第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇⑦

 結構殴られたから顔腫れてるだろうなぁ。

 と、思うが、顔を冷やしたりする気はあまり起きない。


 …………無抵抗で殴られたのは、俺の自己満足だ。


 ただ今は何も考えたくなくぼーっとしているとスマホが鳴って「生徒会長リコールの会」というメッセージアプリのグループに招待された。


 既に30人以上集まっていて……発起人であり、集めた署名を提出する俺が参加しないというわけにはいかないだろうと思って入る。


 東野はあんな性格だからか、普段から恨みを買っていたのか……あるいはリコールという特大のゴシップネタに参加しているからか、健全な内容だけではない陰口のようなものも目立つ。


「…………はあ」


 まぁ、こうなる。こうなることは分かっていて、俺が主導してやったのだからこの陰口に眉をひそめる権利も俺にはないだろう。


 何か言葉を期待されているのは分かるが、通知をオフにだけしてポケットに突っ込む。


 それから手に色々な道具を持ってきた城戸が、仕方なさそうな表情を浮かべて俺の横にぽすっと座る。


「……城戸、スカート汚れるぞ」

「顔中、血まみれの人が何を変な心配してるの」

「…………あー、悪い。あとは自分でするから。授業遅れるぞ」


 俺がそう言うけど、城戸は「うわー、痛そう」と俺の顔をつつく。


「痛くないの?」

「あー、今はアドレナリンとか出てるからあんまり」

「…………痛いのは私だけか」


 怪我でもしたのかと思うと、城戸は悲しそうに濡れたタオルで俺の顔を優しく拭い、痛々しそうな表情で俺を見つめる。


「……なんで殴られたの? 抵抗ぐらい出来たでしょ」

「………俺のやったこと、東野がやったことよりよっぽど酷いだろ。学校の半分以上から「お前生徒会長やめろ」と言われるんだぞ。キツイってもんじゃないし、ここから学校に来られるかすら……」


 俺が吐き出した弱音を受け止めるように、城戸は俺の頭をギュッと抱きしめる。


 城戸の胸の柔らかい感触、いい匂い。見た目よりもあるのか、細身の割にふにゅふにゅとした女の子の胸に思わずバッと逃げるように離れようとするが、城戸は押さえつけるように俺の頭を押さえた。


「お、おい!」

「……ごめん。こんなことになるなら、後押しなんて、してなかった」

「……いや……俺が決めたことだし」


 城戸は俺から離れることなく、悲しそうに言葉をこぼす。


「…………フミくんはバカだよ。自分のためにならないでしょ、どうせ文化祭当日はずっと雑用してるだけで、楽しんだりしないのに」

「……まぁ」

「そもそも、フミくんって別にそういうの好きじゃないでしょ。誰かに引っ張り出されないと休みの日も家で一人でゴロゴロしてるだけだし」

「……」

「結局、人のため、人のため、人のため。……それで、そのために動いて上手くいってるのにこうして傷ついてさ、バカだよ。バーカ」


 城戸の手はくしゃくしゃになっている俺の頭を撫でる。

 抵抗する気は起きず、されるがままに撫でられ続けているうちにチャイムが鳴った。


「……いいのか?」

「……いいよ」

「不良娘め」

「ケンカしてボロボロになってるフミくんには言われたくないね」


 そりゃそうだ。俺から離れた城戸は、ゆっくりと消毒液を手に取って、殴られて裂傷になっている頬や額を消毒していく。


「……どうするの、これから」

「……あー、まぁ、リコールの代表が一時的に生徒会長になる決まりだから、しばらくは生徒会長代理として活動するかな。生徒会のメンバーはそのまま持ち越しにしたい。断られたら田村辺りを動員するかな」

「そっか。無理しないでね」

「とりあえず、まぁマニフェストとは違うけど文化祭の話でリコールになるから、文化祭は真面目にやろうと思う。今回の騒動で個人でも色々発表出来るってことを知った奴も多いだろうし、たぶん例年より申し込みも増えるから忙しくなる」


 …………正直、少しゆっくりしたいけれど、俺が発起人なのだからそうもいかないだろう。


 俺がそう言っていると、城戸は俺の目をジッと見て笑いかける。


「フミくん」

「……もう説教は勘弁な」

「好きだよ」


 城戸の言葉に思わず目を開き、言葉が止まる。


 城戸の口から出てくるとは思えない言葉に身体が硬直するが、城戸の方はほんの少し頬を赤らめる程度で平気そうな様子で俺の手当てをしていく。


「……元気出るかなって思って。いつも頑張ってるご褒美。嬉しい?」

「…………そりゃ、まぁ、嬉しいよ」


 そう言うが、俺は俯いてしまう。


「喜べるタイミングじゃなさすぎる」

「あはは、そりゃそうだ」


 城戸はそう言ってからスマホを取り出して何かを打ち込んでいく。


「次の休み時間に山田から化粧道具貸してもらうね。怪我してるところ隠してあげたいけど、私は持ってないから」

「……そんなに気を遣わなくても」

「東野先輩、停学になるのは嫌なんでしょ?」

「……ああ」


 このことがバレたら……まぁ間違いなく停学になるだろうが、それは嫌だった。

 リコールの上に暴力沙汰で退学なんて……これからの人生がめちゃくちゃになるだろう。


 出来ることなら穏当に済ませてやりたい。


「……東野先輩、かなり子供っぽいし目立ちたがりだから、いずれ同じことになってたよ」

「……ああ」


 慰めてくれている。

 隣にいてくれている。


 情けなさから吐いた息は地面に落ちて、日陰の中みっともなく俯く。


「……あのさ、生徒会長、次の選挙まででしょ? 二学期のはじめの方」

「ああ」

「それが終わったらさ、私のものになりなよ」


 自分のものになれ、なんて偉そうな言葉……上から目線のものだが、それは俺には心地の良いものだった。


「色んな人を助けて、助けて。ひとりでこうして落ち込むのはやめてさ。生徒会長が終わったら、他の人みたいにダラダラ青春しようよ」

「……楽しそうだな」

「文化祭も、もっと他の人を頼ってダラダラしようよ。ほら、慕ってくれてる後輩の女の子もいるんだし」

「……あー、まぁ、もうちょい人を増やすかぁ。文化祭、変に盛り上がりそうだし」


 ゆっくりとそう言ってから深く深く、落ち込む。


「……東野は、まぁいい奴じゃない。だいたい、関わった奴を困らせてるか、怒らせてるか。だから友達いないし、生徒会も前の書記に逃げられて一年の女の子を入れたけど、その子にまで逃げられそうになってる始末だ」

「うん」

「……けど、だからって「不幸になれ」みたいには思えない。やったことに対する罰にしては、こんな扱いは過ぎている」


 俺はスマホでメッセージアプリのグループを城戸に見せてため息を吐く。


「……人間不信になるだろ。こんなの。こんな悪いことをしていたとか、こんな気持ち悪い奴だ、なんてことばかり」


 俺の言葉を聞いた城戸は、コクリと頷く。


「…………フミくんは、だから辛いんだね」

「俺の話じゃ……。いや……まぁ、俺も……思うところはあるけど」

「……ごめんね。無責任に、背中を押した」


 俺はゆっくりと空を見上げて、ため息を深く吐く。


「……俺はさ、みんな楽しくへらへら笑ってほしいだけなんだよ」


 …………そんなこと出来ないって分かってるのに。


「城戸はさ、変人だけど、周りにいる奴みんな楽しそうで……。憧れてた、憧れてる。こうなりたいと、ずっと思ってた」


 けど、まぁ……なれそうにはない。


 少しずつ殴られた痛みが戻ってくる中、風の冷たさが心地いい。隣に座る城戸に引っ張られて頭が城戸のふとももの上に乗る。


「少し、休もっか」

「……ああ」


 いい匂いがして柔らかくて、どこか安心する。……眠れそうにはないけど、心地はいい。


 …………やっぱり、好きだな。この子のことが。

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