2 彼女は読み違え、愕然とする



「あ、成績といえば! 今日って予備試験の順位発表の日じゃなかったっけ? ついでだから優秀者の掲示を見に行こうよ!」


 パッと顔を輝かせて、アイリスが私の手を引いた。私は、そうだったかしら、と首を傾げながらも、アイリスの癖にまあよくぞ覚えていたものだと感心する。


 「学院」では、年に三回大きな試験がある。

 試験は、成績と進級を決める大事な行事だ。特に全員が受けることを義務付けられている基礎科目五教科に関しては、合計点数がその学年で特に高い三十人の名が掲示される。もちろん、上位三十人に漏れた生徒も、個別に成績が書かれた紙片を渡されることになっている。

 そして、その三回の試験のそれぞれ一ヶ月前には、予行練習とも言える予備試験が行われていた。

 予備試験とはいえ、本試験と同様に成績が公表されるので、自分が全体の中でどれくらいの成績なのか分かるようになっている。それをもとに、本試験に向けてさらに勉強に励むのだ。

 今回、張り出されているのは、その予備試験の結果である。


「今回も、シャーリンの名前が載ってるかな?」

「どうかしら。難しい試験だったから、成績が振るわなかったかも知れないわ」


 謙遜しながらも、私は自分の名前が二十五番くらいにいることを予想していた。

 と言うか、今回の試験はそれくらいの順位になるよう調整しておいたのだ。


 この学院はおよそ半数弱が私費生の裕福な商家の子弟で、それよりもやや少ない程度に貴族階級の子女、そして残り若干名の留学生や特待生で構成されている。だが、真面目に勉強しているのは、全体の六〜七割程度となっている。

 そもそも大半の貴族の子女は、慣例として学院に所属しているだけで、そこまで本気で勉学を治めることを考えていない。

 もちろん家督を継げず、どこぞで職を得ないといけない次男以下や、あるいは滅多な成績だと家の恥となるような家格の高い家柄の生徒などは成績優秀であることを目指すが、そうでなければ卒業さえできれば良いと考えている者もいる。

 特に女子生徒は、専攻科目も礼儀作法を選ぶことがほとんどで、あまり勉強に力を入れると変わり者扱いされるのだ。

 まあ、流石にアイリスぐらい成績が悪ければ、それもまた問題だけど。


「でも、シャーリンはちっちゃくて可愛いのに、頭もすごく良いじゃない! 前回も三十位以内に入っていて、わたしすごいなぁって思ってたのよ!」

「そ、そうかしら……。ありがとう、アイリス」


 私は頬を赤らめ、照れたようにはにかんで見せる。

 と言うか、別に私の可愛いらしさと成績とは、相反する要素じゃないけどね。


 今回調整した二十五位は、ほどほどの才女という印象を与えるのにちょうど良い順位だ。

 私は適度に地味で、でもよく見ると可愛いという立ち位置に収まるようにしているが、シャーリン・グイシェントという子爵令嬢に付した設定上、賢さに関してはあまり重要視していない。

 しかし、隣に立つアイリスとの釣り合いを考えると、多少は頭が良いと思わせた方が都合が良かった。

 あと、学年全体の習熟度や成績意欲、教師の作る試験の難易度などを予測して、思った通りの順位に来るよう調整するのは、自分の夢の為の練習にちょうど良いのだ。


 私にはささやかな野望ゆめがある。

 蜘蛛の紡ぐそれのようにか細い糸を、この国中に張り巡らせること。時に情報を吸い、時に状況を作り、時に人を誘導する。利用されたことに誰一人として気付くことなく、しかし確かに存在する繰り糸の中心に身を置くこと。

 それが私の目標だ。

 

 その為には、学年の中での成績順位の操作くらいは、簡単にやってのける必要がある。




 そんなことを思っている間に、人の姿が増えてきた。みんな、試験順位を確かめにきたのだ。

 人垣の隙間から目いっぱい背伸びをし、私は並び記された名前を上から順に確認していく。

 

 我々の学年の一位は、ロニだ。家名のない、ただのロニ。彼が一番を取らなかったことは、記憶の限りではない。

 ロニは、特待生として入学が許されている平民だ。確か専攻科目は法学だったか。

 貴族や金満家ばかりのこの学院において、彼の存在はかなり異質であるが、黙々と最優秀の成績を取り続けている。もっとも今日は、数人の下級貴族の子弟と一緒にいる姿が視界の端に映った。同じように成績を見に来たらしいが、珍しいこともあったものだ。


「あ、すごい。ヴィルとルークの名前、あんなところにある。やっぱりふたりとも頭がいいねぇ」


 アイリスが感心したように、賞賛の言葉を漏らす。

 十五位前後に並ぶようにして、ヴィルヘルム殿下とルーカス・アマッツィアの名前があった。

 王族と公爵家に連なる家柄の彼らは、それなりの成績を取らなければ家の名誉に関わってくるので、毎回これくらいの順位は保持している。そもそも、自前で家庭教師でもなんでも用意できるのだから、これで成績が悪ければよっぽどやる気がないか馬鹿の二択だ。正直、この国に生きるものとしては、やがて国を回していく立場の彼らがそれではゾッとしない為、これからもせいぜい頑張ってくれと思わないではない。


「テオの名前もある! 今回、すごく頑張ったんだねぇ」


 そして二十位あたりでテオドール・ヨゼフの名前を見つける。剣術馬鹿な彼だけど、地頭が悪いわけではない。時には上位三十人から漏れることもあるけれど、今回はヤマが当たったのだろう。

 ちなみに専攻科目はそれぞれ、ヴィルヘルム殿下は政治経済学、ルーカス・アマッツィアは経営学、テオドール・ヨゼフは地理学だったと思う。

 ちなみにエミール・クレッシェンは学年が違う為、ここには名前はない。だけど大体いつも学年上位を保持していたはずだ。彼も政治経済学の専攻だった。

 成績優秀者の面子めんつは毎回ほとんど一緒のため、今回も見慣れた名前が並んでいる……はずなのだけれど、何だか初めての名前をちらほら見かけるな。なんだか、嫌な予感がするような……。


「あー、残念! シャーリンの名前、なかったね」


 ……はい?

 

 ……は、はあぁぁぁぁっっ!!?


 アイリスの言葉に、私は慌てて、掲示を上から下まで舐めるように見直す。しかし、そこにシャーリン・グイシェントの名前はどこにも見つからなかった。

 え、いや、おかしいでしょ。今回私は間違いなく、二十五位あたりの成績になるよう調整をしていたはずなのだ。学年全体の試験への意気込みも調べ、教師の出題傾向にも当たりを付けた。試験問題も当日の難易度から全体の成績を予想し、点数調整をしたはずだった。それなのにどうして。


「あら……本当にね。あたくしの努力がきっと足りていなかったのね」


 しょぼんと気落ちした風情を出しながら、いや、落ち着け。落ち着け自分と、心を静める。

 試験の解答を間違える、ということはしていないはずだ。点数は、私の想定通りに取れたはず。三十位に含まれなかったので、別途試験結果を記載した紙片を貰わないと正確な数字は分からないが、それはほぼ間違いない。

 となると、私が予想していたよりも、良い点数を取った生徒が多かったということである。

 果たしてそれは誰で、どんな要素が影響したのか。自分がいったい何を見落としていたのか、私はすぐにでもそれを調べたくなった。

 たかだか学生の試験で、などとは言ってはいけない。むしろ、たかだか学生の試験の成績程度を、思うように操作できないことを、私は恥いるべきなのだ。調子が悪かった、などと言い訳はすまい。すべて私の油断が招いたことだ。

 それでも自分がもっとも得意とする分野で、想定の結果を出せなかったことに、わたしは忸怩たる思いを隠せなかった。

 

 そうした素の感情は決して面には出さないが、それでも前回より成績を落としたことに相応しい程度の落ち込みを見せる私に、アイリスが慰めの言葉を掛けてくる。


「大丈夫よ、これはまだ予備試験だもの。シャーリンなら、きっと本試験で挽回できるわ」

「あら、随分と呑気なことをおっしゃってるのね」


 背後から突然掛けられた言葉に、思わず振り返る。そこには一人の女生徒が、アイリスと私にまるで見下すような目を向けていた。


「グイシェントさんはともかく、ミラルディアさん。あなたは人のことを言っている余裕があるのかしら」


 上から目線で物を言う彼女の名は、確かブリジッタ・フィルハート。学問系に強い家柄の侯爵令嬢で、彼女自身成績上位の常連だったと記憶している。赤みがかった金髪に青い鋭い目を持ち、女性にしては大柄なため私は見上げなければ視線が合わない。


「お二人とも、今日の授業が終わりましたら少しお話をしませんこと。お二人だけで来てくださると嬉しいわ。お待ちしてますわね」


 そう言い放つと答えも聞かず、彼女は私に紙片を渡して去っていく。視線を落とせば、時間と教室の場所が書かれている。その時刻にその場所に来るように、とのことだろう。

 まるで来ることを疑っていないような素振りだったけど、我々が行かなかったらどうするのだろう。

 もっとも、アイリスがこの手の呼び出しに答えない、ということはおおよそ考えづらかった。


「何の用事だろう? 何かわたしたちに相談でもあるのかな」

「どうかしら。そういった和やかな案件ではなさそうな気がするけれど」


 実際にアイリスは行く気満々のようで、私は随分と面倒なことに巻き込まれそうな予感をひしひしと覚えていた。

 この呼び出しをすっぽかしたい気持ちでいっぱいだったけど、それは許されないのだろう。早速午後の授業の後が憂鬱だった。



 





 



 

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