第三章:臆病の塩味と鳴らない一年④

 休日の朝……ソファの上で、テレビの音が付いていることで目を覚ます。

 薄手の寝巻き姿の城戸は俺が起きたことに気がついてソファの上の脚を退かすように手振りをして、俺の隣にポスリと腰掛けた。


「おはよ。何か食べる?」

「俺さ、自室で寝てたら夜に城戸が訪ねてきたからソファまで避難したんだけど……なんでこっちまでついてきてるんだ。まぁいいけど、もう一回寝る」

「あれ? 元気ない?」

「いや、しばらく忙しいから今のうちに寝とこうと」


 身体を起こして自室に向かおうとすると昨日の味噌汁の残りが温められているのかキッチンの方からいい匂いがすることに気がつく。


「……あー、食ってからにするか」

「ふふ、作り甲斐があるね」

「無理に作らなくてもいいんだけどな。城戸もしんどいだろ」

「んー、調べ物の気分転換にだよ」

「まぁ、美味いからありがたいけど」


 ご飯と卵焼きと味噌汁。

 あまり量は多くないが、二度寝するには目が覚めるぐらいはある。


 薄手の部屋着を着た城戸は先に食べたのか食べている俺をにこにこと楽しそうに見てくる。


「……見られてると食いにくいんだけど」

「いやー、ほら、作り甲斐があるなぁと。おかわりいる?」

「いい。……世話焼かなくていいんだぞ」

「別にお礼ってわけじゃないけど。いっつも手伝ってもらってるからこれぐらいさせてよ。怪奇研も設立出来そうだしさ」


 別に手助けしてるのは城戸だけじゃなく誰でもなので気にしなくていいのに。


「そういえばさ、文化祭って結局用意の何が忙しいの?」

「ああ……まあ、うちの高校だと結構個人でもステージの出し物とか許可されてるだろ。バンドとか漫才とか手品とかいろいろ」

「あー、あるね。去年は特に見に行ったりしなかったけど」

「でも、まぁ何をするにも用意とか必要なわけで、荷物や用意が多いグループを一番最初とか休憩直後とかに配置したり、搬入の動線を確保したり、音響や光量の調整とか」


 俺の話を聞いた城戸は「うへえ、面倒くさそう」と表情を歪める。


「まぁ、一番大変なのは……トイレだな。特に女子トイレ」

「トイレ?」

「生徒に加えて生徒の友達や地域の人や保護者までくるからな……。特に一番来るのは生徒の母親だから、女性の比率が高くて何も対策してなければめちゃくちゃ混む」

「あー、そういえば去年混んでたような……」

「城戸はクラスの出し物でかなりの時間を4階にいたからそんなに体感してないだろうけど、文化祭のメインは屋外の屋台とか体育館とかのステージで、まぁ全部1階のトイレが最寄りになるんだ」

「へー、どういう風に対策するの?」

「文化祭のパンフレットに出し物の地図があるからトイレを分かりやすいように大きく描いたり、1階は混み合うと注意書きを書いたり、生徒には2階より上のトイレを優先して使うように事前に呼びかけたりという具合だな。あと、明らかに人を呼ぶだろう出し物があればメインの場所から離れた場所に配置したりと」


 まぁ、何にせよひたすら調整調整、そして調整である。


 去年はマトモにマニュアル化もされてなかったから先輩やら年配の教師やらに例年の困ったことや不満に思ったことを聞き出して事前に対策を打つ……と地味で大変な作業が多く、完全にハズレクジだ。


「あとゴミな。わざわざゴミ箱を大量に用意してそこかしこに設置した上に、ずっと袋の取り替えをしてゴミが溢れないようにしてるのに……平気でそこら辺に捨てる奴が出る。自分の子供のいる学校で何を考えるんだよ」

「へー、苦労してるんだねー」

「……悪い、愚痴っぽくなったな。まぁ、そんな感じで不満が出ずに楽しめるように……というのが主な役割だな」


 考えるだけで今から憂鬱だが……まぁ俺に用意された役割なのだからちゃんと果たそうと思う。


 今年は山田とか龍滝辺りも手伝わせようか……。アイツら内申点低いだろうし。


 食器を片付けて歯を磨いてから自室に戻る。


 昨夜、城戸が使っていただけで内装はいつもの部屋と変わらないのに、壁にかけてある制服のせいか、それともなんとなく感じる城戸の匂いのせいか、女子のいた部屋という雰囲気を感じる。


 あまり意識しないようにベッドに入り、少しの居心地の悪さを感じながら目を閉じる。


 寝心地がいいような悪いような。


 目を閉じていると掃除機の音が聞こえてくる。

 薄いまどろみの中、昔のことが勝手に思い出されていく。


 母は忙しい人だった。

 俺が寝たあとになって帰ってきて掃除機をかけるのだ。


 家事は幼かった俺と、母ほどは忙しくない父親のふたりでやっていたので床が汚れているということはないだろうし、母が潔癖症ということもなかっただろう。


 たぶん、家のことを何かしたかったのだと思う。

 他の家事も済んでいで、帰ってきてやれることがそれぐらいしかなかったから掃除機をかけていたのだろう。


 夜中、寝るには邪魔なその音が……俺には母が近くにいるという、俺のことを忘れていないという証明のようで、子守唄のように寝心地がよいものだった。


 だからだろうか、いつのまにか二度寝のまどろみは深いものになっていき、いつもよりも心地よく落ちていくのは。


 おそらく二時間ほどで自然と目が覚めて、枕元にある時計を見ると9時30分ほどだ。

 もう少し寝れるな、と思っているとチャイムの音が鳴ってもぞりと体を起こす。


「なんだよ。休みの日に……」


 窓から下を覗いて外を見ると大人しそうな小柄なショートカットの女子が手に荷物を持ってちょこりと待っていた。


 あー、アイツか、と思って服を着替えてから一階に降りて扉を開ける。


「……また惰眠でも貪っていたんですか? 先輩」


 じとりとした瞳、整った顔をしているが、無表情のようなどこか不機嫌そうな様子は人を寄せ付けない雰囲気を持っている。


 飾り気はないが年頃の少女らしい小綺麗な格好に身を包み、分かりやすく不満そうに俺をみていた。


「それで、何の用だ?」

「後輩が同じ高校に入ったというのに、挨拶のひとつもしにこない無礼な先輩の愚痴をしにきました」

「へー、それで俺のところにか。地産地消じゃん。というか、高校一緒だったのか」


 この前、理不尽に俺を叩いた後輩……矢野シロハは仕方なさそうにずいっと俺の方に手荷物を渡す。


「どうせ、しばらくロクなもの食べてないんでしょうから持ってきてあげました」

「えっ、あ、いや、もう朝は食った。卵焼きと味噌汁」

「……えっ。先輩が料理をするとは……。料理出来てもそういうことは意地でもしない人間と思ってました」

「俺のイメージどうなってるんだ。まぁ、作ってもらったのだから実際料理はしてないけど」


 あくびを噛み殺しながら話すと後輩の少女は表情を固くする。


「……誰にですか」

「えっ、ああ、城戸ムギって子だけど、知らないだろ」

「…………女の子ですか」

「ああ。どうかしたか?」

「……先輩。寂しさのあまり妄想を現実と思い込んでしまったんですね。うちの高校、スクールカウンセラーいるそうですよ」

「いや、いるからな。ほら、女性ものの靴もあるだろ」

「……わざわざ買ったんですか」

「そこまでの狂人と思ってるやつの家を訪ねるな。……ほら、上がっていけよ」


 俺がそう言うと彼女は少し躊躇いがちな表情を浮かべる。


「……いえ、でも」

「変なところで遠慮がちだな。わざわざこれ作ってきてくれたんだろ。追い返したりしないって」

「……はい」

「あと、わざわざ休日に来たってことは用事があったんだろ。今日は暇だし、ゆっくり聞くよ」


 俺がそう言うと少女はチラチラと城戸の靴を気にしたように見てからおずおずと玄関に上がる。

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