第60話 遥か遠い過去 Ⅴ


 九條郁朗が息子、フレイの体を調べている部屋へ母親のイリーニャが訪れる。


「薬の方は上手く行ったのかしら?」


「いや、不老の方は上手く行ったはずだが、不死の方はもう少し時間がかかりそうだ」


「研究の資料を見せてもらってもいいかしら?」


「君になら構わないさ。そこの机の上にこれまでの研究の成果をまとめたノートがある」


「あなたは相変わらずレトロな人間ね」


 イリーニャは机に向かい研究結果の資料が書かれたノートに目を通す。


「不死についても待ってあげたかったけど、まぁ、不老だけでもいいわ。じゃ、私には時間が無いの。貴方とはここでお別れね……」


 そう言うと突然イリーニャは懐から銃を抜き郁朗の腹部を撃ち抜く。


「ぐがっ!! どう言う事だイリーニャ……」


顔色一つ変えずイリーニャは語り出す。


「私はね、今の艦長の指示に従わなければならないこの体制がとっても不満だったの。進んでアメリカの犬に成り下がってる貴方達には分からないでしょうけどね。だから西方にある大陸に同志と共に新たな国家を築く事に決めたのよ。フレイ、貴方は私と一緒に来なさい」


「わざわざ面倒な方法を取るんだな……クーデターでも起こした方がよっぽど手っ取り早いだろうに……」


「私だって馬鹿じゃないわ、そんな物成功する訳無いじゃない」


 二人のやり取りをフレイはただ立ち尽くして見ているだけだった。


「それにしても、つれないじゃないか……研究の次ぐらいには君の事、愛していたのに……」


「あら、貴方がこの地の耳長の娘にご執心だった事、私が知らなかったとでも?」


「ほぅ……ヤキモチを焼いていたのかな……」


「冗談はよして頂戴。貴方の様な黄色人種にはあの耳長辺りがお似合いよ。さて長話にも飽きたわ、そろそろ死んで頂戴」


 イリーニャは銃口を郁朗の額に充てる。


「母様……」


 フレイがそう呟いた瞬間だった。郁朗はイリーニャの銃を払い除け、隠し持っていたナイフをイリーニャの首に突き刺した。


「ウッ……ヤポンスキーっ!!」


 タンッ、タンッ


 イリーニャは首筋より大量の血を噴き出しながらも残る力を振り絞り、郁朗に向け銃弾を浴びせた。


「母様……父様……」


 辺り一面血溜まりとなったその場所で倒れ込む二人にフレイが駆け寄る。母親の方は既に息は無く、父親の郁朗は僅かながらにまだ息があった。


 フレイにとって母親の実験は苦痛を伴い確かに辛い物だった。だが、それでも我慢して実験を受け続けていれば幼かった頃の様にまた優しい母親に戻ってくれるんじゃないかと僅かな希望を持っていた。


 船の中の色々な所へ散歩に連れて行ってくれた母親、似顔絵を描いては上手だと褒めて喜んでくれた母親。


 そんな優しい母親は偽りだったのだろうか? いや、例え偽りであったとしても、それでもいつかまたそんな母親の笑顔が見れると思っていた。


 だからこそフレイは過酷な実験に耐えれた。そして母親に必要とされているという事が自分の生きる意味であった。


 魔法の実験が成功した時は恐ろしかった。もう自分は母親にとって必要とされないのでは無いかと、処分されてしまうのでは無いかと。


 しかし母親は喜んでくれた。喜ぶ母親の顔を見れて嬉しかった。これからも自分は母親が喜んでくれる様に実験に耐え続けようと思った。


 だがその母親は今、息絶えてしまった。これから自分は一体なんの為に生きて行けば良いのか? これから自分が生きる意味はなんなのか?


「ああぁ……ああああああああぁぁぁ!!!」


 と今度はそこへ研究室の扉が開く。


「九條博士、先程から銃声の様な物音が聞こえましたが何の実験を……と、これは一体何がっ!?」


 彼が目にしたのは血みどろになった母親を抱くフレイの姿であった。


「その声は……如月君か……」


 研究室に入ってきた彼はこの地で長年九條の助手を勤めた人物だった。


「私の……研究が漏れた様だ……資料とフレイを連れて……逃げろ……」


「では艦長に助けを求めに行きます」


「船の人間はダメだ……悪用される……マディッサを頼れ……彼女ならエルフ族に渡りを付けてくれるだろう……」


 マディッサとは九條がイリーニャに隠れて密会していたエルフ族の女性の名であった。


 その言葉を最後に九條もまた息を引き取った……



 こうしてフレイと彼の研究に携わった十数名は九條とイリーニャが遺した研究資料を持ち出し、エルフ族の治める地へと逃げ延びる事となった。


 フレイ達がエルフ族の助けを受け逃げ延びたその地は『マディサ村』と名付けられた。


 そう、この村は後のエリーナの生まれ故郷であった……

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