第37話 余韻



「これ、クライドっ! いつまで寝ておるのじゃ!」


 エリーナが普段とさほど変わらぬ感じで俺を起こす声で目が覚めた。


「すいませんっ! 寝過ごしましたっ! すぐ食事の準備しますっ」


「うむ、兎の肉がまだ残っておったはずじゃからそれを使い切ってくれぬか」


 いつもと変わらぬエリーナの態度に昨夜の出来事は夢だったのかと一瞬頭をよぎった。だが、ベッドから起き上がった瞬間、それは夢では無かった事を理解した。


「あだだだっ、身体中が……痛てぇ……」


「どうしたのじゃ? どこか痛めたか?」


「いや、大丈夫です。ただの筋肉痛なんで……」


 この痛みこそが昨夜の出来事が夢では無かったのだとの証明であった。


「どれ、治癒魔法でもかけてやろうかの」


「いや、そのままで大丈夫です。なんて言うかこの痛みを味わっていたくて、昨夜の余韻に浸っていたい気分というか……」


「余韻のぉ……」


 そう呟きながらエリーナが近寄って来たかと思うと、おもむろに俺の脇腹をガッと掴んできた。


「はぐっ! ちょ……何するんすかっ! そこ筋肉痛で痛いとこっ!」


「くくくっ、その余韻とやらに思う存分浸らせてやろうと思うての」


 笑いながらエリーナは俺が痛みのある箇所を的確につついて来た。


「ひがっ! 辞めてっ、それ以上は泣いちゃう、泣いちゃうから辞めてーっ」


「昨晩の仕返しじゃ。ほれほれ、ここか? それともここか?」


「いやっ、謝るから許してっ! 許して下さい! ぎぇーっ」


 人体の急所や構造というのを完璧に理解しているのだろう。エリーナが刺激してくる箇所はことごとく俺の筋肉が疲労している所だった。


 とは言え、こうしてエリーナとじゃれ合っている事にこの上ない幸せを感じ、何より俺にちょっかいをかけて来るエリーナが余りにも可愛すぎて痛いはずなのに顔はニヤけてしまっていた。


「うにゃ……? 二人で何騒いでるの……?」


 俺の悲鳴で隣に寝ていたシルフィーも目を覚ましたようだ。もう既に身体の大きさはいつも通りの手の平サイズに戻っていた。


「シルフィー、助けてくれ! 師匠が俺をイジメるんだっ」


「虐めているとは失敬な。主に喜んでもらいたくて手伝うておるのじゃ。わっちの優しさに何故気付かん」


「あっ、いや、師匠の優しさは十分に受け取ってます。ただ、ほら、どんなに好きな食べ物でもお腹いっぱいだと食べきれないでしょ? 師匠の優しさも受け取り過ぎて、もうちょっとお腹いっぱいで……」


「うーん、よく分かんないけど、クライド顔がニヤけてるし、助ける様な事じゃ無さそうだね」


「ちょっ、おまっ、ご主人様が困っているのになんて冷たいんだっ!」


「ほう、シルフィーからも優しさを受け取りたいと?」


「いやっ! 嘘っ、無しっ!今の無しで!」


「あはははっ、主をからかうのはやはり愉快じゃのう。じゃが戯れはこの辺りにしようかの。クライド、食事の準備の前に風呂に入って参れ。その間にわっちは寝具を洗いたい」


 ベッドにもまた昨夜の出来事が夢では無かったと物語る様にシーツには鮮血のシミが残っていた。


 そう、俺は伝説の英雄でも一国の王子でさえも開けなかった開かずの扉を開いたのだ。そう思うと、この上ない優越感が湧き上がってくる。


「洗濯なら後で俺がやっときますよ」


「いや、魔法で洗った方が早いでの」


「あー、なら、お願いしちゃいますね。シルフィー、お前も一緒に風呂入るか?」


「うーん……うんっ! 入る! エリーナは?」


「わっちは先に入ったでの。それと風呂から出て食事が済んだら出かける準備じゃ」


「えっ? 出かけるってどこに?」


「決まっておるでは無いか、旅に出るのじゃ。昨夜、主が旅をしたいと言うとったであろう?」


(ほわっつ!? 言ったよ? 言ったけどさ、だからつってそんな急に!?)


「確かに言いましたけど、なんて言うか心の準備が……」


「何を言うておる、こういう物はな、思い立ったらすぐに行動を起こした方が良いのじゃ。時間が経てば経つほど億劫になり行動を起こす機会を逃してしまうのじゃ」


「うーん、確かに。じゃあ自分が準備する物何かありますか?」


「準備はほぼ終わっておる。あとはその寝具ぐらいじゃ」


(あぁ、だからエリーナが魔法で洗うって言ったのね)


「じゃ、さっさと風呂入って来ます! シルフィー行くぞっ」


 まだ眠気眼のシルフィーを摘み、風呂に入り食事の準備に取り掛かった。


 食事を終え、自分の荷物をまとめ家の外に出ると荷車にエリーナが準備した荷物が乗せられていた。


「あれ? 師匠、馬は?」


 俺の異世界での旅のイメージといえば、馬車の荷台で外の景色を見ながら、のんびり悠々自適な旅生活というのを思い浮かべていたのだが、目の前の荷車には肝心な馬がいなかった。


「主はこの家で馬を見た事あるのか?」


「いや、無いですけど……じゃあこれどうやって移動するんです?」


 そう質問を投げかけるとエリーナは無言で俺を指さした……


「……はああああああぁぁぁあっ!!!?」


(嘘でしょ、嘘でしょ? まさかの人力っすか!? 俺が引くんすか?)


「何、これも修行の一つじゃ。良い足腰の鍛錬になるであろ?」


「いや、まぁ、そこは納得しますけど……師匠……なんで荷台に座ってるんすか?」


「わっちはな、主が昨夜激しく責め立てたせいで腰が痛くてのぅ」


( oh……そう来ましたか……)


「そんなの魔法で治して下さいよ……」


「わっちも昨夜の余韻に浸っていたいのじゃ」


(ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙っ!!! ちくしょうっ! ちくしょうめっ! そんな事言われたら何も言えなくなるじゃないか……ぴえんっ!)


「おいっ、シルフィー! 大きさ変えて俺を手伝えっ」


「やだよっ、大きくなるの魔力いっぱい使うからすぐ疲れちゃうもん」


 ちくしょうめっ!


「ほれほれ、つべこべ言わずに出発じゃ。行き先は主が赴くままに向かうが良い」


「へいへい……分かりました、分かりましたよ……」


 こうして俺は旅に出る。四百年生きた魔女のエリーナと妖精シルフィーを引き連れて……

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