第一章:恋の苦味と天使の絵筆⑥

 九重は味が分からないと言っていたし、麦茶と間違えて絵の具を飲んでいたことからも間違いないだろう。


「あれ? どうかしたの?」

「……? …………?」


 九重は明らかな困惑の様子を見せて缶コーヒーを見つめ、それから俺と城戸を交互に見る。


「苦いって……味覚が……」

「…………す、すみません。か、帰ります」

「は? い、いや、九重、どうした。様子がおかしいぞ」


 パタパタと走っていく九重を見て俺も鞄を放って追いかける。

 普段から運動不足な上に小柄な九重は遅く、すぐさま両肩を捕まえて足を止めさせた。


「あ、あの、か、帰るだけです」

「いや……明らかに様子がおかしいだろ。……帰りながらでいいから、話を聞かせろ」

「……私にもよく分からないです。……知り合ったばかりの三船先輩に恋人がいると知って……その、ショックなことに、その、少し、頭が混乱して」

「……本当に俺のこと好きだったのか? 早すぎないか」

「…………そんなに親切にされたことなかったので。……独占欲が働いただけなのか」

「……まぁ、なんでもいいけどな」


 足を止めて、車通りを見てからゆっくりと歩き直す。

 ……多少は好かれているとは思うが、そこまで好かれるような覚えはない。


 愛やら恋やらの浮かれた話というよりか……自分を助けてくれる相手が他に大切そうな人がいたから軽いショックを受けて、対人経験ぎ少ないせいで過剰に反応した……というところだろう。


 変人とは言えど可愛らしい九重に好かれていたら嬉しかったが、まぁ残念ながらそこまでの好意ではない。


 軽く頭をかいてから口を開く。


「城戸……さっきの子は彼女じゃないぞ」

「お、奥さんですか?」

「違う。怪異研のリーダー……兼、姉だ」

「あ、姉? いえ、でも、さっき城戸って呼んでいましたし……」

「義理の姉なんだ。俺の父親と城戸の母親が結婚していて。養子縁組みたいなことはしてないから苗字は別々で」


 パチパチと九重は首を傾げて、それから「んー? あー」と納得したのかしていないのかよく分からない声を上げる。


「つまり……家族なんですか?」

「まぁ、一応、法律的には。俺が一人暮らしをしていて、城戸がそれを気にして頻繁に様子を見にきてるって感じだ」


 実態としては血が繋がっていないうえに一緒の家に住んでいた時期はなく、会う時間の大半が学校なので家族というよりかはただの友人グループの仲間でしかないが、九重にはこう言った方が良さそうだ。


「……もしかして、すごく恥ずかしい勘違いをしました?」

「いや、まぁ……仕方ないだろ。苗字も違うし、血も繋がってないから顔も似てないし、同級生で姉弟とは思わないだろ」


 九重は少し頬を赤くして、それからこそばゆそうに自分の耳を抑える。


「……す、すみません。買い物袋を持って合鍵で開けていたので……」

「まぁ……いや、普通高校生で恋人と同棲はしないだろ」

「……好きだったらしたくなるかもしれないじゃないですか……」


 そうだろうか……。

 俺はボリボリも頭を掻き、目を逸らすように街灯によって複数に分かれる薄い影を見る。


「まぁ、普通に……お互いの親が新婚でそこに混ざるのは気まずいから俺のところに泊まることが多い感じだから、そういう好いた腫れたじゃない」

「気まずい……ですか?」

「そりゃ、自分の親がイチャイチャしてたらキツイだろ……。自分の親で想像してみろよ」

「……私から目を離してくれるならありがたいです」


 闇の深い受け答えはやめてくれ。

 昨日と同じように、家に近づくほどに遅くなっていく足取り。


 ストレス性の味覚障害……か。


「さっき苦いと言ってたな」

「あ、そう言えばすごく苦くて……」


 こくん、と再び甘い缶コーヒーに口を付けた九重は不思議そうに首を傾げる。


「あれ、いつも通りです」


 ……気のせい? ……いや、そんな風には見えなかったな。

 心因性のものらしいし、一時的に症状が寛解……いや、甘いコーヒーを飲んで苦味だけを感じるのは寛解と言えるのだろうか。


 関谷の嫌がらせや、失恋もどきによるストレスで悪化したと考える方が妥当か? いや、でも……味覚はある方が自然だよな。


 俺は九重のことを考えているが、九重の方はあまり考えた様子もなく帰るのが嫌そうに歩いていた。


「あ、また明日」

「いや、明日は土曜だから月曜日な」

「あ……はい。そうですね」


 遊びにでも誘おうかと考えるが、俺が口を開くよりも先に九重はペコリと頭を下げて家の方に帰っていく。


 ……まぁ、連絡先は知ってるし、誘うのはいつでも出来るか。


 そう考えて踵を返して家に帰る。


 家の中が外気よりも暖かく感じるのは城戸が料理をしているからだろうか。


 自分の部屋で制服を着替えようとすると、先に俺がちつも使っているハンガーに城戸の制服がかかっていて、いつも鞄を置いているところに城戸の鞄が置いてあった。


「……生活スペースが侵食されてる」


 部屋から降りてキッチンで料理をしている城戸の方に行くと、城戸はいつも通りご機嫌そうな様子で味噌汁を小皿に取って俺に渡す。


「味見どーぞ」


 文句のひとつでも言うつもりだったけども毒気が抜かれて味噌汁を口にする。


「美味いな」

「ふふん、そうでしょう。お皿並べておいてください」

「了解」


 言われた通りに皿を並べていき、城戸の作った料理を並べていく。


 「いただきます」と言ってから冷めないうちにコロッケに口を付けて、ある程度食べ進めたところで城戸の方を見る。


「なぁ、これからもこうして俺のところくるつもりなのか?」

「えっ、うん」


 日に日に増えていく城戸の私物……おそらく本来の家から持ってきているのだから、城戸からすると両親のいる家の住み心地は物を持ってくるたびに悪くなっていることだろう。


「なら、もうベッドとか持ってこいよ……。週半分以上ベッドを奪われてるんだよ、こっちは」

「えー、でも、人の寝床を乗っ取ったとき特有の愉悦ってあるし……」

「帰れ。……もう少しでゴールデンウィークだろ。それまでにどうにかならないか」


 俺がそう提案すると、城戸は「んー」と考える様子を見る。


「まぁ私も考えたんだよ。参謀……フミくんとは気も合うし気を遣わなくていい仲で気楽だからこっちにきたいなって思いはあって。あと学校も近いしね」


 ならさっさとこっちにくればいいのに。ベッドを運ぶのは面倒だが、それ以外なら一日もあれば終わるだろう。

 城戸は照れた様子で頬を掻いてから口を開く。


「あんまり仲良くしすぎちゃうと、お母さん達に付き合ってるのかって心配されちゃうでしょ? ……家族でそんな風になったら色々大変だしさ、あんまり心配させたくないから」

「ああ……まぁ、それはそうか」


 お互いの連れ子同士が恋愛関係になるというのは……まぁその交際自体はいいとしても、特に学生なら別れたり痴話喧嘩をしたときがあまりにも面倒だろう。


 俺と城戸はそういう関係ではないが、そうだと誤解したら、親父の胃が痛くなることになる。


「……だから、流石に同棲は我慢しないとね」

「ん? ああ。……いや、それなら俺のベッドを奪うな」

「人から略奪する愉悦があるんだよね……」

「最悪だコイツ」


 色々としがらみがあって面倒くさいな。


 それにそろそろ文化祭のことがあって色々と忙しそうだからベッドでゆっくり寝たいんだが……。


 ソファじゃ疲れも取りきれないしな。


「……まぁいいか。怪奇研の方、キャプテンは文化祭に参加したいと思ってるか?」


 俺が「キャプテン」と呼ぶと、ダラリとしていた体勢が起き上がり、ふにゃっとゆるけてらいた表情がしっかりとしたものに変わる。


「ふむ……と、言うと?」

「九重もいるし、部室の確保も終えた。山田と俺で教師にも根回しをしているからもう設立しようと思えば出来る」

「……いつでも出来るからこそ、時期を選びたいと」

「そんな難しい話じゃなくてな。文化祭、クラスごとだけじゃなくて部活ごとでも何かやるように言われてるだろ。設立時期を多少遅らせたらその義務は無視出来る」


 キャプテンは少し考えた表を浮かべてから指を何本か折っていく。


「そうだね。無理に参加する必要はないかな。ちゃんとした計画を練るなら参謀の三船頼りになるけど、三船は文化祭の時期は頼まれごとが多くて忙しいだろうし。文化祭の実行委員は今年もやるんだよね」

「ああ。クラスごとに二人ずつ実行委員を出す……のとは別枠で頼まれてる」

「信頼されている。流石は私の右腕だ」

「雑にこき使われてるだけだ」


 まぁ、怪奇研は文化祭に不参加という話が決まり、キャプテンは体勢を楽なものにしてふにゃっとした笑みに戻す。


「まぁ、ほどほどにしなよ。あんまり無理しないように」

「そう思うならちゃんと家に帰れよ。ベッドで寝たいんだよ」

「別に私はソファでいいんだけど……」

「そんな扱い出来るか。……まぁ、今日はもう遅いから帰らなくていいけど、朝イチで帰れよ」

「はいはい。もー、見栄っ張りなんだから」


 ふにゃりとした笑みのまま俺の頭に手を伸ばしてぽすぽすと撫でる。

 困った子供にするような仕草に不服に思っていると、城戸は机の上の食器を片付け始める。


「今日は私がしてあげるよ。早くお風呂入って、ゆっくり寝なよ」

「……あー、まぁそうだな」


 口の中がどこか寂しく感じて、洗い物をしている城戸の横にある冷蔵庫に入っているコーヒーを手に取りコップに注ぐ。


 城戸はそんな俺を見てしかたなそうに「もー」と言うが止める様子はない。


 そういや早く寝るように言われたんだったと思い出しながら、料理や洗い物をしやすいようにか髪を後ろで纏めている城戸の後ろ姿を見る。


 いつも飲んでいる甘いコーヒーを口にしてもう一度城戸の方を見る。


「……苦い」

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