第二章:怠惰の甘みと回るコンパス①

 シャワーの音に気まずいと感じるのは異性として意識してしまっている証拠だろうか。


 ……というか、城戸の方は気まずく思わないのか。思わないんだろうな……かなり図々しいし。


 深くため息を吐いていると、机の上に置いてあった城戸のスマホが鳴る。少し驚いてそちらに目をやると、城戸の母……いや、一応は俺の義母でもある人からの電話だった。


 『三船千夏』。結婚して俺の父と同じ姓になった。

 子供は苗字を変えなくてもいいらしいので城戸は城戸のままだが。


 ……別に本名で電話番号の名前を登録していることは不思議ではない。俺は父親を『親父』と登録しているが。


 けど、親が再婚するよりも前から城戸はスマホを持ってた。……わざわざ母親の登録名を変えたとき、城戸は何を考えていたのだろうか。


 無視するつもりだったが……立ち上がって脱衣所の扉の前に立つ。


「おい、城戸」

「ぴゃっ!?」


 ぴゃっ……? もしかして、シャワー中に俺の声が聞こえて驚いたのか? ……少し申し訳ないが、意識されているのだろうかと思うと少し妙な気分になる。


「ど、どうしたの?」

「いや、城戸の母から電話きてたぞ。心配してるかもしれないから早く出た方が……」

「あ、うん。えっと、代わりに出てて」

「ええ……まぁいいけど」


 俺が出たら驚かないだろうかと思いつつ電話を出る。


『あ、ムギ? またフミくんのところに行ってるの? 一緒に過ごしたいのはわかるけど、迷惑になってない?』

「あ、すみません、千夏さん。俺です。フミです。城戸……あー、ムギさんがちょっと手が離せないから代わりにということで」

『あらごめんなさい。ごめんね、あの子が迷惑かけてない?』

「いえ……むしろすみません、世話を焼いてもらって……。あ、電話は後でかけ直すように言っておきますね。三十分もあったら終わると思うんで」

『あ、それと…………フミくんも、帰ってきていいんだからね』

「ああ……。はい、また帰らせてもらいます。日程はまたご相談させていただきますね」


 電話越しに少し困ったような声が聞こえる。

 ……反応を間違えただろうか。


 どうにも……高校生になってからの義母というのは距離感が難しい。


 少しだけ話してからすぐに電話を切る。まぁ……一度顔ぐらい出した方がいい気がすると思いながらスマホを見ると、不用心にロックとかをかけていないのか、直前に見ていたネットのページが表示されていた。


 何やら調べものをしようとしていたのか検索履歴が表示されていた。


『まろびでる 使用例』

『まろびでる ちんちん以外』

『まろびでる 下ネタ以外 使用』

『まろびでる ちんちん以外に使っていい』


 陰茎以外のものをまろび出してもいいかめちゃくちゃ調べてる……。いや、いいだろ、別に。陰茎以外にもまろびでる権利はあるよ。


 ……いや、でも、ちんちん以外にまろび出てるものを見たことないな。


 たぶん伝承とかの関連のレポートか何かを書いているときに、この単語を使うかどうか迷ったんだろうな……。


 結構古い言い回しだから、古い資料から引用するときに現在の意味と違った場合などを考えたのだろう。


 ……まぁ、頑張ってるって風に受け取るか。城戸のスマホを元の場所に戻す。


 ふと時計を見ると、いつもはもう飯を食っている時間だと気がつく。

 城戸が家にいると……無駄に話すし、風呂やらは時間がかかるし、ベッドは奪われるしで、いつもより寝る時間が遅くなる。


 ……けど、まぁ、城戸の方もたぶんいつもより遅い時間に寝ているだろうとか、普段はしているだろう友達とのメッセージのやり取りとかもしていないとか……友達よりも、寝る時間よりも優先されているという妙な優越感がある。


「何もの思いに耽ってるの?」

「いや、別に。城戸は学校とキャラ違うなって思って」

「みんなそうじゃない? あー、いや、確かにフミくんはあんまりオンオフで差がないよね。あ、アイスみっけ」

「みっけ、じゃねえ。人のを奪うな」

「でも、ほら、私の好きなチョコ。買っててくれたんだ」


 すぐに看破された。

 冷蔵庫を漁った城戸はアイスをふたつ持って俺の隣に座り、俺の手にアイスを渡す。


「……俺も風呂入った後に食べたいんだけど」

「一緒に食べた方が美味しいよ?」

「それなら俺の方に合わせろよ……」


 ぺりっと包装を向いた城戸はニコニコと笑みを浮かべて食べ始めて、俺の方を見てクスッと笑いかける。


「はい、あーん」


 城戸が食べた口の跡が付いたアイスの端を齧る。


「美味しい?」


 ……甘いな。城戸は俺の口の端に付いたアイスを指先で拭う。

 照れてしまっていることはバレているだろうが、目を逸らして口を開く。


「……電話、心配してたぞ」

「…………」


 城戸は返事をすることなく、ゆっくりと俺の頬を触る。


「……幸せの邪魔をしたくないよ。フミくんは、だからひとりでいるんじゃないの?」

「俺がひとり暮らしなのは、親父がテレビのせいでアホほど誹謗中傷に晒されてたから避難の意味で結構前からだ。今は中傷も落ち着いてるけどな。…………けど、まぁ、俺ひとり逃げといて今更一緒に住む気にはなれないし」


 城戸は寝巻きの薄手のパジャマから伸びる白い脚をパタパタと動かす。


「……フミくん。このまま一緒に住もうよ」

「そういうことはしないって言ってたろ」

「…………」

「何かあったのか?」


 城戸の肩が俺の肩に当たる湯上がりの熱と湿気が服越しに移る。ぬるくて柔らかい感触。


「……大したことじゃないけどさ。お母さん、子供ほしいみたいで」

「……ああ、そういうのか。まぁ、なんとなく居づらいよな」

「お母さんが私を「お邪魔虫」みたいに思うってことはないって分かってるけど、ほんの少し」


 少し考える。……まぁ、正直なところ、今みたいに気まぐれに泊まられるのよりかは楽になる。

 けれども、やはり関係を疑われそうというものはある。


 …………でも、まぁ、いいか。


「明日、帰れよ」

「……うん」

「平日だと荷物持ってくるの面倒だろ。学校で必要なものを一通りと、あとは服とかもか。細かな消耗品はスーパーとかで買うとして」


 俺がそう言うと、城戸はきょとんとした表情を浮かべて俺を見つめる。


「いいの?」

「今も半分住んでるみたいなもんだろ」


 城戸はパッと表情を明るくして、がばりと襲いかかるように俺に抱きつく。


 薄手のパジャマ越しに城戸の身体の感触が伝わってきて目を白黒させながら肩を抑えて引き剥がそうとするが抵抗される。


「やったー! フミくん大好き!」

「やめ、やめろ! くっつくな! 胸当たってる!!」

「えへへー、照れてるー」

「照れてない、節度を保てと言ってるんだよ!」


 うりうりー、とくっつきながら嬉しそうに俺の口元にアイスを押し付けてくる。


「ふへ、ふへへへ」

「あー、もう。親父への説明は俺がするけど、千夏さんには城戸がしろよ?」

「ふへへ、フミくんがしてよー。お母さん、フミくんには甘いから」

「遠慮があるから本音を話せないんだよ……。ほら、電話しろ」

「えっ、あ、い、今? 気が早いね」

「別に、そんな面倒な話でもないだろ。適当に……部活のことで朝早くに学校に行くから、歩いて行けるこっちからしばらく通うって言えば納得するだろ」


 柔らかい胸の感触を気にしないようにしながら話すと、城戸は俺が気にしていることに気がついたのかニヤニヤと笑う。


「ふへへ、フミくん照れよって」

「……アイス溶けてるぞ」

「わ、わわっと」


 自分も不慣れなくせにからかおうとして……。城戸の身体が俺から離れたのを見計らって立ち上がる。


「風呂入ってくる」

「えー、アイス一緒に食べようよ」

「カップルでもあるまいし何でも一緒に行動する必要はないだろ」


 俺がそう言うと、ほんの一瞬だけ城戸の口が止まって、それから「えー」と不満げに唇を尖らせた。


「じゃあさ、お背中流してあげよっか?」

「……」

「……」

「…………じゃあ頼む」

「へ、へぁ!?」


 俺がそう返すと思ってなかったのか、城戸の手が揺れて、溶けかけていたアイスが垂れてふとももの上に垂れる。


 冷たさのせいかぴくっと彼女の体が動き、それほど動揺していたということに気がついたのか、湯冷めし始めていた顔がまた赤くなり、瞳が羞恥に潤む。


「……あ、あほー! フミくんのあほ!」

「はいはい。負け惜しみ負け惜しみ」

「う、ううー」


 ムキになったように俺を睨む城戸を他所に脱衣所に入り、手早く服を脱いで、それから風呂場に入る。


 少し息を吐いてから、冷水を浴びる。


 夏場でもない中の冷水は当然冷たく、頭から被ればすぐに火照りを持った体を冷ましていく。


 ため息。

 頭の中にいる城戸を身体の熱と共に追い出そうとするが、逃げていくのは体温だけだ。


 父や義母の顔を思い出して、しばらく水を浴び続ける。


「……あー、早いうちに彼女作った方がいいか」


 少しばかり、城戸との距離が近すぎる。



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