第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇④
シロハは赤くなった自分の耳を隠すように触り、それから小さく薄桃の唇を動かす。
「……先輩のえっち」
……なんか俺が悪いみたいになってる。
「そういえば、何であんなに慌てていたんですか?」
「あー、文化祭のことで。ちょっと急に大きな変更があって、それでバタバタしてた」
「文化祭、ですか?」
「ああ、まぁふたりには関係ないだろうけど、舞台をプロに使わせるから部活とか個人とかは使えませんよー、とのことだ」
「へー、なんて人ですか?」
「……そういや聞いてなかったな。まぁ、芸能人とか聞いてもよく分からないし」
俺からするとどんな芸能人でも関係なかったけど、まぁ気になる奴もいるだろうし聞くだけ聞いていてもよかったか。
「先輩、あんまりテレビとか動画とか……そういうの苦手ですもんね」
「まぁ……好きじゃないな」
母親のことを思い出す。
思い出すこと自体は不快じゃないが、そういうことを考えてしまうと集中出来ず楽しめない。
何より……面白いとか面白くないとか、音楽やストーリーの良さなどが分からない。
「まぁ私もあんまり見ない方ですけど」
「キイロもどうせ見ないだろうし、案外今時は多いのかもな。……まぁ、何にせよ、俺は役割上、舞台を使う奴の味方をするから関係ないけどな」
「……手伝いましょうか?」
ニヤリと笑みを浮かべてそう言うシロハに対して首を横に振る。
「いや、別に俺が絶対に正しいってわけじゃないしなぁ。文化祭の主目的とかがどうでもいいし、そういうプロの方がクオリティ高いからそっちの方がいいってやつもいるだろうし」
「それはそうですけど……」
「俺はあくまでも、友人の努力が無駄になるから、って個人的な理由だしな。ワガママ同士のぶつかり合いなんだし……」
俺がそう断ろうとすると、俺の言葉に被せるようにシロハがしっかりと口を開いて話す。
「私は、合っていても間違っていても、先輩の味方をしたいのです」
「……よく真顔でそんな恥ずかしいことを言えるな」
「ハッキリ言わないと伝わらない人っているものですから」
どこか不満そうに言うシロハは九重の方に目を向ける。
「九重さんはどうしますか?」
「えっと……あまり文化祭には興味がないので……」
「了解。色々バタバタして悪いな」
「いえ……。ん、では、絵の続きを……」
千切り絵の続きを描こうとしたキイロの手が止まり、不思議に首を傾げてからそれをしまって新しい紙と色鉛筆を取り出す。
「あれ、続きじゃなくていいのか?」
「むー、なんだか違う感じがして。青ばかり買ってたので、千切り絵は一度諦めます」
よく分からない奴だな……と思っていると、キイロの手が赤色の色鉛筆を手に取る。
いつもは絶対に初手で青なのに……と思っていると、想像よりも遥かに大胆に大きく赤で線を引き、それから黒色も足して描いていく。
明らかにいつもとは違う色。……青色がキイロにとっての俺のイメージに合う色だったのだとすると……赤とか黒とかが多い今は、いつもとは違う印象なのだろうか。
普段通り振る舞っているつもりだが……キイロには、俺が東野とのやりとりでピリついているのを感じ取られているのかもしれない。
…………情けない。
少し落ち着こうと深く椅子に背をもたらさせる。
ゆっくりと時間を過ごそうとしていると、シロハの手がぴしぴしと俺を叩く。
「何か物思いに耽ってますけど、さっきの絵は燃やしますから。ほら、その鞄を寄越してください」
「……シロハ。なんだかこうして話すのも久しぶりなのに……久しぶりな気がしないな」
「何かいい感じの雰囲気を作って誤魔化そうとするのはやめてください。先輩がそういうことを言ったら胡散臭いだけですから」
シロハは俺の手から鞄を剥ぎ取ると中に入っていた絵を取り出し、九重の方を見てから九重がその絵に興味を失っていることを確認してからくしゃくしゃに丸めてポケットに入れる。
「まったく……私だったからこの程度で許してますけど、人によってはセクハラで訴えられますよ」
「その場合、訴えられるのはキイロだろ。……あー、その、なんだ、悪かったな」
「もういいです。先輩がえっちなのは昔からなので」
もういいと言いながらもプンスカと怒っているシロハを見ながら言葉を続ける。
「いや、卒業してから連絡しなかったこと。……忙しかったとか、受験生だとか言い訳したけど……。まぁ、結局、嫌われてたら嫌だってビビってたのが大きいしな」
「……嫌われてたら?」
「シロハ、ほら、結構厳しいこと言うしな」
「先輩がアホなことと失礼なことばかり言うからです」
「ほら、厳しいことを言う……」
「……先輩がバカだからです。嫌われてたらとか、なんて」
指先をぐりぐりと俺の頬に押し付け、それから少し迷ったように、あるいは決心したように俺を見る。
「嫌いです。けど、それ以上に、一緒にいたいと思ってます」
「……小っ恥ずかしいことを」
ハッキリ言わないと……分からないバカな人がいるんです」
スッと目を逸らすとキイロと目が合う。
ふたりで話しすぎていたかと思ったが、キイロは絵に集中しているようだ。
キイロは絵を描くのが早い。指先の動きもそうだが、道具を選ぶときも、描き始めるのも早くて止まらない。
鉛筆が踊るようだ……なんて、月並みな感想を抱くその動きと音に微かな感動を覚えながら、先ほどのシロハがモデルの絵を思い出す。
……チラリとしか見えなかったが……卓越していた。
超高校生級というより、超人というような……絵の技量。
少なくとも30分ほどの時間で書いたとは到底思えない絵だった。
スマホでキイロの名前を検索すると結構な数のヒットがある。そのどれもが当然ながら絵の話だ。
画像だと少し画質は荒いが綺麗な絵や不思議な絵がたくさん出てきて、どこで賞を取ったとか、天才がどうとか……。
こうしてみると、本当に雲の上の人のように感じる。
改めてキイロを見ると、相変わらず俺を描くときだけ妙に手が震えているし、幼なげな柔らかそうなほっぺが可愛らしくて、そんな遠い場所にいるようには思えず近く感じる。
それに、キイロもたぶん自分をそんなにすごい人間とは自覚していなさそうだ。
……不思議な子だな。
「どうかしましたか?」
「……いや、そういや、なんで絵を描くようになったんだ? 親の影響ではあるだろうけど」
「それもありますけど。……あえて言うなら、どうしても描きたい人がいて」
絵を描き始める理由に描きたい人がいるというのは、真っ当な理由に見えて少し変わっているような感じがする。
「あの、上手く言えないんですけど、描きたくなる人がいるんです。シロハちゃんは少し、フミ先輩は強く、宇宙からビビビッーって命令されたみたいに逆らいがたい命令が来る……みたいな」
キイロは自分でも電波な発言をしていることに気がついたのか、少し恥ずかしそうにしながらゆっくりと言葉を手探りで選んでいく。
「食欲、睡眠欲、性欲に並んで……描きたい欲みたいな、我慢しがたい欲求を感じることがあります。絵を描くキッカケになった人は、フミ先輩と同じぐらい、そういう欲を刺激して……いつのまにか、描いてました」
「…………我慢しがたい欲求の中に性欲があるのか」
俺がぼそりと呟くと、シロハが不満そうに俺の頬をぐりぐりと押す。
仕方ないだろ……思春期の男なんだ、すぐに興奮するのは。
「まぁ、会ったこともない人なんです。昔テレビでよく見た……。……黒名 絵菜、って、女優さんで」
キイロが口にした人命に俺は思わず立ち上がってしまう。
俺の表情を見て、キイロとシロハが驚いたような表情を浮かべ、けれども俺はその二人を心配させないように誤魔化すことも出来なかった。
俺がそんなにも心を揺さぶられた理由は、至極簡単だ。
黒名 絵菜……は、俺の母だ。
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