第54話 更なる問題


「コレを殺してこい」


 エリーナに渡された赤子の顔を見る。確かにゴブリンではあるが、産まれたばかりの赤ん坊を殺めるとなると……


 無理だ……俺には出来ない……


「他に……他に方法はありませんか? こんな小さな赤ん坊を殺すなんて……」


「愛情を持って育てれば人間に懐くとでも思っておるのか? 有り得ぬ。どれだけ愛情を込めた所でコレはゴブリンじゃ、成長すれば人を襲う」


 俺とエリーナが会話している所を見て何か察したのか、母親が喚き、叫び出した。


「返してっ! 私の赤ちゃん返してっ!! 私の子供をどうする気よっ!! 返してぇぇぇぇ!!!」


 産後で体力を使い切っている筈なのだが、彼女は寝床から這い出しゴブリンの赤子を取り返そうとして来た。


「落ち着けっ! 落ち着くんだサーシャ! アレは……お前が産んだあの子は……人では無いんだ……」


 這い寄る彼女をエドマンが涙を溢れさせながら必死に抑え込んでいた。


「関係ないわっ!! その子は私の赤ちゃんよっ!! いやっ! 返してっ!! 連れてかないでぇぇぇ!!」


 サーシャと呼ばれた彼女は抑え込むエドマンを振り切り、俺が抱く赤子を取り戻そうともがく。


「あの娘はわっちが落ち着かせる。主は早くっ!」


「でも……」


「早く行けいっ!!」


 エリーナの気迫に圧倒され、俺は赤子を抱き家を出る。建物の裏手に回ると人気が無いのを確認し、抱いていたゴブリンの赤子を地面におろす。


(殺す? 産まれたばかりのこの子を……)


 腰からナイフを抜くと赤子の心臓あたりにナイフを向ける。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ナイフを持つ手がガタガタと震える……


 コレはゴブリンだ。そう、ゴブリンなんだ。情を持つな。生かしておけばまた人を襲う。


 この家に来る時にエリーナが言った一言が頭を過ぎった……


『……目を逸らしてはならぬぞ』


「うわぁぁぁああああ!!!」


 覚悟を決め、ナイフをゴブリンの赤ん坊の胸に突き刺す。


 ナイフはさしたる抵抗も無くスルリと胸に突き刺ささった……


「ギャ……」という断末魔と共に赤ん坊は動かなくなる。


 突き刺したナイフを抜くと血が吹き出し、ナイフからも血が滴り落ちる。

 その血を見て自分がした事の意味を改めて理解し、思わずナイフを手放す。


「あっ……あぁぁぁぁ……」


 殺した……あの人の赤ん坊を……俺が……この手で……


「うっ……ゲボっ……オヴェエエエッ……」


 思わず地面に胃の内容物をぶちまける。


 あの女性から産まれた赤子、でもそれはゴブリンで自分が殺した事は間違いじゃないはず。だがどれだけ自分のした事を正当化しようとしても必死で我が子を取り返そうとしていた母親の顔が脳裏に焼き付いて離れない……


「どうやら片付いた様じゃな」


 背後よりエリーナの声が聞こえてきた。俺は振り向く事なく、ただうなだれていた。


「初めからこうなる事を予感していたんですね……」


「あぁ……」


 ただ一言。それだけの返事であった。


「母親の方はどうなりましたか?」


「今はまた眠らせた」


「彼女は自分が産んだ子供がゴブリンだと気付いて無かったのでしょうか?」


 ゆっくりとした口調でエリーナが答える。


「あの娘にとってはな、産まれてくる子が人かゴブリンかなど些末な事なんじゃよ」


「それはどういう意味ですか?」


「ゴブリンとてな、別に快楽を求めて娘達を犯しておる訳ではない。あヤツらの目的はあくまで子を作り種を増やす事が目的なのじゃ。故に子を宿した娘には手を出さん」


 淡々と話を続ける。


「しかし娘の方にしてみればじゃ、毎日毎夜代わる代わるゴブリンに嬲られる地獄の様な日々の中、子を身篭った途端手を出されなくなるのじゃ。腹に宿ったその子が我が身を守ってくれていると錯覚してしまうのであろう。腹の子が救世主と思えただろうの……」


「だからあんなに必死で取り返そうと……」


「また地獄の様な日々に戻ると思ったのかもしれんの……じゃが自分が助かったという事を理解すれば落ち着きを取り戻すであろう」


 そうであって欲しいと切に願う。だが彼女だけではなく生け贄にされた他の女性達の心の傷も深い。普通の生活に戻れる様になるまでどれだけの時間が必要なのだろうか?


 今なら分かる。あの日エリーナが激怒した理由が。これほどまでに過酷な状況になると分かっていれば絶対に取ってはならない禁忌の選択なのだ。


「してクライドよ、これで終わりと思っておらぬか?」


「!?……まだ何かあるんですか?」


 ゴブリンは討伐した。囚われていた女性達も救出した。彼女達の心の傷は深いがそれは家族や恋人達が時間を掛けてゆっくり癒していけばいい。この村で自分に出来る事は何も無いように思えた。


「主はこの村に来てどの様な印象を持った?」


「どうって……えっと、こう言っちゃ失礼ですけど貧しい村だなと……」


「うむ、その村に囚われておった娘達が二十三名戻って来た。どうなると思う?」


「どうなるって……!!? 食糧……不足……」


 エリーナは大きく頷く。


「言うたであろう、この村はもう駄目じゃと。これから少ない食糧を巡って人減らし、もしくは最悪村人同士での争いが起こるやもしれんの」


 何も解決していなかった。というよりも初めからこの村は詰んでいたのだ。そこへ来て村の人口増加。自分が良かれと思って取った行動は逆に村を更なる窮地へと追い込む形となってしまっていた。


「とは言えじゃ、主はもう十分に良くやった。後は村の者達で解決すべき問題じゃ。主が背負う必要は無いのじゃぞ」


 優しい口調でエリーナがそう告げる。


「いえ、最後までやらせて下さい。自分はまだ何も……何も出来ていませんから……」


 自分に何が出来るかなんてまだ分からない。それでもこのままこの村を去る訳にはいかないと思った。


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