第一章:恋の苦味と天使の絵筆②

 友達のいない天才少女で変なやつ……となると、嫌う人間のひとりやふたりぐらい出そうな物だが……。


 だとしても、こんな明らかに変な味のものをごくごくと飲んでいた説明にはならない。


「……九重、変人だから絵の具を溶かして飲んでてもおかしくない気がしてきた」

「そんなことしません」


 そう言いながら戻ってきた九重は、先程俺が渡したお茶を飲んで席に着いて色鉛筆を手に取る。


「……いじめられてるのか?」

「自覚はないですけど、こういうイタズラがあったということはそうなのかもです。でも、ちょっとした冗談の可能性もあるので」

「冗談でこんなことはしないだろ」

「……普通なら、口に入れた瞬間に気がつくんでしょう」


 まぁ、そりゃそうかもしれないけど、友達のいない九重にそんな悪質なことをするのはどう考えてもイジメか、あるいは嫌がらせだろう。


「……友達同士が悪ふざけでアホなことをやるのにしても度を越してると思うが、友達ではないなら尚更だろ。……大事にはしたくないか」

「……よく分かりません」

「……俺としては普通に教師に言うべきだと思うが、九重は親が面倒くさいんだったな」


 まぁ、嫌がらせを受けたと自覚してすぐに判断は出来ないか。

 それよりも気になるのは……こんなおかしな味の物を、九重は普通に飲んでいたことだ。


「味覚ないのか? ……無理に答えなくてもいいが」


 九重は躊躇った様子を見せる。

 知り合ったばかりの男に教えることじゃないのだろうが、隠せるような状況でもないからかコクリと頷いた。


「小学生のときから……。ストレス性のものだそうです」

「味覚障害って色々あるけど、まぁその調子だと全然分からないのか。……もし、またされた時に困るな」


 九重が俯きながら色鉛筆を握っているのを見る。


 ……親にはバレたくないという様子が伝わってくるが……。教師に言えば伝わる可能性は高く、学校には頼りにくい。


「……九重が親に伝わるのが嫌というのが分かった上で、まぁ学校に相談するべきだと思う」

「……それは」

「味が分からないのに、相手は何か食い物にイタズラを仕掛けてるんだろ。水彩絵の具程度ならマシだが、もっと妙なものなら命に関わるぞ」


 九重は言葉を返すことなく俯く。

 ……本人の意向を無視してでも学校に伝えるべきだ。


 実際、俺が気が付かずにいたら全部飲んで体調を崩して病気になっていたかもしれない。

 学年も違って放課後ぐらいしか一緒にいられないのだからちゃんと教師に任せるべきで……と、考えて、それからガリガリと頭を掻く。


「……これも、役割……か」

「……?」

「犯人、見つけてやる。それなら安全だし、親にもバレずにいられるだろ」

「……いいんですか?」

「面倒事に巻き込みやがってぐらいは思ってるからな」

「す、すみません……」

「代わりに頼みがある」


 俺がそう言うと、九重は不思議そうに顔をあげる。

 それから俺はゆっくりと頼みを口にして、九重は驚いたように目を開いた。




 まず手がかりを調べようとペットボトルを手に取る。


「……学校に売ってるのじゃないな。スーパーとかで見たことがある」

「あ、はい。母が買ってきたものです」

「割とそういうお茶の用意の仕方をしてるやつって多くないから、ペットボトルをすり替えたってわけじゃなさそうだな。だいたいみんな水筒に入れてるか学校で買うかって感じで」


 だからおそらくは九重が持ってきていたお茶を捨てて水道水を入れて、九重の絵の具でそれっぽい色合いを作ったというところだろう。


「……考えられるのは九重が学校に来てから俺がここに来るまでの間か。とは言っても、九重って休み時間もずっと教室にいそうだしな」

「知っていると思いますがお昼休みは外に出てましたけど……お茶も一緒に持って行ってました」

「となると、昼休み以降の教室を移動した時ぐらいか」


 おおよその時間は分かったが……決定的な手がかりじゃないか。


「……仕方ない。面倒くさいけど指紋取るか」

「へ?」

「黒い紙とセロハンテープ持ってるだろ。それに……チョークとかでいいか」


 イタズラ犯が触っていそうで指紋が残りやすそうなもの……ペットボトルと絵の具のチューブを取り出して白いチョークの粉をふわりとかけて、余分な粉を軽く落としてからセロハンテープを貼り付けてすぐに剥がして黒い紙に貼り付ける。


「……手慣れてますね」

「まぁ何度かやったことがある。あ、どれが九重のか分からないから九重の指紋もくれ」


 九重の手を取って小さな指先にチョークの粉を軽くかける。俺に手を握られているのが恥ずかしいのか頬を軽く赤らめさせてもう片方の手をきゅっと握る。


「取れたぞ。あと俺のも取って……他に誰かに触らせたとかあるか?」

「い、いえ」

「じゃあ、俺たちのではないやつが犯人の可能性が高いな」


 絵の具とチューブとペットボトルの両方で共通した指紋を見つけ、ほぼ間違いなく犯人の指紋だろうとあたりを付ける。


「……九重ほどじゃないけど指が小さいな。たぶん女子か。……てっきり、九重に気がある男子かと思ったが……」

「お話しをするような仲の男の子はいませんよ?」

「九重はかわいいから仲良くなくても好かれることはいくらでもあるだろ」


 俺の言葉を聞いた九重は自覚していないのか、つまらない冗談を聞いているかのような表情を浮かべる。


「まぁとにかく、このクラスの女子の私物を漁って総当たりで指紋を探すか」

「犯罪臭がすこいです」


 九重は俺から指紋を取った紙を見て、それからゆっくりと立ち上がって教室をうろちょろと動く。


「指紋を取るなら教科書の表紙とかいいも思うんだが……あれ、どうかしたか?」

「この指紋、この机にいっぱいついてますね」

「…………は?」

「いえ、ですので、指紋を見ていって見つけたので」

「いや……見ていったって……見てないだろ、まだ」

「んぅ? 見ましたよ? ほら、見てます」

「いや、肉眼で見れるものじゃないだろ。というか、こういう木製の机は取りにくい」


 ……と言いながら試しに九重が指差す場所から指紋を取ってみるとその指紋の形が一致する。

 ……どうなってるんだ、と思い九重を見ると彼女は不思議そうにこてりと首を傾げる。


「指紋って皮脂の跡ですよね? 普通に見えると思いますけど……」

「……見えるわけないだろ。いや、でも……実際取れてるしな。……なんか人間離れしてないか。まあいいや。……えーっと、この教科書も同じ指紋あるか?」

「あ、はい。ベッタリついてます」

「……化け物染みてるな。どんな視力だ。……と、犯人の名前は……」


 ……関谷 美花か。やっぱり女子生徒だな。


 椅子や机の位置、教科書の入れ方と、どこか生真面目さが見て取れる。……なんとなく、イジメをしそうな奴には見えないが。


「知ってる奴?」

「えっと……あ、関谷さんは少し話したことがあります。でも、文化祭の話で忙しくなってからはあんまり……」

「文化祭? 再来月の話だろ。気が早いな」

「部活? とかで、忙しいそうです」


 はぁ、部活ね……。

 九重は犯人ではないと疑っているのか、目をパチパチと瞬かせて机や教科書をじっと見る。


「指紋が合ってるんだろ」

「……それは、その……でも、関谷さんは親切な人なので違うと思います」

「直接聞けば分かるだろ」

「……気を悪くするかもしれません」


 疑いたくないと思っているのだろうか。いや、違うな。


 俺から目を逸らしている九重を見て、ゆっくりと近寄る。俺が手を挙げると九重は一瞬だけピクリと身構えて、俺の手が九重の頭に触れると驚いたように目を開く。


「大丈夫、悪いようにはしないから」

「…………」


 グシグシと雑に頭を撫でて、ポンポンと乱れた髪を直してから廊下に出る。


「あ、あの、その……。ほ、本当に、違うと、思ってます」

「ああ。疑ってねえよ」


 適当に返事を返してから扉を閉じる。


 ……九重キイロは疑いたくなくて否定したのではない。確信したのだろう。関谷 美花が犯人と。

 だから、だからこそ、あんなに露骨な反応を示した。


 ……まぁ、どうにかするか、そこも含めて。

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