第一章:恋の苦味と天使の絵筆③

 九重キイロが変人なのは間違いない。

 けれども、活発でグイグイ動くキャプテン……城戸ムギのようなタイプではなく、人とズレていることを自覚して気にしている暗いやつだ。


 俺は自分の教室に戻り、田村と龍滝が話すわけでもなく集まってスマホを弄っているだけの場所に顔を出す。


「あれ、三船か。どうしたんだ?」

「田村って電車登校だよな。定期貸してくれ」

「定期の貸し借りは違法だろ」

「いや、電車に乗るわけじゃないから、すぐに返す」

「電車に乗るわけじゃないのに定期券なんて何に使うんだよ……。ほら、変な使い方するなよ」


 田村から定期券を受け取ってから職員室に行き、知った顔の教師に声をかける。


「あ、すみません、先生」

「あれ、三船くんどうしたの? ……城戸さんが何かやらかした?」

「いや今日はその関係じゃなくて……先生のクラスの関谷って何部か分かります? 話してたら電車の定期落としたみたいで、早いうちに渡したくて」


 そう言いながら田村から借りた定期券を見せることで、関谷の部活を聞き出す。


 ……アニメ研か。一年生は知らないが、二年三年とは去年の文化祭や運動会の冊子を作るときに挿絵とかで関わったな。


 案外女子が多く……というか、ほぼ女子なこともあってか空気感が苦手だ。

 田村に定期券を返してから向かい、軽くノックをしてから中に入ると、数名の顔見知りの女子が俺の顔を見て演技っぽい大袈裟な表情と驚いた仕草を見せる。


「げ、げえ!? へ、編集長!? し、締切は、締切は守りますから!?」

「うわあ!? 編集長が出た! 帰れ! 帰れ!」

「編集長じゃない。ところで、文化祭の冊子はたぶん例年通り頼まれるだろうから、アニ研が独自で出す部誌は今のうちに作っていた方がいいんじゃないか? あとで泣きを見ることになるぞ」


 軽く部室を眺めると、お菓子やジュース、トランプに漫画、パソコン画面に映されたアニメと……部室と言うには不真面目な遊び場といった様相だ。


「あ、今年は頼まれてないの。ほら、例の天才ちゃんにやらせたいみたいで」

「いや……方向性違うだろ。学生の文化祭の絵だったらアニ研の方がいいと思うが」

「アニメっぽい絵も描けるみたいだよ。だから今年はゆっくり……」

「する時間はないだろ。ちゃんと絵を描けるやつなんて希少だし、クラスの方で出すのとかでも絶対頼まれるぞ。今のうちに着手しとけよ」

「で、でも編集長……」


 言い訳を聞きながら一年生の女子に目を向ける。

 眼鏡をかけた大人しそうな子と、突然現れた俺に驚いている子と、「編集長!?」と楽しそうにしている子……。


「それで編集長、なんの用事? 文化祭のことじゃないよね。まだまだ先だし」

「ああ、関谷って子に用があって」


 俺がそう言うと、俺と話していた女子生徒が意外そうな表情を浮かべる。


「あれ、ミカちゃん? あ、編集長のところのお姫様案件」

「いや、キャプテンのことじゃなくてな……」


 楽しそうにしていた一年の女子は驚いたように「私ですか?」と反応する。

 思っていたよりも普通に明るそうな子……。この場で言うような話じゃないし、一人だけ連れて行くか。


 俺の言葉を待つようにしている彼女を見つつ、ゆっくりと口を開く。


「麦茶の件で話がある。着いてきてくれるか?」


 他の人が「麦茶?」とポカンとするが、一人だけ明らかに目を泳がしていた。

 一秒、二秒と時間が経ち、関谷が何かを口にしようとして手で軽く止める。


「廊下に出てくれるか?」

「…………え、えっと、何の話か分からないですけど、いいですよ」


 明らかに動揺していて、犯人であることがバレバレだ。

 まあ、本当に警戒してなかっただろうしな。


 関谷を連れて廊下に出て、それから少し歩く。


「あ、あの、どこに行ってるんですか?」

「自販機」


 近くの自販機に着いて、麦茶を買って関谷に手渡すと、関谷は意味が分からないという様子で目を瞬かせる。


「……えっと、これは」

「言い訳。部活、楽しそうにしてたし、部活の仲間にバレたくないだろ。戻ったときに麦茶を俺にあげたら返してもらったとか、そんな感じのことを言えばいいから」

「ば、バレたらってなんのことですか」


 関谷の方を見ながら、ポケットに入れていた紙を取り出す。


「指紋取った」

「し、指紋……あ、い、いや、その」


 そんな物的証拠を持ち出されるとは思っていなかったのか、関谷は明らかに目を泳がせる。

 それから何か誤魔化そうと言葉を発そうとしたところで言葉を被せる。


「わ、私は……」

「今、言い訳を作るために麦茶を渡したように別に不利益になる話をしにきたわけじゃないんだよ」

「……」

「ちょっとしたイタズラのつもりかもしれないけど、絵の具って発色を良くするために鉛とか入ってるんだよな。スマホとかで調べたら分かると思うけど、鉛中毒ってのがあって……。まぁ、冗談じゃ済まない話なわけだ」


 ペラペラと指紋を採った紙を見せて、近くのベンチにどかりと座る。


「簡単に言うと、イジメだと教師に報告したら警察沙汰になりかねないから内々で処理したい。しらばっくれられると大事になるから素直に認めてくれると助かる」


 また沈黙が流れる。それからゆっくり、言葉を手探りで弄るように口を開く。


「わ、私は、その、そういうつもりじゃなくて……」


 やっていないという言い訳から、やったことに対する言い訳。思わずため息を漏らしそうになるが、問題の解決を思うなら頷いていた方がいいだろう。


「ああ、まぁ、悪い奴じゃないと思ってるから大丈夫」

「それに、飲む前に気づくだろうし……」

「まぁ、少し飲みはしたけど病院に行くレベルではないな」

「それに……」

「…………九重の悪口は言わないんだな」


 えっ……と、関谷の口が止まる。

 それから数秒の時間をおいて、泣き出しそうにパチパチと瞬きをする。


「魔が差した……と、理由を聞いてもいいか?」

「……私、その、先輩が楽しそうにしてるから、この学校にきて……その、一緒に……したかったのに」

「したかった? ……ああ、九重が頼まれたアレか」


 俯く関谷を見て、内心冷めた目で見る。

 俺が多少逃げ道を用意したら、餌に釣られる魚のように食いついてきた。


 まぁ、事を荒立てるつもりはないが。


 内心を隠しながら同情を装って頷く。


「ああ……やる気がなさそうな九重がやることになったからか。関谷は遊んでるだけじゃなくてちゃんと活動をしたかったんだな」

「…………はい」

「まぁ分かる話だ。やったことが良くないのは関谷も分かってるだろうからウダウダ長説教をするつもりはないが……。そもそも、九重に不満を覚えたわけじゃないだろ、それは。関谷の不満は有名人だからとその知名度を雑に利用しようとした教師の方だろ?」


 俺がそう言うと関谷は納得したように頷く。

 ……本当に簡単だな、と腹の中で見下しそうになりながら頭を掻く。


「たぶん、顔を合わせるのも今はお互いしんどいだろうから、俺から関谷の謝意を伝えておく」

「……すみません、ありがとうございます」

「まぁでも良かったな」


 関谷は不思議そうに俺を見る。


「被害に遭ってから時間が経つのより、すぐに解決した方が気持ちも拗れずに済むだろ。今はしんどいかもしれないけどな」

「…………はい」

「九重の方は俺がついとくよ。まぁ、落ち込む前に解決出来たからよかった」


 ……まぁ、罰を与えるのが目的じゃなくて九重の安全を確保するのが目的なのでこれぐらいのものでいいだろう。


 少なくとも関谷はもう九重に変なことをしないだろうしな。


「……すみません、先輩。ご迷惑をおかけしました」

「まぁ、月曜日にでも謝ったらいいんじゃないか。あと、俺のことは先輩と呼ぶな」


 関谷は不思議そうに俺を見て、俺はわざとらしくふざけた笑みと声で笑いかける。


「俺のことは編集長と呼べ。生徒会とか教師とかから、よく色んなことを頼まれてるんだ。やる気があるなら、いくらでもコキ使ってやるから」


 きょとん、そんな擬音が似合う表情を浮かべてから関谷は笑う。


「ふふ、やっぱり編集長なんじゃないですか」


 麦茶を持った関谷を部室に帰して、それから俺はゆっくりと振り向いて手招きをする。

 すると壁の影からスッと九重が出てくる。


「……ずっと見てたこと、気がついていたんですか」

「そりゃな。……こんなものでいいか?」


 九重は少しの間、俺を見つめてそれから口を開く。


「三船先輩は、すごく、すごく、優しくて……ひどく、ひどく、大嘘吐きなんですね」


 感謝と混乱を混ぜたような表情で、九重は頭をペコリと下げた。

 まあ、嘘吐きなのは否定しない。俺はいつも嘘や演技ばかりだ。

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