第三章:臆病の塩味と鳴らない一年⑦

 なんか最近休みのたびに別の女の子とここにきてるな……と思いながらデパートに入る。


 シロハはデパートの地図の前で少し立ち止まり、それからエスカレーターに乗って近くの文具店に入る。


「ああ、ポップコーンの材料より先に店の飾り付けを買うのな」

「とりあえず見るだけですけどね。時間がかかりそうなので、あまり荷物を持って見てまわりたくないので」


 デパートの中に入っている店の割に本格的な専門店らしく、日用的な文具に加えて色々な種類の絵の具なども置いてある。


 キイロとか好きそうだな。

 軽く見回しながら必要そうなものを探そうとしていると、透明な瓶を二つ握って唸っている少女の姿が目に入る。


 後ろ姿ではあるが細く小さな背格好と長い黒髪。……隣でシロハが「げっ」と言っているので間違いないだろう。


 あまり驚かさないように少し離れたところから、ぶかぶかなパーカー姿のキイロに声をかける。


 キイロは自分の名前を呼ばれたことに気がついてキョロキョロと周りを見回し、俺と目が合う。

 そして何事もなかったように視線を透明な瓶の方に戻す。


「……先輩、やっぱり嫌われてます?」

「やっぱりってなんだやっぱりって。さっきまで頼られてる的なこと言ってただろ」

「頼りにはなるけど嫌いなものってあるじゃないですか。バルサン焚く時に思いっきり煙吸いたいですか?」

「人を煙たがるな。……キイロ、何を見てるんだ?」


 俺がキイロの視線に目を合わせながら尋ねると、シロハは俺の服の袖をちょんちょんと引っ張る。


「学校に絵の具を置くと家の絵の具がなくなってしまうので……。買い足そうと。でも、どの油がいいかと迷っていて……。メインで描くものでもないので、あまりこだわりすぎても仕方ないので既に調合してあるものを使うか、それとも自分で調整するか……と」

「なるほど」


 よく分からないが頷くと、キイロは振り返ってシロハの方を見て目を丸くする。


「あ、あれ……えっと確か……矢野……さんですよね。何で一緒に……ハッ」

「彼女じゃないぞ」

「さては……姉、ですね?」

「年下だからせめて妹だろ。中学生の頃からの友達。なんかいっぱいカゴに入れてるけど持って帰れるのか?」


 キイロの隣に置いてあるカゴを見て尋ねると、キイロは小さく口を開く。


「……重そう、ですね」


 一人なら「持とうか」と提案したところだが、今はシロハもいるのでやめておこうかと考えていると、シロハは「別に大丈夫ですよ」と話す。


「私の方はそんなに急いでもないので、また明日や来週でも大丈夫ですよ。ネットとかでもいいですし」

「あー、じゃあ、重そうだし俺が持とうか?」

「フミ先輩にそこまでしてもらうのは申し訳ないですから……」


 キイロは断ろうとして、俺は気にするなと首を横に振る。


「学校で使う用ならこのまま学校に持っていくのも、月曜日にキイロの家から学校に持って行くのも労力は変わらないだろ。シロハの方も、どうやら俺と出掛ける回数を増やす口実に丁度いいから平気っぽいし」

「はっ倒しますよ」


 九重はチラチラとシロハの方を見てからコクンと頷く。


「では……その、申し訳ないですけど、お願いします」

「買うものはまだ決まってないよな。シロハもクラスの文化祭用の物を見たいみたいだから選び終わったら声をかけてくれるか?」

「あ……はい。……分かりました」


 キイロはコトリとカゴに油を入れて、それから別の棚に目を向ける。

 やっぱりよく分からない奴だなと思いながらシロハと予定の物を見てまわり、一通り見終わったところで九重から声をかけられる。


 九重からカゴを受け取ると結構ズッシリとした重みを感じた。


 カゴをレジに置くと、キイロは少し古びたポイントカードを出して買い物を済ませてる。


「よく来るのか?」

「月に一度くらいです。今日は必要なものが多かったので……すみません」

「いや、そもそも俺が頼んだのもあるしな。むしろ半分ぐらい金出せばよかったかも。……いや、そんなに財布に入ってないか」

「なんだかよく分かってないですけど、絵が売れてるらしいのでお金は平気みたいです」

「よく分かってないのか……。あー、親がやってるのか」


 ……味覚を失うほどストレスになっているのに内約を知らないのは健全なのだろうか。


 実際、ほとんど金になっていない可能性もあるし、単にキイロが金銭に頓着がないだけかもしれないが……。


「どうしました、フミ先輩」

「いや……あー、折り紙買ったんだな。なんか青だけの」


 考えていたことを誤魔化すために適当に話すと、キイロは少し楽しそうに返事をする。


「あっ、はい。千切り絵を描こうと思いまして」

「青がメインのか。…………まさかとは思うけど、俺じゃないよな?」

「えっ……だめでした?」

「キイロの中の俺のイメージおかしいだろ……。見たままを描けよ」


 俺がそう言いながら袋を持つと、九重は俺が持っていた袋を半分持とうとしながら首を横に振る。


「見たまま、写真のように描くことは出来ますけど、写真は情報量が少ないことが欠点です」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味です。……昔から写真のように絵を描く写実主義はありました。けれども、本当に写真や写真のような絵は現実に則しているでしょうか。……日常的な話をすると、普段見てるのと写真で見るのと印象が違う人とかいますよね」


 あー、まぁ、城戸とか写真とかだとものすごい美少女に見えるけど、動いてるとなんか変なやつって印象の方が強くなるな。


 そう思っていると、俺が想像してることを察したのかキイロは頷く。


「写真は光をそのまま映し取ったものです。けれど、写真よりもむしろ単純な線の白黒の漫画絵の方が対象を正しく切り取れていることは珍しくありません」

「……結構難しいことを言うのな」

「歴史でも、写実主義にあった技法をあえて崩し、線の正確さではなく光やその際の印象を切り取った印象派が生まれて、それから長らく色々な工夫をしてきました。一つの画面に複数の視点を組み込んだキュビズムだったり、表現主義や他にも色々……現代においては情報化の発達もあり、定義が難しいほどにさまざまな種類の絵があります。……必要なのは「何を目的とした絵なのか」と「その絵はちゃんと表現出来ているのか」です」


 長々と語った九重はふぅと息を吐いたから俺を見る。


「フミ先輩を描くのに、写真は不適切です」

「それは分かったんだが、でもなんで青……。というか、俺の何を描きたいんだ?」

「フミ先輩そのものというよりも、見ている時に感じる心の揺れを……」


 幼なげなパチリとした丸い目を俺に向けて、それからほんの少し照れを感じさせるように頬を朱に染める。


「私は、たぶん……恋を描きたいのです」


 急に発せられたその言葉に俺の脚は止まり、真後ろを歩いていたシロハがポフっと俺の背にぶつかった。


「私の筆で、恋というものを」

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