第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇⑤
黒名 絵菜。本名は三船絵菜。
かつての日本人なら大概の人は知っていたような有名な女優。
テレビ離れが進む前の、まだ多くの人が芸能界に興味を持っていた最後の頃に有名だったためか、今でも人の記憶に残っている。
……美しく、身勝手で、眩いばかりに不快な、俺の母だ。
俺の様子にふたりも気がついたのか、少し表情が変化する。
「あの……どうかしました?」
「あー、いや、別に隠してたとかじゃないんだけど、黒名 絵菜って俺の親だからビックリして」
「へ? え、えええ!? 有名人じゃないですか!? なんで隠してたんですか! ヤケに先輩の金回りがいいと思ってたら親の七光りだったんですか!」
七光りと言うな。俺は軽く頭を掻いて、それから九重を見る。
「なんか妙に好かれてると思ったけど、母のファンだったから、なんか顔が似てる俺が気になってたんじゃないか?」
「ん、んん……別にファンというほどでもなかったですけど。名前とか以外はよく知らないんで……。あ、でも、絵は描きたいです! ご迷惑でなければ会って描かせていただけないでしょうか?」
キイロの言葉にシロハがハッとした表情を浮かべてオロオロと気弱そうに俺の様子を伺う。
「あー、それは無理だ」
キイロが別にファンではないというのはよく分かった。あまり表情を変えないように、気にしていないことを押し出すように軽く笑いながら、さらりとした様子を作って続ける。
「子供の頃に死んだから」
「あ……いや、その……す、すみません」
「いやいや、謝るようなことじゃないだろ。なんか昔見たテレビの話してただけなわけだし。……絵、描けたか?」
俺が覗き込むと赤と黒がスケッチブックの中に見える。何の絵なのかすら分からないのに「子供の落書き」みたいな印象を受けないのは、震えながらも九重の手は何かを描こうとしているからだろう。
相変わらずよく分からないが……多分、良い絵なのだろう。
誰が評価するという話ではなく。何となく、俺がそう思った。
まだ描けていないようなのでもう少し大人しくしてやろうと座る。
おどおどとした様子のシロハが机の下でキイロから隠れるように俺の手をきゅっと握る。
ああ、たぶん……俺が落ち込んでいると勘違いして、慰めてくれてるのか。
少し笑って、それから手を軽く握り返す。
「あ、あぅ……」
「……シロハ。たぶんシロハのことだから、家に帰ってから俺にアレコレ言ったことを一人で反省して落ち込むだろ」
「し、しません、そんなの! はっ倒しますよ!」
「けど、まぁ……気にしなくていいぞ。ちゃんと分かってる。シロハのいいところだけじゃなくて悪いところも知ってる。そのうえで……ありがとう」
俺がそう言うと、シロハは言い返すことも出来ないしゅんとした様子で俯く。
「……はい」
しばらくキイロに付き合って、それから暗くなる前に三人で帰宅する。
二人を見送ったあと、一人で自宅の前にまだ来ると少しだけ寂しさを感じるが、まぁいつものことなので別にすぐに慣れるだろうと思って扉を開ける。
玄関には城戸の靴が置いてあって、夕飯の支度をしているのかほんの少し暖かい空気を感じる。
「あれ、今日はあっちで寝泊まりするのかと、こっちにいたんだな」
「フミくん。悪気がないのは分かってるけど、その言い方は傷つくよ」
「あ、ごめん。いや……休日に日帰りでこっちきたら、親も心配するだろ。……あっちに泊まりたくない理由とかあるのか? 親父と上手くいってないとか」
「んー、そういうのはないよ。……フミくんのことが心配って言ったら恩着せがましいかなって思ってるから理由は伏せとくね」
「まったく伏せれてないぞ?」
……まぁ、普通に高校生になってから他人の大人の男と同居というのは普通に嫌だろうし……けど、まぁ……。
「……助かる」
俺がそう言葉を漏らすと城戸は驚いたような表情を浮かべて、俺の隣にぽすんと腰をおろす。
「何かあった? デート、楽しくなかった?」
「デート……あー、途中でキイロと合流して、二人を放置して別行動してたからそんな感じじゃないぞ」
「うわっ、さいていだ」
「慰めてくれる流れかと思ってたんだが……」
城戸は薄い部屋着のまま、肩が触れ合うような距離で俺に笑いかける。
「…………あー、久しぶりに母親の名前を聞いてな。それが褒めるというか、良いと評価する内容だったから、思うところがあって」
「思うところ?」
「才能というものはあるんだろうな、と」
城戸は少し口を閉じて、それから考えながら口を開く。
「……九重さん?」
「ああ、キイロが褒めていて。まぁそもそも俺の親とは知らないだろうし、どうこう言うあれでもないが。……軽音部の音楽が結構聞こえていたのに興味を示さなかったことや、文化祭にも無関心、絵画のコンクールに関しても同様、テレビも見ないのに……十年も前の俺の親のことはパッと名前が出てくる」
……良し悪しの話ではない。単なる事実として。
「……卓越した才能を持っている奴は、人の目を惹く。当然のことだし、俺もまぁ同様だ。…………けど、残酷だと思った」
「……考えすぎだよ」
「土曜に集まって朝から晩まで楽器を鳴らしてる軽音部は呆気なく発表の場を捨てられるし、母が自殺とき明らかに母の人格に問題があるのに父親が責められた、どちらも当人の言葉などマトモに聞かれることもなく話が進む」
「……考えすぎだよ」
「正しい、正しくない以前のところで影響力に差がある。……例え死んでも、それから何年経っても」
城戸の目はジッと俺を見る。
俺は目を逸らして項垂れながら深く、深く息を吐く。
「……俺は才能はないけど「そっち側」だろう。キイロとか母ほどじゃないが、影響力が強い。シロハ……中学校の頃の後輩は一年会ってなくても俺のことを忘れてないどころか高校まで追ってくるし、キイロも俺を見る。明らかに影響力がある方で……」
パチンっ、と俺の両頬が城戸の両手に挟まれるようにはたかれる。
俺が目を白黒させていると、城戸がずいっと正面から顔を近づける。整った顔が目の前にあることに気圧されていると、城戸はムッとした表情で口を開く。
「自意識過剰!」
「えっ、い、いや、でも……」
「フミくんは確かに影響力はあるよ。見てたら分かるし、私も頼ってる。けど、誰に影響されるかは私は自分で選んでるし、他の人もそうだよ」
「いや……まぁ、そうかもしれないけど、ちゃんと考えて立ち振る舞わないと……」
「考えすぎだよ。フミくんが心配するほどみんなアホじゃないから平気平気」
……いや、少なくともキイロとシロハはちょっとアホだろ。
「みんな、多かれ少なかれ影響しあって、傷つけながら生きてるの。……優しいのは知ってるけど、ほどほどに……ね?」
まるで子供に言い聞かせるような言い方。
……それはそうかもしれないけど……と、考えてしまう。
「実は、迷ってることがある。背中を押してくれるか?」
城戸は話の内容を聞くこともせずに笑みを浮かべた。
「もちろん! 私は君のキャプテンだ! いつだって味方だよ」
「……ありがとう。決心がついた」
「それで、何するの?」
「生徒会長になる」
「…………へ?」
ポカンと口を開けた城戸を他所に、俺はスマホを操作して知り合いに片っ端から連絡を入れていく。
「えっと、生徒会の選挙に立候補するの?」
「いや、来週中を目指す」
「へ? えええええ!?」
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