第39話 遥か遠い過去Ⅱ


 ある日、ロイス氏の研究室に一人の男性が訪れる。


「やはり……そろそろ来る頃だと思っていたガネ」


「お初にお目にかかります。私はアメリカ航空宇宙局のスティーブ・リーデンバーグと申します。この度は素晴らしい研究結果を残された博士とこうしてお会い出来て光栄です」


「挨拶はいい、要件を聞こうじゃないカネ」


「はい、では単刀直入に申し上げます。博士の考えておられる理論を用いれば宇宙空間においての超高速航法は可能でありましょうか?」


 スティーブの表情は真剣そのものであり、焦りの様な物が感じ取れた。


「無論、可能だガネ。まぁ、論文を読んで来てるのだろうし、その辺は説明するより実際に見せた方が早いカネ」


 そう言ってロイスはスティーブを研究室の奥にある移転装置の前へと案内した。移転装置は大掛かりな機械の前に高さ三〇cm程のカプセルが二つ並んであった。


「まず、実験を始める前に君は『反物質』について何処まで理解してるカネ?」


 ロイスは移転装置を操作しながらスティーブに質問を投げかけた。


「反物質ですか? 確か我々の周りを取り巻く物質とは真逆の電荷によって構成された物質で、物質と反物質が衝突すれば対消滅が起こり、莫大なエネルギーが発生すると言われておりますね」


「ふむ、君はなかなかに優秀な人物のようだガネ。流石NASAの職員と言った所か。更に言えば宇宙誕生の際に物質と反物質が生まれたと言われておるガネ」


「しかし、物質と反物質の僅かな性質の違いにより今、この宇宙は反物質は消滅し物質の世界となっているのですよね?」


「確かにその説が今は有力視されておるガネ。しかし果たして本当にそうなのカネ? 私はね、反物質の世界もこの宇宙空間にあるのでは無いかと考えたのだガネ」


「ですがそれですと宇宙空間のあらゆる所で対消滅が起こってしまうのではありませんか?」


「そう。だがそのような事が起こったような観測結果は得られていない。よって反物質はこの宇宙に存在しないと思われているガネ。そこで私は考えたのだガネ。物質と反物質の間に何か障壁の様な物があるが故に対消滅が起こらないのでは無いかとネ」


「それがダークマターと……?」


「うむ。そして物質と反物質の間にあるという性質上、その正体は僅かな素粒子さえ存在しない完全なる『無』であると結論付けたのだガネ」


「論文の方でも拝見させて頂きましたが、にわかには信じられない話ですね。もしその仮説が正しければ、これ迄の常識が根底から覆される事になりますね……」


「もっと簡単に言うなればだ。この世界を+の世界、反物質の世界を-の世界とすると、零の世界が無ければおかしな話になるであろう? 」


「確かにそうですが……。では何故我々はそのダークマターを観測出来ないのでしょうか?」


「君は油の入ったグラスの中にガラス玉を入れると消えて見える実験は知ってるカネ? アレが近いかもしれんガネ」


「光の屈折率が同じな為にガラス玉が消えて見える現象ですね」


「左様。グラス内の油の中に何かがあると分かってもそれを外側からは目視で確認出来ん。それと同じ様に我々が行っている今までの観測方法では見つけ出す事は出来んと考えているガネ」


「これ迄とは違う観測方法が必要だと……」


「更にね、私はそのダークマター内においては空間や時間といった概念すら存在しないと思っているガネ。そしてコレは論文には書かなかった事であるが、ダークマター内には物質的には確かに『無』であるが生命体が存在していると考えているのだガネ」


「流石にそれは有り得ないのではありませんか? 大地も空気も無い世界に生命が存在出来るとは到底思えません」


「生命は物質のみに宿るとは限らないのだよ。目に見える物、観測出来る物が全てだと思っている頭では理解出来まい。だが、よく考えてみたまえ。君も信じているのではないかね? 物質としては存在しないが、その存在自体は有ると信じて疑わない物が。そして空間や時間をも超越するその存在を」


「?…………!?」


「……まさか……神……?」


「もしくは悪魔……だガネ」


 そう言ってロイスはニヤリと笑った。


「さて、前置きが長くなってしまったガネ。それでは実験を始めよう。この装置により私はこの世界とダークマターとの世界を繋ぐ事に成功したガネ。そしてコレを私は《扉》ゲートと名付けたガネ」


 ロイスが装置を起動させると両方のカプセル内にプラズマが発生し、それと共にカプセル内の空間が歪み始めた。

 そして装置の横にあるゲージよりマウスを取り出すとロイスは片方の空間の歪み目掛けてマウスを投げ入れる。するとマウスは空間の歪みの中に消えて行った……


 その様子をスティーブは固唾を飲んで見守っていた。額からは一筋の汗が流れ落ちる。


「コレを天国への扉と見るか、地獄の門と見るかは君次第だガネ……」


 ロイスがそう言い終えると同時にマウスを投げ入れたカプセルとは反対側の空間の歪みからマウスが出現する。


 その様子を見てロイスが「ふぅ……」と大きく息を吐いて言葉を発する。


「今はまだ設備の問題上、このカプセル内での移転のみとなってしまうガネ。簡単に言えば糸電話みたいな物だガネ。しかし、もっと研究が進み設備も整えば空間と時間の座標を指定し、あらゆる場所へ転移する事が可能だと考えているガネ。例えそれが宇宙の果てであっても」


 そう説明するとそれ迄、無言で実験を見守っていたスティーブがようやく言葉を発した。


「すっ……素晴らしい!! 博士っ! 是非我々の施設に来て頂き、研究を進めて頂けませんか? 必要な物があれば全てこちらで用意致します!」


「無論そのつもりで君にこの実験を見せたのだガネ。もし、君が来なかったらクレムリンにでも旅行に行くつもりだったガネ」


「それは笑えない冗談ですね」


「しかし、君は何か少し焦っているように見えるのだが……やはり今世界中で起こっている原因不明の作物の病気が関係しとるのカネ?」


「はい。我が国は今のこの食料危機に対しての案の一つに地球外への移住というのがあったのです。しかし現在、我々人類の技術ではあまりにも現実的では無いという結論に至り見送られておりました。しかし、博士の論文発表をきっかけに、もしそれが実用可能なのであれば地球外惑星への移住計画案が再び検討される事になるのです」


「なるほど、それを確認するために君は来た

 と言う事だネ?」


「はい。そして私は先程の実験を見て確信しました。博士の発明で間違いなく人類は宇宙へ旅立つ事が可能だと。そしてそれは我が国にとって……いや、世界中の全人類にとっての希望となるでしょう」


「人類の希望とは私の柄じゃないガネ」


 そう言ってロイスは苦笑した。

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