第四章:怒りの酸味と予定調和の逆転劇③

 嫌な緊張が走る。

 俺の方に東野の目が行くように一歩前に出るが、彼の目は書記の子から離れない。


「……東野、まだプロに依頼はしてないだろ。ほら、この短い時間でこれだけ反発がある」

「俺のところには来てないが」

「それは東野が友達少ないからだろ……。ほら」


 俺のスマホを見せてそれをアピールするも、東野はマトモに見ようとすらしない。


「そのプロをどうしても呼びたいんだとしても時間を短くするなりしたらいいだろ。

「…………お前はさ、中学の頃から何も変わってねえよな」

「何の話だよ」

「結局、同調圧力をかけて人を動かそうとしてるし、自分自身もそうだ」

「いや……俺自身はまだしも、お前は人の意見を聞けよ。一応、形だけとは言っても投票で信任を受けての役割なんだからな?」


 俺がそう言うも、そもそも東野は全く俺を見ておらず妙にカッコつけた表情で書記の方を見ていた。


「俺は俺の信念に従って、リーダーとしての責務を果たす。それだけだ」


 ……いや、それはいいからクラスの友達とかでもいいから聞けよ。


 書記の子は俺の方をチラチラ見て、俺は「もう帰っていいぞ」と帰宅を促す。


 すると、東野は俺が書記の子と話しているのが気にいらないらしく分かりやすく舌打ちをしたあと、良いことを思いついたとばかりににちゃりとした笑みを浮かべる。


「そうだ、三船、土下座しろよ」

「…………何言ってるんだよ」


 呆れながら返すと、東野はニヤニヤと笑って俺の肩を叩く。


「簡単なことだろ? 大切なお友達が頑張ったのを無駄にしたくないってのが本当なら」


 ……本当に身下げた奴だ。

 立場を悪用してしょうもない自尊心を満たそうとする姿も……それが書記の子にカッコよく映ると思っていることも。


 数秒の逡巡。

 ……どうにでも出来る。と、思う。


 東野の意思を無視してやめさせる方法はいくつもあるし、現実的に可能だという算段もつく。


 だが、けれども……穏当なやり方ではないし、それに多くの人を巻き込むことになる。……しんどいと思う奴も出ることだろう。


 心理的な抵抗感から動かしにくい膝を動かしてゆっくりと地面に座ろうとしたその時、俺の後ろにいた書記の子の影がスッと動くのが見えた。


 妙な緊張感の中、数歩の道を歩いた少女は両手でボスっと東野の肩を押した。


「……あなたは、最低です」


 大した力は込めていないだろうし、体格差も大きいので本来なら押したところで何の意味もないだろう。


 けれども、東野は一歩よろめいた。


 ただそれだけなのに、東野からしたらよほど衝撃的なことだったのか、何か反応を返すことも出来ずにいた。


 そんな中、書記の子の手は俺の手を取って引っ張る。


「行きましょう」

「え、あ……お、おう……?」


 書記の子に無理矢理その場から連れ出されて、廊下を曲がって階段を降り、玄関の前まで来たところで手が離れる。


 それから緊張の糸が途切れたように「ふうー」と息を吐く。


「怖かったぁ……」

「……あー、そうか」


 息を吐き出した書記の子は、俺の方を見て申し訳なさそうに頭を下げる。


「すみません。余計なことをしました。……どうしましょう」

「まぁ……文化祭に関してはどうにでも出来るからもういいんだけど」

「だけど?」


 申し訳なさそうにしている書記に向かって軽く笑いかける。


「君が怖くて泣きそうになった」


 一瞬だけ呆気に取られて、それから俺がつまらない冗談を言ったことに気がついたのかクスリと笑う。


「……生徒会、辞めようと思います。元々、向いてなかったです。人前で話したり出来ませんから」

「辞めれるのか?」

「さっきみたいに決まり手押し出しで勝てます」

「相撲か。……あー、あれだよな。東野が少し苦手ってだけで、生徒会自体にはそんなに悪いイメージないよな?」


 俺がそう言うと書記の子は不思議そうに首を傾げる。


「とりあえず、しばらくボイコットして、辞めずに待っていてくれ」

「……何をするつもりなんですか?」

「あー、そうだな」


 ぽりぽりと頰を掻く。……正直なところ、あまり気乗りはしないが……まぁ、こうなったら交渉は出来ないし仕方ないだろう。


「一本背負い……とでも言うか」


 俺が曖昧なことを言ったからか、彼女は不思議そうに俺を見る。


「あ……そう言えば、一緒に帰りますか?」

「あー、いや、友達と学校に来ててな。結構待たせてるから怒られそう」

「ん、そうですか。……えっと、では、また」

「ああ、何かあったら連絡してくれよ」


 軽く手を振ってから別れる。

 ……あまり乗り気にはなれないが……まぁ、仕方ないか。


 変に熱くなった頭を冷やすために少し遠回りしてからキイロとシロハのふたりの元に帰る。


 変に揉めてなければいいんだが……などと思いながら部屋に入ると、シロハがぱたぱたと手を動かしてキイロを叩いて、シロハもぱたぱたと手を動かしていた。


「ば、バイオレンスなことになってた……」


 喧嘩していたとしても口論だろうと思っていたのに、まさか直接的な暴力……。ふたりとも腕力が致命的にないせいでまったく無傷だ。


 たぶん、ほっといてもお互い怪我をすることなく疲労して終わりだろうと思うが……止めるべき、だよな?


「お、落ち着け、ストップ、ストーップ!」


 絶対に痛くないだろうという確信のおかげで迷わず二人の間に入ってお互いを引き剥がす。


 二人とも息が上がっているが、全く怪我はしていなさそうで安心する。


「ひゃっ、へ、変なところ触らないでください! はっ倒しますよ!」

「なら暴れるな……。ほら、落ち着け、何があったんだ」

「こ、九重さんが悪いんです」

「違います! 突然シロハちゃんが叩いてきたんです!」


 食い違う両者の意見……。シロハは俺にのみ口が悪いところがあるが、普段は単なるおとなしい女子である。


 自分に体力がないことを理解しているし、暴力に走るとは到底思えないが……。

 とりあえず少し離れたところに二人を座らせて間に座る。


「……それで、何があったんだ。まずキイロの方から聞きたいんだけど」

「モデルのフミ先輩が出て行ったので、フミ先輩の絵を描くのをやめたんです。それで、シロハちゃんがとってもべっぴんさんなので、描かせてもらったんです。そしたら急に怒られて……」

「へ、変な絵を描くからです!」

「変な絵? ……あー、俺もなんか青いエイリアンみたいに描かれたな。まぁ気分が良くないのは分からなくはないけど」


 俺がそう言うと、キイロはプンスカと怒った様子で立ち上がって机の中に入れていたらしい絵をパッと取り出す。


「変な絵じゃないです! ここ最近では最高傑作です!」

「わ、わあああ!? せ、先輩がいるところで出さないでくださいっ!」


 キイロが取り出した絵は色鉛筆で描かれた、整った顔の少女の肌色の多い絵……有り体に言ってしまうと、シロハの裸の絵だった。


 細く華奢な幼さの残った、けれども腰つきや胸などは性徴が見える。

 蠱惑的な色艶の表情と美しい肢体は性的というよりも芸術的で……いや、普通に男子高校からしたら芸術性よりもエロさの方が遥かに勝った。


「み、見ないで! 見ないでくださいぃ!」

「お、落ち着け。落ち着けシロハ。……ぬ、脱いだのか?」

「脱いでないです!」


 つまり、それは想像上のシロハの裸ということか。俺は「どうどう」とシロハを落ち着かせながらキイロから絵を受け取って、スッと鞄の中のクリアファイルの中に入れる。


「それで……まぁ一度落ち着こう」

「い、今するっと絵を確保したの見逃してませんからねっ。何ドサクサに紛れて手に入れようとしてるんですか!」

「お、落ち着けシロハ。……あー、ほら、キイロ、何でそんな絵を描いたんだ」

「……シロハさんがとてもお綺麗だったので、手が勝手に……」

「まぁ、キイロの芸術家としての性みたいなものもあるのかもしれないが、普通、女の子はそういうのを描かれると嫌がるものだからな。ちゃんと謝ったほうがいい」


 キイロは「はい……」と落ち込んだ様子を見せる。俺はそれからシロハの方にも目を向ける。


「シロハも、まぁ突然こんな絵を描かれてびっくりして恥ずかしかったのは分かるが、あんまり叩いたりしたらダメだろ。手の方を痛めることもあるだろうしな」

「…………もっともらしいことを言ってますけど、絵を鞄の中に入れたの忘れてませんからね。後で回収して燃やすので」

「うぅ……良い出来だったのに……仕方ないですけど……」


 シロハは顔を赤くしながら俺の方を上目遣いで見る。


「……そんなに、私の……そ、その、は、はだか……見たかったんですか?」


 質問の意図が分からずにいると、シロハはパッと表情を羞恥に溢れたものに変えて俺をぽこぽことたたく。


「あ、あれは……ち、違いますけどね、あれは、あくまでも九重さんの想像上のものでしかないわけなので!」

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