第一章:恋の苦味と天使の絵筆④

「……別に優しくはないだろ。関谷を責めなかったのは、責めた方がややこしいことになるからだしな」

「……私に、関谷さんが何部かを聞きませんでした。そっちの方が早いのに」


 俺が口を噤むと、九重は筆を取り出してその先に俺を見る。

 赤い夕焼けの色が筆に灯り、その九重の真剣な表情もあり、まるで火を手にしているように見えた。


「……私は、あなたを描きたいです」


 その瞳があまりに真っ直ぐで、何も隠さないようにきらめいて。


「あなたの色を知りたいのです。赤青黄を混ぜてもつくれない。RGBを混ぜても作れない。不思議な色をしていて」


 その目を見返すことが出来ず、誤魔化すように窓の外を見下ろす。


「……なんか、告白みたいなことを言うのな」


 九重は俺の言葉を聞いてぼーっと俺を見たかと思うと、不思議そうに首をこてりと傾げる。


「へ……? 私は、あなたが好きなんですか?」


 まるで何も分からない子供が大人に尋ねるように、純粋な様子で俺を見ていた。


「いや……さあ?」

「……?」

「……?」

「えっ、なんですか?」


 何かは俺が聞きたいんだが……。自分の好意ぐらい、否定するぐらい簡単だろうに。


 俺が呆れていると、九重は俺を見て口を開く。


「モデルになってもらえませんか?」

「ああ、やっぱりそうなるのか。……まぁいいけど、今からか?」

「はい。あ、でもキャンバス作らないと。あ……道具、家に置いてます……。流石に家に連れて行くわけには……。でも、学校に持ってくるのは……置く場所がないですね」」


 と、口にしてから俺の方を見る。


「私が怪奇研究会に入ったら、部活として認められるんでしたっけ?」

「まぁ、学校の傾向からしてその見込みが高い」

「……人と関わるのは苦手ですが、背に腹は変えられません。画材を置かせてくれるのであれば、参加させていただきます」

「まぁ、教室と同じ大きさだし、画材ぐらいなら置けるか。……条件というわけじゃないが、いくつか頼みがある。というか、まぁ部活として承認されるために三年の間に一回でいいから学校の生徒としてコンクールか何かに出してくれないか?」

「……怪奇研究会なのにですか?」

「野球部の大会とかでも、野球部って名前じゃなくて男子野球部って名前でも野球同好会でもベースボールクラブでも、名前はどうであれ参加は出来るだろうしいけるだろ。選手登録さえしてたら他の部からの助っ人でもいいわけだし、その学校に所属しているならセーフだ」

「野球とは違う気はしますが……分かりました。えっと、どうしたらいいですか?」

「とりあえず俺の方から話を通しておく。キャンバスを置かせてって頼むぐらいならすぐにでも大丈夫だろうしな」


 早速、話を通しに行こうとすると九重に止められる。

 どうかしたかと思っていると、ポケットから色鉛筆を取り出していた。


「……絵、描いていいですか?」

「せっかちだな。まぁいいけど。……座っていいか?」


 運動部が練習をしている掛け声を背にして階段に座る。

 ぽすりと横に座った九重はいつも持ち歩いているらしいスケッチブックをめくってから色鉛筆を並べて「んー」と迷った表情を浮かべてから青色を手に握る。


「人物画で初手に青がくることってあるんだ」

「……ちょっと静かにお願いします」


 はい……。と黙っていると九重は俺の顔をジッと見つめながら青色の色鉛筆でスケッチブックに描いていく。


 九重は天才と呼ばれるだけあり、短い時間でも人並外れた絵を描き上げる。今回もそうなのだろうと思っていると、九重はしきりに首を傾げてちく。色鉛筆を手に取って首を傾げて、それから線を引いて首を傾げる。


「む、むう……」

「どうしたんだ?」

「描けはしたんですけど、あまり上手くいかなくて」


 そう言って九重が俺に見せた絵は……青い六本脚のタコだった。


 ……せめて人型であってほしかった。というかなんで青色をしてるんだ、俺。


「…………」

「…………」

「な、何か言ってくださいよ」

「……俺、青いか?」

「…………よく見ると青くはないです」

「……俺、よく見ないと青いのか」


 なんだろうか。意地悪でやっているように到底思えないが、どうにも九重が描く絵だとは思えない。


 気がつくと少し紅潮した頬を俺に向けていて、手をぐーぱーと動かしていた。


「……三船先輩はなんだか上手く描けないです。ジッと見てると顔が熱くなって、焦点が上手く合わなくて、手が震えて、心臓が邪魔をします」


 それは……まるで恋をしていると白状するような言葉だったが、けれども九重は心底不思議そうに首を傾げていた。


「……やっぱり、あなたは不思議です。不思議な色をしています」

「いや……それは……」


 けれども「それは恋だろ……」と自分でツッコむのは厳しいものがある。

 俺は青いタコの絵を見て、ポリポリと頬を描く。


「この絵、九重が描いた絵とは思われないだろうな」

「……そうかもです」

「怪異研としてはなんか面白い化け物みたいで悪くない。もらっていいか?」

「……だ、ダメです。失敗した絵なので。……上手く描けたら差し上げますから」


 せっかくなら記念にもらっておきたかったんだが……。まぁいいか。


 立ち上がると九重は不思議そうな表情で俺を見つめる。


「とりあえず、先生に話を通してくるから。……ついてくるか?」

「はい。もっとちゃんと観察したいので」


 九重を連れて職員室にいくと、山田がひとりの先生から部活動設立の書類について教わっているところが見えた。


「あれ? 文くんどうしたの?」

「ああ……別件で」


 そう言ってから驚いていそうな山田と話していた教師の方に目を向ける。


「最近知り合った「後輩の子」が学校からコンクールに絵を提出しないかって誘われたらしくてな。それで頼み通り学校で絵を描きたいらしいんだが、画材やらキャンバスやらを毎日家から持ってきたり帰ったりするのは大変だろ。それで、余ってる部屋を貸してもらえないかと」


 九重は小声で「別に絵は必ずしも学校で描かなくても……」と俺に言うが無視していると「嘘吐き……です」と呟く。


 嘘と言うほど嘘ではない。

 ただ、要求を通りやすくするために「こちらの都合で手間をかけさせる」ではなく「教師の都合でこちらが手間をかけている」という風にすり替えているだけだ。


 教師は俺の言葉を聞き、俺の裏に隠れていた九重を見て驚いた表情を浮かべる。


「あ、そうなんだ。でも空き部屋……」

「まぁ、怪奇研は怪奇研で部屋を考えるので気にしなくていいですよ。後輩がやる気なんだったら応援したいですし」


 俺がそう言うと、先生はパタパタと年配の先生の方に向かっていく。



 話しているのを横目で見ていると、山田と九重に挟まれて二人からジトリとした目で見られる。

 やめろ。俺を責めるような目で見るな。


「あっ、お待たせ。えっと、去年の卒業生が使ったままだからちょっと汚れてるかも」

「ああ、掃除は俺も手伝うんで大丈夫ですよ。鍵はしばらく九重が持ってても大丈夫ですか? 朝にキャンバスとか持ってきたものを置いて、放課後に絵を描きにいくってなると何度も職員室に取りにくるの大変だと思うので」

「ん……あー、まぁそっか……。……よし、オッケーオッケー。なくさないでね。九重さん」

「は、はい」


 鍵を受け取った九重を見て内心笑みを浮かべる。

 それから三人で職員室から出ると、再びジトリとした目を向けられる。


「よし、部室を実質的に占有出来たな。これで他の生徒が部を作るのは困難になったし、俺たちが部活を作るときに部室を理由に断られることもないだろう」

「……あくどいです。はい、鍵はお渡ししますよ」


 九重は受け取った鍵を渡そうとして俺はそれを手で制する。


「毎日鍵の開け閉めをしてやるほど暇じゃない。ああ、ちゃんと施錠はしろよ? 九重の絵ってだけで値段が付くんだし、イタズラがあるかもしれないしな」

「……欲しかったんじゃないですか?」

「部活を立ち上げるのに必要ってだけだからな。というか、人がいっぱいいるのが苦手なのに、急に先輩に囲まれるのはキツいだろ」


 九重は少し考えた表情を浮かべてから、少し顔を赤らめてペコリと頭を下げる。


「三船先輩は青色……ではないです」

「……見れば分かるだろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る