4 彼女は巻き込まれ、呼び出しを喰らう

「貴女がた……っ」


 ヴィルヘルム殿下とその側近、ルーカスとテオドールの姿を見て、ブリジッタは私たちをキッと睨みつける。

 だがこちらとしても、約束を破ったつもりはさらさらない。

 一方的に結ばれた取り決めだが、ブリジッタが要求したのは「二人で指定の場所に来ること」。その申し出を誰にも伝えてはいけないなどとは、一言も言われていないのだ。


 そもそも、アイリスが誘拐された事件からまだ季節の一巡りも経っていない。アイリスと私が連れ立って呼出に応じ、その上で厄介ごとに巻き込まれたとなると、想定以上に私への警戒心が強まってしまうだろう。

 意図した一時のことならともかく、彼らのような高位貴族や王族から警戒を向けられ続けるのは色々とやり辛くて仕方がない。


 そんなことを思ったところで、ふとアイリスのもとに駆け付けた顔ぶれの中に、エミール・クレッシェンの姿がないことに気がついた。

 私が今回の呼び出しを彼らに伝えたのは、彼らが揃う基礎科目の授業の前だった。学年の違うエミールだけはその場にはいなかったが、それでも彼らはエミールにも話を共有すると思っていた。

 この場に彼がいないと言うことは、約束の時間までに彼と出会えず連絡が取れなかったか、或いは彼らが共謀してか無意識にか、恋敵をひとり脱落させようと企んだか。

 アイリスとは違い、彼らは流石に甘っちょろいだけの善人ではない。隙を見せれば幼なじみであっても、恋愛競争から蹴落とそうとするくらいの気概は見せるだろう。

 アイリスを巡る争いにおいて、劣勢を強いられているあの男の姿を想像してザマァ見ろと内心ほくそ笑みながら、私はヴィルヘルム殿下達がこの場をどのように収めるつもりか観戦する。


「君がアイリスに勝負を挑むことは、止めはしないし、咎めもしない。しかし、アイリスのせいで我々も下に見られると言うのであれば、それはもはやアイリスだけの問題ではない」


 いったい何処から聞いていたのやら。彼らが揃って聞き耳を立てていたとすると、その滑稽な姿を想像してなかなかに愉快な気持ちになるな。


「つまり、どういうことですの?」


 第二王子の登場に一瞬は動揺したブリジッタではあるが、己の為すことに恥いる必要はないと、毅然と顔を上げて聞き返す。

 ヴィルヘルムもまた、はっきりと断言した。


「言っただろう。関わらせて貰う、と。その試験勝負にアイリス側の陣営として参加する。その上で、アイリスの存在が我々を高めることはあれど、損なう事はないと証明しよう」


 アイリスとの付き合いを理由に、我々は我々自身を誰にも侮らせるつもりはない、と言うヴィルヘルム殿下の言葉に、ルーカスもテオドールもウンウンとうなづいている。まあ、それもこれも結局はアイリスが原因である事には違いないけどね。


「本試験で行われる基礎科目は、ちょうど五教科ある。ここにいる五人で、それぞれ一教科ずつ担当しよう。君たちも後ろに居る友人たちと協力しあうといい」


 つまり、周囲の人間への影響まで言及するなら、そちらの周りの人間はさぞかし立派なのだろうと、挑発しているわけだ。

 さすがにブリジッタ程でないにしても、周りの彼ら彼女らとそこそこ成績優秀者であることは変わりないだろう。だが、ブリジッタとのみ勝負するよりはまだ目はあるし、なおかつブリジッタも否とは言えるまい。

 そこらへんの頭の回りようは、ヴィルヘルム殿下と言うよりはルーカス・アマッツィアが練りそうな策だが、もしかすると扉の前で三人、打ち合わせの一つでもしていたのかも知れない。


 と、そこまで考えて私はあれ? と、顔を引き攣らせる。

 ここにいる、五人と、ヴィルヘルムは言っていた。

 ならば、エミール・クレッシェンが、頭数に入っているとは考えづらい。

 その上で、アイリス側の人数を、数える。いや、あえて数えるまでもない。


 アイリス・ミラルディア。

 ヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス。

 テオドール・ヨゼフ。

 ルーカス・アマッツィア。



 そして、この四人に加わる最後の一人がーー、



 シャーリン・グイシェント。



 何で勝手に頭数に入れている。

 私は怒りと絶望でくらりと眩暈を覚えた。




 ◆   ◇   ◆



 深い深い溜め息が、静かにその口からこぼれた。


「それで、君たちは勝負の約束を交わしてきたのですか」

「ああ。アイリスを見捨てる訳にも、勝負を邪魔するわけにもいかないからな」


 愛する者を守る為、やるべき事をやったのだと言うかのように、ヴィルヘルムが胸を張る。

 しかしそこには心なしか、してやったりと思っているかのような、裏をかくことに成功したような。ありていの言えば、成功したイタズラを空っとぼけている悪ガキのような雰囲気が見え隠れしていた。

 そして、そんな未来の主人を前に、頭痛を堪えるかのようなエミールの姿がある。


 私はヴィルヘルム殿下一同が、エミールをあの場に呼ばなかったのは、恋敵よりも自分を優位に立たせる為だと思っていた。しかし実際は、お目付け役がいないうちに引っ込みがつかないところまで話を進めてしまおうという、悪童じみた策略であったらしい。

 ちょっと目を離した隙に世話をすべき年下の幼馴染たちが、とんでもない面倒ごとに関わり合っていることに頭を抱えるエミールを、嘲笑いたい気持ちはある。だがそれも、私自身が巻き込まれていなければの話、だ。


 ヴィルヘルムはアイリスを守る為、勝負そのものをやめさせると思い込んでいた。それが自分や周囲を巻き込んで勝負をうけるなどという、愚かな真似をするなんてまったく想像の埒外だ。

 ブリジッタの奮闘に感心して、すっかり観戦気分だったのもよくなかった。もっと積極的に口を挟んで、せめて自分だけでも安全圏に置いておくべきだったと思うが、すでに後の祭り。

 今からでも、勝負が有耶無耶にならないかと思うが、さすがにそれは難しいだろう。


「……誰がどの教科を担当するかも、決まっていますか?」

「いや、それはまだだ。アイリスが勝負をするのがフィルハート嬢であることは確定だろうが」


 エミールの問いに、ヴィルヘルムが首を振る。宰相の息子は最後に小さく息を吐き、気持ちを切り替えたのだろう。顔をあげ、彼らを見回して言った。


「では、作戦会議をしましょう」




 作戦会議とは言っても、誰がどの教科を担当するか。そしていかにアイリスの成績を向上させるかだ。

 五教科ある基礎科目は、それぞれ「文法」「数学」「歴史」「古典」「外国語」となっている。


「では、それぞれ得意科目と不得意科目を言っていこうか」


 ヴィルヘルムはそう告げ、自ら口火を切る。


「自分は特に苦手な授業はないが、文法と外国語は任せてくれていい」


 そもそも彼は基礎科目は城でみっちり教え込まれているはずなので、どれを任せても一定以上の成績は取れるだろう。


「私も苦手科目はないかな。外国語と古典は特に自信があるが」


 ルーカスが続いて答える。彼も外国からの賓客をもてなす必要が生じる立場だ。また、彼のことだから、近隣諸国に仲の良い女性の一人や二人いてもおかしくないかも知れない。


「自分は数学は得意だけれど、古典が駄目だ。歴史もそれ程得意な方じゃない」


 体を動かすことなら負け無しのテオドールが、心なしか肩を縮めて答えている。とは言っても、彼も平均点以下と言うことはないだろう。

 まあ、順当にいけば次は自分かと、私はおずおずとした調子で得意不得意を答える。


「あの、えっと……数学が苦手です。外国語もあんまり……。文法はちょっと得意です……」


 嘘である。

 一番点数調整がしやすいのが数学の為、割を食うのが多いだけの話だ。あと、女性で数に強いというは、与える印象が先進的になるので抑えているというのもある。

 そしてアイリスに視線が集まる。アイリスはこてんと首を傾げて、えーと、と口を開く。


「あんまり、得意不得意は考えたことないなあ。あ、でも古典はすぐ眠くなっちゃう」


 正確に言うと、アイリスに得意教科はない。そして、授業中に寝だすのも、古典に限った話ではない。

 文法はトンチンカンだし、数学は直感に頼る。歴史は興味がないし、古典は壊滅的。外国語は勢いに任せる。

 彼らは揃ってアイリスの成績表に視線を落とす。彼らにとっては、アイリスの成績の悪さを知っていながら、これまで放置してきたツケである。沈黙が流れるのは、果たしてどういった感情故にか。


「古典と外国語は避けた方が無難かな。それに歴史は記述問題が多いから、これまでの蓄積がなければ高得点は厳しいだろう」


 ルーカスが存外冷静に判断をする。確かにその三科目は、短期間での巻き返しは難しいだろう。


「となると、文法か数学だな。文法は長文作成や読解を、どれだけ伸ばせるかに掛かってくる。……数学の方が安全じゃないか? あれは数式だけ暗記すればどうにかなるし、出題範囲からヤマも当てやすい」

「だが、フィルハート嬢の得意科目も数学じゃなかったか……?」


 ヴィルヘルムとテオドールも、それぞれ意見を述べる。それらを黙って聞いていたエミールが、一呼吸のあと決断を下した。


「数学にしよう。勉強はテオが中心に教えるのがいい。ルークは出題傾向や過去問の収集なんかで、協力してくれると助かる。ヴィルは二人の助手をする。それぞれの受け持ちの教科については、考えがあるから少し待っていてくれ」


 彼の言葉に、ヴィルヘルムたちは頷く。アイリスだけは少し遠い目をしているが、今からそれで大丈夫なのか。まあ、私が教えるわけじゃないからいいけど。

 そして彼らが勉強の日取を確認したり、さっそく教科書を取り出したりしているのを横目で眺めていると、不意に声を掛けられる。


「そう言えば君とは、一緒に王棋チェスをする約束をしていたね。この後なら時間が取れそうなんだけれど、今から来れるかい?」

「あら、そんな約束していましたかしら。ごめんなさいね、すっかり忘れてしまっていましたわ」


 そんな約束、した覚えはさらさらない。そして、向こうも誰か別の相手との約束を勘違いしていると言うことはないだろう。となると、どうしても私と話したい事があると言うことだ。事実、相手の目からは有無を言わさぬ色が見える。


(本当に、今日は厄日だわ……)


 だが、これで奴に貸しの一つでも作れると思えば、まだマシか。

 私はエミールの誘いに、小さく頷いたのだった。

 

 

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