3 彼女は正論を吐かれ、心の底から賛同する
午後の授業が終わり、私はアイリスと共に指定された教室へと向かった。放課後ということもあり、空き教室となっているはずのその部屋には、ブリジッタを含め数名の男女が我々を待ち構えていた。
「約束どおり来たけど、何のようかな。えーっと……」
「フィルハート侯爵家のご令嬢であるブリジッタ様とは、これまであまりお話を交わしたことはなかったように思いますけど」
どうせアイリスの事なので相手の名前も家格も覚えていないだろうから、助け舟を出してやる。周囲にいるのは、フィルハート家と縁戚関係にあったり親しかったりする貴族だったはずだが、そちらはまあ必要になったらでいいだろう。
「そう、そのブリジッタは、何かわたしに頼みたいことでもあるの?」
「頼み事と言えば、そうなるのかしら」
ブリジッタは、刃を通したような切れ長の瞳をさらに細めると、不躾に私たちに尋ねる。
「お二人は、もう予備試験の順位表は受け取られたかしら。結果はどうでした?」
「えーと、それは……」
私とアイリスは視線を合わせる。呼び出し時間には少し余裕があったので、確かに試験結果が書かれた紙片は受け取ってきた。
四角い枠がいくつも並ぶ細長い紙には、受験者の名前と共に、受けた試験の点数と総合計点が、順位とともに記載されている。
そして記された結果は、アイリスは下から数えた方が早い順位であり、私の方は悔しい事に三十一位だった。いや、三十位に含まれようがなかろうが、目論見を外したことには変わりないのだが。
てへっと誤魔化し笑いをするアイリスを見て、結果を悟ったのだろう。ブリジッタはわざとらしいほど嘆かわしげに、深々と溜息をついた。
「せめて恥じ入る素振りくらいは、見せてくれませんこと? 仮にも、王族やそれに近しい高位貴族と、親交を持つ身という自覚はおありかしら」
それは言外に、自覚なんてしていないだろうと責め立てる言葉だった。
事実、彼女のアイリスを見据える眼は、冷たい蔑みに満ちており、私は背筋にぞくりとするものを覚える。
「わたくしは別に、貴女が王族に嫁ごうが高位貴族と縁づこうが構いません。ですが、ならばそれ相応の振る舞いを見せる必要があるとは思わなくて?」
ヴィルヘルム殿下やその側近たちから好意を寄せられていることに嫉妬したわけではない。と、前置きした上でだが、その声には明らかな苛立ちの感情が隠し切れずに滲み出ているのが分かった。
彼女は、キッとまなじりを釣り上げる。
「貴女は貴族にあるまじき振る舞いを、多く見せてらっしゃるそうじゃない。貴女が貴女の思うままに振る舞いたいのであれば、その前に果たすべき義務があることに思い至るべきではなくて!?」
ブリジッタは声高に、試験結果に留まらず、アイリスの普段の有り様そのものまでも非難する。
苛立ち混じりに己の意見を述べていく姿は、まるで躾に厳しい
しかもその目からは、自分の意見が正しい事を信じて疑わない頑なさも感じとれる。
もっとも一方のアイリスは、ここまで言われてもまだいまいちピンと来ていない顔で、目をパシパシと瞬かせていた。ブリジッタが何故このような事を言っているのかも、理解していないのかも知れない。
アイリスが頓珍漢な物言いで虎の尾を踏む前に、私は仕方なしに擁護の意見を口にした。
「ブリジッタ様。確かにアイリスは勉学については不得手かも知れませんが、それでも良い所は沢山あるのです。それにお勉強も彼女は彼女なりに頑張っていて……」
「グイシェントさん、貴女のそう言うところも良くないと分かっていて? そうやってミラルディアさんを甘やかすから、今の状況があるのです」
まるで出来の悪い生徒に指導するかのように、ブリジッタは私の言葉を切り捨てる。
「そもそも、頑張っているのが何だと言うのです。結果がともわなければ何の意味もないのでしょう」
打って返すかのようなその言葉に私は俯き、唇をギュッと噛み締めた。そして微かに震える手を強く握り込む。さもなければ、今にも言うべきではない言葉が口からまろび出てしまいそうだったからだ。
そもそもですね、とブリジッタの鋭い目が私にもむけられる。
「貴女も今回の予備試験では、成績を落としていらっしゃるじゃない。それがミラルディアさんに感化されたせいではないと、どうして言い切れましょう」
「待ってよ。あなたが話をしたいのはわたしとでしょ? シャーリンは関係ないわ」
ブリジッタの非難が私にまで飛び火した事で、ようやくアイリスは彼女に言い返した。
相変わらず、自分に向けられた感情には疎い癖に、周囲への悪意には敏感だ。もっとも、今回は決して悪意とは言い切れないのだけど。
「関係ないと言い切ることが浅さはかなのだと、何故分かりませんか? 貴女が周囲の人間の評価を下げていると理解なさい!」
ブリジッタは、たいそうな剣幕で声を荒らげる。流石のアイリスも、思わずと言ったように言葉を呑んだ。
私はと言えば、ただただ視線を落として、唇を噛み締めるばかりである。そうして溢れ出そうになる言葉を、必死で飲み込んでいた。
だが、きっと心の中で漏らす分には構わないだろう。
(ブリジッタ様、よく言ったわ! ホント、素晴らしい! 最高だわ!)
素の感情はなるべく表に出さないようにしている私だが、今回ばかりは大喝采の上、万雷の拍手を送りたくなった。じーんと、感動で心が震える。
例えアイリスがどれだけ恥をかこうと、後で困る事になろうと、私の知ったことではないので、自分に迷惑の掛かるまでは放っておくようにしていた。
しかし、鬱憤が溜まらないわけではなかったので、ここまではっきり言ってもらえると気持ち良い限りだ。私がくううっと万感の思いを噛み締めているうちに、アイリスはブリジッタに尋ねる。
「それで、ブリジッタは私にどうして欲しいの?」
怒るでもなく、恥入るでもなく、首を傾げて淡々と尋ねるアイリスに、ブリジッタはきっぱりと答えた。
「次の本試験で、わたくしと勝負なさい」
「勝負?」
不思議そうなアイリスの声に、彼女は頷く。恐らくは、こうすることを初めから決めていたのだろう。その言葉は澱みなかった。
「ええ、その通りよ。試験の点数をわたくしと競うの。貴女の点数がわたくしより優っていれば、貴女を認めて差し上げます」
それはかなり無理な注文だろう。
試験上位のブリジッタと、万年赤点スレスレのアイリスでは勝負になる訳がない。
だがアイリスは、無謀にもその挑戦を受けようとする。
「それよりも、ブリジッタがシャーリンに言った言葉を取り消して貰う方が先だわ。その条件なら、私は――」
「待ちたまえ」
だが、アイリスが言葉を紡ぎ切るより前に、横槍を入れた者がいた。
「その勝負、我々にも関わらせて貰おう」
そう言い放ち、堂々と教室に入ってくる彼らの姿に、ブリジッタは瞠目する。
「あ、貴方様は――、」
「ヴィル!」
アイリスはまるで道端でばったり知人に出会したときのような気さくさで、ヴィルヘルム・フィラ=ナーディアンス第二王子に手を振った。
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