#263 朦朧とする意識の中

「おめでとうございます! この度の長編小説『迷い家』が大ヒット! ドラマ化も噂されておりますが、執筆当時のお話をお聞かせ願えますか」

「この作品の執筆時、私は風邪を引いてしまって……お恥ずかしい話です。ただ、風邪を引き、意識が朦朧としていたからなのか、今まで書けなかった描写が書けるようになったんです。今作は、おそらく平常時では書き上げられなかったでしょう。風邪で意識が朦朧としていたからこそ、書けたと言えます」

「限界状態だったからこそ、あの真に迫る文が書けたのですね」

「ええ。作家生活も長くなりますが、ある意味で貴重な体験でした」

「先生が──生──がそこまで──んせい──仰るなら──先生──」

「?」

「どうされました?」

「いえ、いま──」

「──先生!!」


 鼓膜を叩く声。

 その声にわたしの朦朧としていた意識が呼び起こされる。瞼をゆっくりと持ち上げて見れば、見慣れた執筆机が目に入る。


「先生!?」


 そんなに大きな声で私を呼ぶのは編集者の槙野くんだ。彼女は血相を変えて私を見ている。


「どうしたのかね」


 喉が粘つく。頭もふらつくし、体が暑い。まるで風邪を引いているようだ。


「どうしたのかじゃありません。安静にしてなきゃダメでしょう! 無理して執筆しないでください」


 はて、おかしなことを言う。私はすでに執筆を終えて、出版をし、ヒットしたインタビューを受けているはずではないか?


「何言ってるんですか……もう、また熱上がってるんじゃないですか? 風邪引いた時は大人しく寝ていてください」


 ふむ、と目の前のパソコンを見てみる。確かにそこには未完成の原稿。途中で力尽きたのか「あ」が大量に続いている。

 そして、ようやく自分がいま風邪を引いていることを思い出した。


「ああ、さっきのは夢か」


 朦朧とする意識の中、私は欲望を夢としてみたようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る