第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇⑥


 この高校では、入学から少し落ち着いた、これから文化祭の準備が始まるというこの日に生徒全員が集まって行う会がある。


 まぁ、おおよそ教師が学校についての話をしたり、注意事項を説明したり、校長先生が無駄話をするのをただ聞くだけの会だ。


「──では、生徒代表。東野くんからの挨拶です」


 そう呼ばれて前に出てきたのは土曜日にも見た顔だ。

 昔から目立ちたがりな性格が功を奏したのか、慣れた様子で揚々と肩で風を切って壇上に上がる。


「おはようございます。生徒会長の東野です。……さて、入学から少し時間は経ちましたが一年生の皆さんはもう学校には慣れたでしょうか」


 という当たり障りのない話し出しからどこかで聞いたことがあるような言葉が紡がれていく。


 ……というか、ほとんど去年の会長の挨拶と同じだな。まぁ、変にオリジナリティを出すものでもないかと思いながら、スッとクラスの列から抜け出す。


「──この高校では特に文化祭に力を入れていて、文化祭を楽しみに入学したという生徒も多いのではないでしょうか?」


 という言葉を聞きながら舞台裏に行き、ギャルの山田のせいですっかりチャラくなった教頭にペコリと頭を下げる。


「……すみません、急にねじ込んでもらって」

「いや……あー」


 教頭先生は何か言おうとして、少し口を閉じる。

 ……まぁ、教師としては今、俺がしようとしていることはあまり応援出来ないのだろう。


 だから言い淀んだが……多分、東野のことを生徒として大切に思いはしても、何かしらの思うところはあったのだろう。


 だからこそ、深く頭を下げる。

 頭を下げている間に東野の話が終わり……それから、俺の名前が呼ばれた。


「続きまして、文化祭実行委員会、代表の三船くんからの連絡です」


 壇上に上がる前に、もう一度教頭先生に頭を下げる。


「……すみません」


 壇上を見ると一瞬だけ驚いた顔をした東野が何か言いたげな表情を浮かべてから降りていくのを見る。


 入れ替わるように前に出ると、大勢の生徒の目が俺を捉える。


 普段、その列の内側にいるときには気にもならなかったザワザワとした空気も前に出ると妙な居心地の悪さになった。


 ……東野は苦手だけど、この空気の中で普通に振る舞えるところは尊敬出来るかもしれない。


 前に立ち、意識的にゆっくりと話し始める。


「おはようございます。文化祭実行委員の三船です。──と、名乗りはしましたが、二、三年生なら「またお前かよ、帰れ帰れ」って感じですよね」


 俺の冗談に色んなところから軽い笑い声が聞こえる。一年生の方を見ると気さくな人と思ったのか、少し肩の調子を崩している生徒がいるのを見て、数秒言葉を止める。


 人は環境の変化に敏感な生き物だ。

 強烈な光だったり、あるいは急な闇。大きな音……そして唐突な無音。


 音がなくなったことでまばらだった目線が原因を探るために前を向いたのを見てから、止めていた口を動かして言葉を続ける。


「文化祭をするのにおいて、必要なことはなんだと思いますか? 色々な答えがあると思いますが、私は生徒ひとりひとりが選ぶことだと思っています。よく「みんなで協力して」だとか「みんなが頑張っているんだから」と言って、色んなことを強制して成り立たせようとしています。それも手段のひとつではあると思いますが……それは文化祭でやるべきことなのでしょうか」


 言葉は即興だ。いくつかのパターンは考えているが、基本的にその場で言葉を選ぶ。

 生徒の顔を見て、雰囲気を感じ取ってその場で食いつきを探っていく。


 悪くない食いつき、少なくとも悪感情も飽きも感じさせていない。


「そもそも文化とは、強制すべきものではないというのが現代的なありかたです。こうするのも自由、ああするのも自由、やるのもやらないのも、真似するもしないも自由。大きな話になりますが、ひとつの国が別の国に自国の文化を無理矢理押し付けるのはよくないとされています」


 ……少しくどかったか。話のテンポを早めるか。


「なら、文化祭も同様にそうあるべきと考えます。やりたくもないことに「主体性を持ってやれ」と強制することは好ましくなく、反対にやりたいことはやれるように手伝う。それはクラスメイトだったり、部活の先輩や後輩だったり、先生や……私達、文化祭実行委員だったり」


 マイクに息が入らないようにスッと息を吸う。


「まぁ、こんな風に文化祭実行委員として前に出てますけど、去年の自分が文化祭でやってたことって一日中ゴミ拾いですからね。そんな感じの雑用をやるのが主な仕事ですので、面倒なこともどんどん相談してくださいね」


 今まではわざとざわめきを抑えたが、今はあえて生徒が話をしやすいように視線を生徒達の方からずらす。


「──さて本題ですが、部活をしてたり個人やグループで文化祭で何かをしようと考えていた人はもう耳に入っているでしょう。今年から文化祭が大きく変わります。プロの方を呼ぶことになり、去年まであった個人や部活での発表するステージはそちらの方が使うからです」


 わざとマイクのコードに足を引っ掛けて誰にもバレないようにコードを引き抜く。


 それから少し大きな身振りでコードが抜けたことをアピールしてから差しに行き、改めて壇上に戻ると周りの人に話を聞く生徒などの小さな話し声が辺りから聞こえるようになっていた。


「失礼しました。機材トラブルで。……例年、個人でステージを使うのは10グループ前後、部活動も6、7グループ程度と生徒の中であまり多くはないでしょうが、クラスの発表も小さいステージの方が向いているところもあるのでもう少し増えて、だいたい毎年20グループほどですね。多分、そちらのステージを使う予定だった生徒の中には突然の変更に驚いた人も多いと思います。私の方にも相談が多く寄せられて……ああ、様子を見るに、急なことに知らない人も多かったんですね」


 わざとらしくそう言ってから続ける。


「文化祭のステージをどうするか、あるいは予算配分をどうするか、それは生徒会が決めることです。この決定は生徒会が決めたこと……そして生徒会というのはこの場にいる生徒全員のことです」


 わざと分かりにくい言葉を使ってざわめきを広める。


「生徒会は仕組みとして、生徒ひとりひとりが持つ権限を委託して、生徒会長とその補佐をする生徒会役員に代わりに実行してもらうというものです。直接、すべてのことを生徒みんなで投票するという形を取ると手間がものすごいことになるのでそうしています。生徒会長とは、みんなの権利を集めて色々な決定をする役職です。これは政治家とかと一緒ですね。生徒会長も政治家も、持っている権利は普通の人と変わらないけど、票を集めて権利を借りることで色々と仕事をしている……というものです」


 長々と話すが、聞いている人はそこまで多くない。本題から遠い面倒な話をわざとすることで生徒同士の個人的なヒソヒソ話をさせて、それを俺が壇上から話題を提供することで大まかに方向づける。


「……軽音部、並びにいくつかの人や部活・グループから相談を受け、生徒会長の東野くんと話をしにいきました。例年、文化祭のことは実行委員と生徒会が協力して行うものということもあり、実行委員として状況を整理する必要があったからです。結論として、話し合い……というよりも抗議という方が適切なそれは門前払いを受けました」


 直前まで東野が話していたこともあり、学校のゴシップに飢えている生徒が楽しそうに「ヤバくない? めっちゃ揉めてね?」と話しているのが聞こえてくる。


 ……頃合いか。


「以上の理由……つまり、生徒の権利の代行者として、東野くんは不適格であるという私観を持ちました。そのため、生徒会長の不信任決議……リコールをしようと思っています」


 リコールという話になって、ざわめきが広がって行くのを見ながら、一度口を閉じる。

 東野は怒ったような困惑したような表情を浮かべていた。


「……制度としてリコールは生徒手帳に載っている校則のページの5ページ目の8行目にありますように、生徒の過半数がリコールに賛成した場合に可決されます。本日から署名を集めるためにクラスや部活動などの方に顔を出させていただきますが、もちろん署名するかは個人の自由です。……が、舞台発表を考えている方、あるいは部活やクラス、友達にそういう人がいる……という方は、署名していただけるとありがたく思います」


 ざわめきの中、俺は深く深く頭を下げる。


「っ……」と、わざと息をマイクに入れる。


「友達が、一年も前から発表に向けて……頑張ってきたんです。お願いします! 土日も頑張ってたんです、無駄にさせたくないんです! お願いします! お願いします!」


 急に崩れた俺の様子に生徒の注目が集まる。それから再びざわめきが広まるのを聞きながら、それからまたマイクに鼻を啜る音を拾わせる。


「お願い、します」


 もう一度言ってから、締めの挨拶もなしに壇上を降りた。


 妙な空気を背中に感じながらも息を吐いて、待ち構えていた東野と向き合う。


 明らかな怒気が俺に向けられる。


「……つまらない茶番を見せやがって、どういうつもりだ」

「リコールするつもりだ」

「っ、文化祭ごときで……。というか、生徒会のリコールなんて聞いたことねえよ」

「校則には規定がある。まぁ、この学校でされたことはないらしいが」


 東野は俺に掴み掛からんとばかりの様子ではあるが……俺にはそれを止める気にはなれなかった。


 相手にされていないと思って怒ったのか、東野は俺の襟首を掴むが……反撃する気は起きない。


「っ、こんなの、何考えて……! 俺に嫌がらせをするつもりかよ、クソが」

「……悪い」

「今更謝って……成功する見込みもないだろうがよ!」


 …………。

 怒っている人を前にしているとは思えないぐらい……俺の内心は冷めていた。


 茶番……まぁ、東野の言った茶番という言葉は、間違いないだろう。

 俺の壇上での言葉は……つまらない演技で、茶番で、意味がないものだ。


 俺に言い返して満足したらしい東野は「ハッ」と笑ってから俺を押すようにして手を離す。

 壁に叩きつけられた俺はそのまま壁に寄りかかって俯く。


「つまらないことして、妙な義心を出して恥かいたな」


 本当にやる気が出ない。……リコールを言い出した俺がすべきではないだろう、つまらなく乗り気でない表情を浮かべながら、俺に背を向けようとした東野に言う。


「……この高校の全校生徒は……287人だ」


 東野は怪訝そうに振り返り、俺は自分のポケットからメッセージの通知で震えまくるスマホを取り出して、よく使っているメッセージアプリの友達一覧を見せる。


「……友達、275人って表示されてるだろ。そのうちの168人がこの学校の生徒だ」


 東野の表情が固まる。

 ……罪悪感で押しつぶされそうになりながら、東野の顔を見る。


「……土日の間に、リコールの件については俺が連絡先を知っている全員に連絡してる」

「……は?」

「直接の友達と、その友達の友達の合計で、署名の確約が取れた人だけでも150人を超えてる」

「は?」

「今回の演説は一年生を置いてけぼりにしないための学校の雰囲気作りでしかないんだ。東野の言う茶番そのものだ」

「は?」

「……ごめん」

「は? ……いや……はあ?」


 遅れて、東野は事態に気がついたのか顔を赤くして、青くして、また赤くして、青くする。


 震えた手で、俺を指差す。


「ふ、ふざっ、ふざけっ……ど、土下座しろ、って言ったからか、こんな復讐を……」

「……いや、関係ない。それで済むなら俺はそれで済ませたかった」

「おまっ、おまえぇっ!」

「……過半数を超える署名が確実に集まることを教師に事前に話したから、急遽俺が話す場をねじ込んでもらったんだ。教師もいい顔しなかったけど、無理矢理な」


 東野が俺につかみかかり、拳を俺の顔に振るう。鈍い音が鳴り、そのまま床に引き倒される。


 ……だけど、抵抗する気にはなれなかった。


 ガンガンと殴られる。痛みはあるのに、嫌に冷静だ。


 …………本当に、こんなことはやりたくなかった。


 東野は今から……親になんて伝えるのだろうか、親からどんな反応を受けるのか、クラスメイトからの目はどうなるのか、学校外の友人にも人伝に知られることだろう。


 ……大学に進学したあとも、同じ学校から進学する奴がいたら知れ渡ってしまうだろう。


 生徒会長のリコールなんて成立するわけがない……と、東野は言った。

 生徒の過半数からわざわざ署名されることなんてほぼあり得ないのだから、東野の言葉は正しい。


「っぁ! おま、クソが! クソ野郎! お前は、いつも! いつもぉお!!」


 振り下ろされる拳に血が混じる。俺が出血したのか、それとも殴りなれていない東野の拳からか。


 殴り続けるのにも限界がきて、東野の息が切れる。半分泣いているような怒り……治ってはいないだろうが、疲れて動けなくなったせいか、絶望感の方が先に来たのか頭を抱えて蹲る。


「っ、なんでだ、なんでだよぉ!?」


 ……あり得ないことがあり得てしまった。

 リコールなんて普通は起き得ないからこそ……ゴシップとしての価値は高い。


「…………ごめん」


 近くに落ちた自分のスマホを拾い、体をずるりと起こしてよろめきながらその場を離れる。


 他の生徒や教師から見つからないように非常口から降りて、校舎の裏手で城戸に電話をかけた。


「あー、キャプテン。ごめん、校舎裏になんか治療の道具とか色々持ってきて」


 と言って返事が来る前に電話を切る。

 ……口の中に、血のエグい味が染みた。


 …………自分でリコールをしておいて、勝手に落ち込むなんて……俺は本当に自分勝手な奴だ。


「…………くそ」


 血の酸味を飲み下しながら、空を見上げた。

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