いえ、その、でも……怒られるので」
「部室とかここに置けばいいだろ」
「邪魔じゃないですか?」
「部屋余ってるから。……ほら、店はまだ開かないから、開店時間までに描いてくれよ」
九重の手がクレヨンを握り、それから紙に線を描いていく。どこかぼーっとしている彼女は俺の方を見つめる。
「……やっぱり、写真のように描くのは……あなたには相応しくないように、思うのです」
相変わらず九重は青いクレヨンを握っていて、まるっきり見たまんま描くということを放棄していた。
俺の目にはただの青いエイリアンにしか見えないけれども、けれども九重はそれでも「三船文」を描こうとしているのか、何度も何度も俺の方に目を向けて丁寧に線を引いていく。
……きっと、俺の言葉は九重の心を揺さぶったのだと思う。
けれども、九重はその揺れる心を絵にぶつけた。
「……才能、か」
思わず、独り言を口にする。
今この瞬間における九重の幸福には「絵の才能」は必要どころか足を引っ張る要素だろう。
母からの強い執着も、同級生からの嫉妬も、絵を起因として起こったもので……それがなければ、九重はただの変だけど可愛らしい素直な子だ。
「…………やっぱり、先輩のことは上手く描けないです。むしろ、知れば知るほど、手が震えて、直視出来ず……息が荒くなってしまいます」
「……その言い方だとめちゃくちゃビビられている感じになるな。少し早いけど……まぁそろそろ出るか」
コクリと頷いた九重を横に、スマホで城戸に電話すると電話に出ず「今電車ー、何用でござる?」というメッセージが送られてくる。
「今から出かける」とメッセージを返すと可愛らしい動物が怒ったようなスタンプが連打されてくる。
……九重と出かけていることは黙っておくか。
「それで、どこにいくんですか?」
「ぬいぐるみなら普通に買ってもいいけど、せっかくなら……ゲームセンター行くか」
「ゲームセンター?」
「……行ったことないのまでは予想してたけど、存在を知らないのか……」
「し、知ってますよ。ほら、えっと……ぬ、ぬいぐるみ屋さん、ですよね」
「知ったかするのは無理があるだろ……」
九重は恥ずかしそうに目を俯かせて、それから俺の服の袖をちょんとつまむ。
「……こわいところですか?」
「そんなところに連れてかねえよ。子供でも遊びに行くようなところだから大丈夫」
ゲームセンターといってもどこに行くか。
まぁ……ぬいぐるみのついでに遊ぶ感じだし、ファミリー向けのところの方がいいだろうな。
ぬいぐるみが欲しかったというのも、幼いときの話なのだしな。
九重はパタパタと慌てた様子で荷物をまとめて鞄に入れる。
「じゃあ、行くかデート」
「はい。……へ? で、デートなんですか、こ、これ」
ワタワタと顔を赤くして慌てている九重を見て少し笑う。
思ったより、からかい甲斐がある反応だ。
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